第91話 「はい、あーん」
ロイド子爵家のタウンハウスに到着してすぐに、私たちは義父と挨拶を交わした。
義父は、半年後に私たちが婚約することを認めてくれたのだった。
夜には他家のお茶会に出かけていた義母と弟妹も帰宅。
義母も、義父と同様セオの身分に驚いてはいたが、やはりすんなり受け入れてくれた。
義弟と義妹はセオに興味津々で、特に義弟はセオに色々と質問して困らせていた。
義弟はともかく義妹の方は口数が少なく、以前は自分から話しかけてくることなんてほとんどなかったはずだ。
まさかこんなに喋る子たちだったなんて。
義妹は私をじっと見ていたかと思うと、「お義姉様、ずいぶん明るくなったね」と言って笑顔すら見せてくれた。
弟妹には嫌われていると思っていたので、私は心底驚かされた。
小さい頃、二人にはキツいことを言われて困らされることも多かったのだが、いつの間にかずいぶん成長したようだ。
蓋を開けてみれば、二人は義姉に気を遣うことなくただ正直に思ったことを言うタイプだったというだけの話。
腹を割って話すこともせず、避けてばかりで、家族と真っ直ぐに向き合ってこなかった私が悪かったのかもしれない。
また、子爵家の使用人に問い合わせたところ、カイが言っていたレストランの場所もすぐに判明した。
カイの元へは翌日に訪問することに決め、セオを加えた私たち家族は、久しぶりに夜遅くまで一家団欒の時間を過ごしたのだった。
翌日の昼。
私とセオは、王都の貴族が平民街に行く時に着る、お忍び用の服を身につけて外出した。
行きは、カイのいるレストランの場所を教えてくれた使用人が、子爵家の馬車で近くの大通りまで送ってくれた。
今日は午後から義父が馬車を利用するため、帰りは乗り合い馬車で帰ることになる。
カイの言っていたレストランは、西区の十一番地にある、赤い看板のお店だ。
私にはまだ赤い色が分からないのだが、どうやらかなり目立つお店だったようで、セオがすぐに見つけてくれた。
看板には見たことのない四角い文字と、以前見た
「何て書いてあるの?」
「うーん……僕にも読めないな。海の向こうの文字かもしれない」
開けっ放しの扉の内側からは、普段食べている王国の料理とは異なっている、いい匂いが漂ってくる。
ジュウジュウ、ジャーと何かを炒めているような音と、人々が賑やかに会話する声が聞こえてきて、店が繁盛していることが伺えた。
「入ってみる?」
「う、うん」
普段こういったお店に入ることがないので、私は少し戸惑ってしまう。
だが、セオは物怖じせず、私の手を取ってお店の中に躊躇いなく入っていくのだった。
「すみません、二人です」
「アイヨー! そこのテーブル、使うアルね」
店員の男性はすぐに水の入ったコップとメニューをテーブルに置きに来た。
「お客さん、初めてアルな? 注文する時は手を挙げて呼ぶアルね。支払いは食後、あちらのレジで頼むアルよ」
「わかりました」
店員が去ると、セオはメニューを私にも見えるように広げてくれる。
メニューは流石に王国の言葉で書かれていて、私は一安心した。
「えっと……どれも聞いたことない料理だわ」
「うん……僕も分からないや。おすすめのセットが二種類あるから、一個ずつ注文してみようか」
「そうね。この数字が値段かしら?」
「多分」
「……安くない?」
「この店は、この辺りに住んでる人たち向けだろうからね。――すいませーん」
セオが手を挙げると、店員が注文を取りにやって来る。
「A定食ひとつと、B定食ひとつ。あと、ちょっと聞きたいんですけど――ここの二階に、男性が住んでいると思うんですが」
「ああ、お客さん、うちの雑用係と知り合いアルか? 今、奥で皿洗いしてるからちょっと待つアル」
店員は奥に引っ込み、何やら声をかけたかと思うと、またホールを忙しそうに動き回り始めたのだった。
「……皿洗い?」
「……雑用?」
私たちは、揃って首を傾げたのだった。
「お待たせしましたー、A定、ラーメンセットとB定、チャーハンセットです!」
元気な声と共に料理が運ばれてくる。
その声に顔を上げると、そこには、腰からエプロンを下げた大きな体躯の男性が、ニコニコ笑顔で立っていたのだった。
「カイ!」
「セオドア殿下、パステル嬢、来てくれて嬉しいっす」
カイは料理をテーブルに置きながら、声をひそめて挨拶する。
レストランだからか、流石にノラは一緒ではないようだ。
「カイ、この店で働いてるの?」
「ええ、騎士団の仕事がない時だけ店を手伝うって条件で、二階を安く借りさせてもらってるんすよ。ノラがいるから城の寮には住めないんで。まかない付きでなかなか快適っす」
「そっか……驚いたよ」
「さあ、麺がのびちまう前に召し上がって下さい。セットの餃子は絶品すよ。このタレと、辛いの平気だったらラー油、タレに飽きたら酢を入れて食べてみて下さい。食べ終わった頃にまた来ます」
そう言うと、カイは厨房に下がっていったのだった。
私は、目の前に並べられた、見たことのない料理を眺める。
ネギや肉と一緒に炒められた米は、黄色く艶々に色付いていて、皿の中央にドーム状に盛り付けられていた。
セオの前には、たっぷりした黄金色のスープの中に盛り付けられた、何かの麺が置かれている。
黄色く細い麺の上に並べられた具材と、透明なスープは、どこか芸術的ですらあった。
そしてどちらの定食にもついているのが、片面にだけ焦げ目のついた、薄い生地で具材を包んだ食べ物だ。
小皿のタレにつけて恐る恐る食べてみると、カイの言った通り、まさに絶品だった。
肉汁と野菜の甘み、もちもちした皮が後をひく。
「熱っ」
セオは、麺で火傷したようだ。
ふうふうしながら食べている。
私も、謎の米料理をひと匙、口に運んだ。
程よい塩気と、米の甘みが口の中に広がる。
「あ、これ美味しい。セオも食べてみる?」
「いいの?」
「うん。はい、あーん」
私は陶器で出来た深めの匙に料理を取り、セオの口元に差し出した。
セオは驚いたようで、一瞬固まっていたが、恥ずかしそうにしながらも口を開けてくれた。
「……うん、美味しい」
セオは、美味しいわりには恨めしそうな表情で、私を見ている。
「こっちも、食べる? 熱いから、あーんは出来ないよ……残念だけど」
そう言って、セオは器ごと私の方へそっと差し出す。
「え? あ、ありがとう」
微妙に恥ずかしい空気になりつつも、私たちは食事を平らげたのだった。
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