第107話 「ヴァイオレット」


 フレッドと国王が和解したところで、先ほど出ていった侍従が戻ってきた。

 国王に何事か耳打ちすると、侍従は再び下がっていく。


「どうやら、息子に客人のようだ。代わりに応対してくる。失礼するぞ」


「あ、ちょっと待つにゃ。ヒューゴの客人って、魔女じゃないかにゃ?」


「ああ、そうだが。何だ、黒猫。お前の知り合いか?」


「そうだにゃー。ミーは、魔女が何の用事でヒューゴを訪ねてきたか知ってるにゃー。ミーたちも行くにゃー」


「そうか。来たければ勝手にするが良い」


「あの……僕たちも同席してよろしいですか?」


「……ああ、構わん」


 国王は、セオを見て表情を曇らせる。

 短い返事をすると、すぐに目を逸らし、そのまま出入り口に向かって歩いていってしまった。


「……?」


「……セオが、オリヴァーにそっくりだからじゃろうな。罪悪感で顔を見れないんじゃろう」


 セオが国王の態度に首を傾げていると、フレッドがそう耳打ちしたのだった。




 応接室で待っていたのは、予想通り先日の魔女だった。

 魔女は、城がよほど珍しいのだろう、あたりをキョロキョロ見回している。


 魔女の横には何故か、フレッドと一緒にいたはずの、背の高い――今は色が判別出来ないが、深い青髪の――侍女が立っている。

 私はその侍女が妙に気になって、顔をよく見ようと視線を向けたが、彼女はすっと頭を下げて素早く下がっていってしまった。


 国王が椅子に座ると、魔女はその顔をじっと見て、首を傾げた。


「あれ、ヒューゴ、年取った?」


「……!?」


「ふ、不敬にゃ……! この人はヒューゴの父親だにゃ。ヒューゴは今、寝てるにゃ」


 国王は驚いて言葉を失い、ノラがすぐさま反応した。

 魔女は地底人ドワーフに育てられたのだ。

 人間のこと、ましてや王族貴族に対する接し方には、疎くても仕方がない。


「もう、夕方。まだ、寝てる?」


「そうじゃにゃくて……」


「ん? そういえば、ヒューゴのとと、約束してた。病気、治った?」


「……病気? どういうことだ?」


「んー、でも、ヒューゴと約束した。いま、


 事態を飲み込めずにいる国王を置き去りにして、魔女は国王の正面にとてとてと歩み寄っていく。

 魔女の瞳が、淡い光を放ち――そのまま国王をじっと見つめる。

 しばらく国王を見ていたかと思うと、ゆっくりと光は消えてゆき、魔女の瞳は普段通りに戻った。


「ヒューゴのとと、ヒューゴに、悪い魔力流した。ヒューゴ、それで倒れた。間違いない?」


「……ああ」


「ヒューゴ、このままずっと、目、覚まさない。一生、起きない、かもしれない」


「――そんな。余は、余は……」


 国王は、その顔に絶望を浮かべ、頭を抱えた。

 魔女は、くずおれる国王を気にも留めず、淡々と続ける。


「でも、ヒューゴ、大丈夫。あたい、能力使えば、目を覚ます」


「そうなのか? なら、すぐにでもやってくれぬか?」


「力使う、ヒューゴ、目覚める。けど、悪い魔力、ヒューゴのととに返ってくる。苦しいぞ、受け止める、出来るか?」


 魔女は瞬きもせず、じっと国王を見つめている。

 眠そうな眼は底が見えない。

 魔女が何を考えているのか、全く読み取ることができなかった。


「……元々、余の蒔いた種だ。全て受け入れよう」


「わかった。それから、もう一人、約束してた。どうする?」


「もう一人?」


「ヒューゴのととの、大切なひと。そう、聞いた」


 魔女がそう言った途端、国王の表情が一変した。


「――ヴァイオレット」


 その名を呟く国王の顔は切なげに歪み、焼き切れてしまいそうなほどの苦悶に満ちていた。

 国王にとって、ヴァイオレットがどれほど大切な存在なのか、痛々しいほどに伝わってくる。


?」


「頼む」


「ヒューゴ、ヴァイオレット、どっち、先?」


「ヴァイオレットだ」


「わかった。案内、する、頼む」


 国王は、ヴァイオレットを先に見るようにと即答した。迷いなく。

 魔女を探し出したのも、ヴァイオレットを見るように頼んだのもヒューゴだというのに。

 魔女が力を使わないと、ヒューゴが、一生戻ってこないかもしれないのに。


 私はやるせない気持ちになりながらも、先を急ぐ国王と、小走りでついて行く魔女の後を追ったのだった。




 王妃ヴァイオレットの部屋は、先程焼けてしまった国王の部屋の、すぐ隣だった。

 偶然なのか、国王が無意識に制御していたのか、ヴァイオレットの眠る部屋の方向には全く火が回らなかったようだ。


「――すまぬが、他の皆は外していてくれぬか」


「うーむ、承服しかねるのう。また暴走されてはかなわん。せめて扉を開けたままにしてくれんかのう」


「……仕方ない。そうさせてもらう」



 部屋の中には、天蓋付きの大きなベッドが置かれていた。

 入り口からは、ベッドの上で眠る人物の姿は見ることが出来ない。

 国王と魔女がベッドの側まで行くと、魔女は先程と同じように、ベッド上の人物を観察し始めた。


 ややあって。

 魔女は、口を開く。


「このひと、悪いこと、たくさんした。それで、精霊、荒れ狂った。合ってるか?」


「……ああ。それで、彼女は目覚めるのか?」


「もうすぐ、起きる。精霊の力、もうすぐ、元通り。あと、数ヶ月、思う」


「……! そう、か……」


 国王は絞り出すように返答した。

 声には隠しようのない喜色と、深い深い安堵が滲んでいる。


「ひとつ、忠告。もう、精霊悪用する、だめ。心、悪い魔力、蝕まれる。それ、あなたも同じ」


「……ああ。大丈夫だ、もう……必要ないだろうから」


 国王の纏う雰囲気は、一目瞭然に軽く明るくなっていた。

 魔女は、大きく頷く。


「じゃあ、ヒューゴのところ、行くか?」


「――その前に、少しやりたい事がある。息子の元に行くのは、その後だ。食事を用意させるから、しばらくくつろいでいてもらえぬか」


「わかった」


 そう告げると、国王は室内に置かれていた文机に向かった。

 ペンを走らせる音が、すぐさま机の上で踊り出す。


 ずっと漂っていた緊張感もすっかり消え去っているし、この様子なら、放っておいても大丈夫だろう。

 私たちは、魔女と共に、部屋を後にした。




「なんだか、大変なことになっちゃったね」


「……そうだね」


 ぼそりと零した私に、セオが首肯を返す。

 その表情には、皆と同じく疲れが滲んでいた。


「……国王様、ヒューゴ殿下を見捨てないよね?」


 私の呟きは誰に拾われることもなく、いまだ騒めきの残る焦げた廊下へと消えていったのだった。

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