第90話 「ロイド子爵」


 私たちは、十一番地から乗り合い馬車に乗り、南区の七番地に到着した。


 七番地は子爵位を持つ貴族に割り当てられた番地で、そこそこの広さの屋敷が並んでいる。


 ロイド子爵家のタウンハウスは、その中の一角にあった。


「ここよ。ちょっと待っててね」


 私が門番に声をかけると、すぐさま扉が開き、屋敷の中へ通される。


 あいにく、義母と義妹、義弟は他家で催されているお茶会に出席しており、留守のようだ。


 義父は執務室にいるようだったので、私とセオは応接室でそのまま義父を待つことになった。


 タウンハウスに来るのは、久しぶりだ。

 私はいつも領地で留守番していたから、数年ぶりだろう。


 何となく落ち着かずに視線を彷徨わせていると、隣に座るセオが心配そうに私の顔を覗き込んできた。


「パステル、大丈夫?」


「え? なにが?」


「緊張してる?」


「……うん、少しね。ここに来るのも久しぶりだし、これからセオのこと、紹介するんだって思うと……」


 私が少し俯くと、セオは私を励ますように、手を重ねた。

 セオの手はいつも通り温かい。


「大丈夫だよ、きっと」


 すぐに離れていってしまった手を名残惜しく目で追いかけていると、ちょうど応接室の扉がノックされ、義父が部屋に入ってきた。


 私はすぐに意識を引き戻し、ソファーから立ち上がったのだった。




「お義父様、突然訪ねてきてごめんなさい」


「いいんだよ、ハニー。ここも君の家なんだから、そんなに畏まらないでくれ」


 私が頭を軽く下げると、義父は苦笑いを浮かべて、そう告げた。


 義父は、私が自分の名を好きになれずにいたことを知っていて、私のことをハニーと呼ぶ。

 今でこそパステルの名を受け入れることが出来たが、セオと出会わなかったら、今もまだ自分の名を好きになれていなかっただろう。


 義父はロイド子爵家の現当主で、亡くなった父の弟だ。

 父デイビッドと同じ茶髪に灰色の瞳だが、垂れ目がちで優しい印象の父よりも、キリッとした顔つきである。


 義父は、目に緊張を宿しながらセオに視線を向けると、硬い口調で問いかけた。


「それで、そちらは――?」


「申し遅れました、セオドア・シエロ・エーデルシュタインと申します」


「エーデル……もしかして、聖王国の関係者の方で?」


「お義父様、セオは元聖王フレデリック様の孫で、聖王国の王族なの」


「こ、これは失礼致しました」


 義父は慌てて最敬礼を取り、セオも慌ててそれを制止した。


「子爵、頭をお上げ下さい。どうか畏まらず、普段通りになさっていただけませんか。

 ――改めまして、この度は突然お訪ねしてしまい、申し訳ございませんでした」


「と、とんでもございません。あの、どうぞお掛けになって……」


 ――なんだ、私とお義父様だけじゃなくて、セオも緊張していたんじゃない。

 喋り方も表情も、普段に比べてカチカチだ。


 私は、よく知る二人がお互い変にそわそわして丁寧な態度になっているのが面白くて、さっきまでの緊張も少しだけ解けたのだった。




「それで、お義父様。手紙に書いた婚約の件だけれど……」


「も、も、もしかしてお相手はセオドア殿下? ハニー、王族に輿こし入れするのかい?」


「うん、そうみたい」


「なんてこった……」


 お義父様は額をばちんと叩き、ソファーにぼすんと背中を沈める。

 いつものことながら、リアクションが大袈裟だ。


 セオもどう反応していいのか分からずに、目を瞬かせている。


「ちょっと、お義父様」


「す、すまないね、つい」


 私が咎めると、義父は身を起こして、座り直す。


「それで、セオドア殿下、ハニー。二人の気持ちは、決まっているんだね?」


 私とセオは互いに視線を交わして微笑み合い、義父に向き直って同時に頷く。

 義父にはそれで充分伝わったようで、義父は満面の笑みを浮かべた。


「――ああ、とってもスイートだねえ。分かったよ。二人で決めたことなら、私は大賛成だよ。

 ただ……正式に婚約を結ぶのは、あと少しだけ待ってもらえるかい?」


「え? 何かあるの?」


「ああ。兄上からの遺言でね。ハニーが成人を迎えるまでは、婚約を結ばないようにって言われているんだ。

 まあ、その真意は『本人の望まない婚姻を、周りが勝手に結んだりするのはやめろ』ってことだと思うけど。

 でも、遺言書に書いてあったからね、反故にするわけにもいかないんだよ」


「遺言書が残ってたの?」


「驚くことじゃないよ、ハニー。貴族家の当主は、生命の危機があろうとなかろうと事前に遺言書をしたためておくのが普通なんだ。

 家族のこと、領地のこと、他家との付き合いのこと……私は出来るだけ、兄亡き後も兄の意向に沿いたいんだよ。

 ――優しく素晴らしい兄だった」


 義父は、悲しそうに目を伏せた。


 今まで、義父が自分から父のことを話すことはなかったから、少し不思議な気持ちだ。

 あまり話したくなかったのかと思っていたが、義父もトマスと同じく、私に気を遣って話さなかっただけなのだろう。


「そういう訳ですから、セオドア殿下。この子は、次の誕生日で十五歳、成人を迎えます。

 誕生日は半年後ですので、あと半年だけ、待っていただけますか?」


「もちろんです。――ロイド子爵」


 セオは真剣な声で義父の名を呼ぶと、おもむろに立ち上がり、深く深く、頭を下げた。


「――ありがとうございます。僕、パステルを必ず幸せにします」


 セオの真剣な言葉に、義父は一瞬息を詰めた。

 義父もその場に立ち上がって、セオと同じように深く頭を下げたのだった。


「――この子を、よろしくお願いします」


「……お義父様……セオ……ありがとう」


 涙ぐんでしまった私に、義父の顔もくしゃりと歪む。


 これで、あと半年待てばセオと一緒になれるのだ。

 義父が許可してくれたなら、義母も弟妹も問題ないだろう。


 思ったよりスムーズに報告が終わり、一安心である。

 義父よりトマスの方がずっと厳しかった。


 セオは私と義父が落ち着くまで、ただ静かに見守ってくれている。

 穏やかな春の陽射しのように、優しくあたたかな慈愛がふたつ。



 ――お父様、お母様。

 セオのお父様、お母様も、遠くで見てくれているかしら。

 私は今、こんなに幸せよ。



 心の中、どこか遠くで、ような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る