第58話 「元気を分けてね、王子様」


 チュン、チュン……


 小鳥のさえずる声と、柔らかい朝の日差しで、私は目を覚ます。


「ん……、痛っ、うー、筋肉痛……」


 ソファから身を起こそうとしたが、身体のあちこちが悲鳴を上げている。


 昨日は色々ありすぎて、なんだか現実感がない。

 だが、この身体の痛みと、視界に映る物全てがモノクロだという事実が、昨日の出来事が現実であったと証明している。


「セオは……まだ寝てるのね」


 セオは、昨日寝かせたベッドでまだ眠っているようだ。

 私は、ギシギシと軋む身体にむちをうって、セオの様子を見に行く。


 だが。


 ――様子が、おかしい。


 セオは、玉のような汗をかいている。息もどこか苦しそうだ。


「う、嘘よね? セオ、起きてよ。ねえ、セオ……?」


 私は、震える手でセオの額に触れる。


 ——セオは、高熱を出していた。


「ねえ、目、覚めるよね? ね、セオ?」


 声をかけながら身体を軽く揺らしてみるが、セオは反応しない。


「ねえ、セオ……! いつもみたいに、おはよう、パステル、って……言ってよ」


 私は、その場にへなへなと座り込んだ。


 突然、鉛のように重くなった手を持ち上げる。

 セオの頬に触れて、震える声を喉の奥から絞り出す。

 どうか、瞼を開けて、笑いかけてほしいと願いながら。


「あのね、セオ。昨日ね、私、セオが眠ったあと、頑張ったんだよ……木のお化けが出て、怖かったけど、セオを助けたかったから……ぐすっ……、ここまで、来れたんだよ」


 だが、セオが目を覚ます気配は全くない。

 枕元に置いてあったタオルで、セオの汗を拭う。

 視界はもう、滲んでいるどころか、すっかり歪み切っていた。


「ラスさんも、クロース様も、乙姫様も……ひっく、助けてくれたのよ。みんな、待ってるよ……」


 昨日の乙姫の言葉が、耳の奥に蘇る。


『――明日になって、もし熱が出てしまったら、残念ながら彼はもう目覚めることはないでしょう』


 ――嘘だ。そんなの、だって、あんまりよ……。


『――闇の精霊か、第七の精霊ならば彼を救える可能性があります』


 ……闇の、精霊。


 そうだ、あの時、乙姫はヒントをくれていた。

 まだ、まだ道は閉ざされてない。


 私は、袖口で乱暴に涙を拭いた。

 頭が、徐々にクリアになる。

 乙姫の声が、よりはっきりと蘇る。


『――川を遡った先、墓碑をお調べなさい。闇の精霊に会えるかもしれません』


「……墓碑」


 行くしかない。

 泣いている暇はない。

 今、セオを助けられるのは、私しかいないのだ。


「セオ、ちょっと待っててね。絶対、助けるからね」


 涙はもう、止まっていた。

 身体は痛むが、そんなことはもう気にならない。


「その前に、少しだけ……元気を分けてね、王子様」


 燃えるように熱い額にそっとキスを落として、私は駆け出していった。



 野原を横切り、灰色の木立を抜ける。

 かつては馬車も通れた小道は、今はもう細くなって雑草に覆われている。

 目指す先は、幼い頃に滞在した別荘のあった場所だ。

 そこに行けば闇の精霊に会える。

 ――確証はないが、確信していた。



 かつて、ロイド子爵家一家と聖王国の王族一家が滞在していた別荘は、跡形もなく消え去っていた。

 その代わりに、小さくいびつな墓碑が四つ、ぽつんと建てられている。形もバラバラで、墓碑銘も誰かが手作業で掘った物のようだ。


 私は、それぞれに刻まれた墓碑銘を、一つ一つ確かめていく。


「……デイビッドお父様、アリサお母様……それに、オリヴァー様、ソフィア様」


 オリヴァーという名に心当たりはないが、恐らくセオの父親だろう。


「ここで、みんな、命を落としたのね」


 墓碑を建てたのは、エレナだろうか。それとも、セオの関係者だろうか。

 私は、四つの墓碑の前で膝をつき、目を閉じて祈りを捧げる。


「お父様、お母様。セオのお父様、お母様。私もセオも、大きくなって、再び出会うことが出来ました。けれど、私のせいで、セオは……セオは……」


 固く閉じた双瞼から、再び涙が溢れてくる。

 薬をかける前に、傷口を消毒していれば。

 そもそも、あの時、庭になんて行かなければ。

 エドの前で、もっと上手に立ち回ることが出来れば……。


「……私、どうしたらいいですか……? ソフィア様、闇の精霊様は、どちらにいらっしゃるのでしょう。どうか……どうか、セオを助けるために、私に知恵を貸していただけませんか……? お願い……」



 その時。



「――後悔しているのか?」



 私の頭の中に、深く包み込むような声が響く。


「……はい。とても」


 私は、目を開ける。だが、そこには何もない暗闇が広がっているだけだった。


「力が、欲しいか?」


 先程よりも、声が近く感じる。だが、話している相手の姿は見えない。


「力、とは……?」


「闇の力だ。過去へと戻る、一度限りの特別な力。お前を傷付けた者に復讐するもよし、何もかも無かったことにするもよし、何かが起きる前に全て壊すもよし」


「闇の精霊様……ですか? お願いです、力をお貸しいただけますか」


「条件も対価も厳しいぞ。それでも汝は、闇の力を望むか」


「はい」


 深い声は、徐々に距離を詰めてくる。闇の精霊の姿はまだ捉えることは出来ない。


「くくく……戻った先で後悔することがあっても、二度は手を貸さぬぞ」


「……大丈夫です」


「汝、戻りし先で何を望む」


 深い深い声は、今や耳元で聞こえていた。吐息を感じられるほどの距離だ。しかし、その姿はまるで見えない。


「私は――」





◆◇◆




 穏やかな昼下がり。

 ここは、ロイド子爵家の自室だ。


「……うーん……」


 ソファで微睡んでいた私の耳に、澄んだ美しい声が届き、私はすぐさま覚醒する。


「……パステル……?」


「セオ……良かった。目が覚めたのね」


「あれ? ここ、パステルの部屋? 僕、どうしてた……?」


 セオはまだぼんやりしているようだ。

 私はセオの寝ているベッドのそばまで、ゆっくり歩いていく。


「ふふ、セオ、熱を出して眠ってたのよ。昨日ノエルタウンから戻ってきて、丸一日近くね」


「……え?」


「うん、熱はもう下がったみたいね。良かった」


 私はセオの額を探り当て、自分の額と熱を比較する。

 もう、すっかり良くなったみたいだ。


「……パステル、何をしたの」


 突如、セオの声が冷たく変わった。

 何か悪いことをしてしまっただろうかと、私は額に当てていた手を引き、小首を傾げる。


「え? 何って……なにも」


「……嘘だ」


 セオは、ぱしりと私の腕を掴む。その声は、震えていた。


「セオ……どうしたの? ちょっと変だよ? やっぱりまだ熱が」


「……パステル、僕の目を見て」


「……え?」


 私は、逡巡する。やはり、今日のセオは少し変だ。


「……パステル。どうして、目の焦点が、合ってないの……?」


「やだなぁ、やっぱり今日のセオ、変だよ。だって、セオも知ってるでしょ?


 ――私は、生まれつき、盲目よ」



 セオが、目の前で息を呑んでいる気配がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る