第86話 「エルフ」
「それからぁ、ハルモニア様、ハーフエルフなんだぁ」
ししまるの言葉に、セオは目を丸くした。
そんな反応もお構いなしに、ししまるは続ける。
「エルフさんたちは、森が大好きで、森と一緒に生きていく。本来、森から力を分けてもらうことで生きる気力が湧くんだぁ。
だからハルモニア様も、他のエルフさんみたいに、本当は森で静かに暮らしたいんだってぇ。
アルバート王子様もクォーターなんだけど、隔世遺伝でエルフの血が濃いから、本当は街よりも森の中で暮らしたいんだってー」
エルフという単語に聞き馴染みがなかった私は、ししまるとセオに交互に目をやり、尋ねた。
「エルフって、何?」
「エルフっていうのは、森の精霊の血を引く種族だよ。妖精に近い存在で、人間に近い姿をしてる。ほとんどのエルフは森に住んでいて、街に出てくることはごく稀だって聞くよ」
「森の精霊って、イーストウッド侯爵やセオのお父様に加護を授けている、森の精霊?」
「どうかな。森の精霊は六大精霊と違って、何人もいるからね」
「そうなんだ……精霊の血を引く種族、かぁ」
精霊と、人との間に生まれた種族。
私にとって精霊は手の届かない、違う次元にいる存在だ。
そうやって人と交わるような精霊がいたなんて、思いもしなかった。
「エルフ以外にも、精霊の血を引く人型の種族はたくさんいるんだ。
……それにしても、ハルモニア様たちがエルフの血を引いてたなんて、知らなかった。大神官は普通の人間のはずだから、ハルモニア様の母親がエルフってことか」
「メーアお姉ちゃんも知らなかったんだってぇ。馬車の中で一生懸命お話をして、やっと話してくれたんだってー」
十五日間にも及んだ馬車の旅だ。
しかも、メーアはずっとアルバート王子と同じ馬車に乗っていた。
長年のわだかまりも、少しは解けたのだろうか。
遠くから見える度、疲れた表情をしていたメーアが気になっていたが、旅の間は結局、接触することは出来なかった。
「話を戻すけど、アル兄様は結局、政治には興味がないってこと? つまり、帝国を乗っ取る意思はないの?」
「そうみたいだよぉ。聖王様はそのつもりだったのかもしれないけどぉ、王子様は王子様で自分の好きなようにしてたみたい。
どっちかっていうと、色々調べて回ってたのは王子様の従者さんみたいだよぉ。
王子様的には帝都はお気に入りの場所だし、お父さんに怒られるのも嫌だから、メーアお姉ちゃんとの婚約もそのままにしてたんだってぇー」
「ふふ、怒られるのが嫌って……なんか想像と違うわ」
「あっはっはぁー、ぼくも怒られるの嫌だから、気持ちはわかるなぁー」
私も怒られるのは嫌なので、ししまるに同意するが。
アルバート王子が意外と子供っぽい人物なのか、マクシミリアンが余程怖いのか、あるいはししまるの言い回しでそうなっただけなのか。
私は、何となく気が抜けて笑ってしまった。
そこにセオが、疑問を呈する。
「アル兄様はいつも城下に出てたけど、城下にお気に入りの場所でもあるのかな?」
「帝都の近くに大きな森があってぇ、そこにエルフの仲間が何人か住んでるらしいよぉ。いつも、帝都に来ていた時は森に入り浸りだったみたいだよぉー」
「だから尾行しても撒かれちゃってたのか。森に入ったエルフを見つけるのは、人間には難しいからね」
「そういうことぉー」
セオは納得したようで、大きく頷いた。
だが、まだ表情は完全に晴れてはいない。
「メーア様はアル兄様を懐柔出来そうだって手紙に書いていたけど、アル兄様の従者の立場もわからないし、まだ完全に信頼出来るわけでもなさそうだね。お祖父様たち、大丈夫かな」
「うーん……」
「きっと、だいじょーぶ。何かあったら、ハルモニア様からぼくに連絡があるはずだよぉ。メーアお姉ちゃんもいるしぃ、フレッドおじいちゃんも『ワシはTUEEEから大丈夫じゃ』って言ってたしぃー」
「つえ……何て?」
「わかんないけど、とにかく心配ないよぉー、きっと。
それに、ハルモニア様は自分のそばにいる妖精を介さないとおしゃべり出来ないから、あんまりアルバート王子様と込み入ったお話をしたこともなかったみたいなんだぁ。だから、王子様がそういう気持ちだったことも知らなかったんだって。
今回メーアお姉ちゃんからお話を聞いて、ハルモニア様も王子様も、お互いちゃんとお話しするって約束してくれたみたいだよぉ」
「そっか。メーア様が、王妃様と王子様の仲を繋いでくれたのね」
「そうだよぉ。だから、きっと大丈夫ぅー」
心配ではあるが、今私たちに出来ることは、無事を祈ることだけだ。
私たちは私たちで、情報屋と接触する予定もある。
変に気を取られることなく、目の前のことに集中して行動しなければならない。
ししまるの話を聞く限り、幸いにも風向きは少しずつ、こちらに向き始めているようだ。
静かになった馬車の中で、セオも、私も、考えに耽りはじめたのだった。
それからしばらくの間、静かな旅路は続き、私たちは干し草の束に寝転がっていた。
ふかふかの干し草に囲まれて馬車に揺られていると、徐々に眠くなってくる。
ししまるも喋り疲れたのか、丸くなってすやすやと寝息を立てている。
私は、寝返りを打ってセオの方を向くと、手をそっと重ねた。
「……パステル?」
セオは驚いたのか、美しい金色の瞳をこちらを向け、小さな声で私の名を口にする。
「ふふ、セオの手、あったかい。こうしてると、安心する」
セオは、重ねた手をきゅっ、と握り返してくれる。
愛しいひとの手は温かくて心地良くて、私はうっとりと目を閉じた。
「眠い?」
「……うん、ちょっとだけ……」
優しく囁きかけるセオの声に、私は重くなってきた瞼を開く。
セオは、手を繋いだまま、こちらを向くように体勢を変えた。
セオの柔らかい微笑みが近くなり、私も笑みを返す。
「おやすみ、パステル」
「おやすみ……」
セオは、反対側の手で頭を撫でてくれる。
その心地良さに全てを委ねて、私は瞼を閉じたのだった。
ふと、目を覚ました。
眠っていたのは、ほんの少しの間だったようだ。
セオは私と手を繋いだまま、眠っていた。
長い睫毛は白い頬に影を落とし、規則正しい寝息が聞こえてくる。
心の奥底から、ぽかぽかとした幸せな気持ちが湧き上がってくる。
私は再び目を閉じて、ただ静かに、祈った。
願わくば、この穏やかな時間が、出来るだけ長く続きますように――。
そうして短い馬車の旅を終え、私たち二人と一匹は、セオの魔法で空の旅へと出かけたのだった。
目的地は、ひとまずロイド子爵家、領地にあるマナーハウスだ。
今後、私たちは私たちで情報を集めなくてはならない。
頼りになるフレッドやメーアとは別行動になる。
不安はつのるが、自分たちに出来ることを、ひとつずつ着実にこなしていくしかないのだ。
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