第48話 『特別』
パチパチと、暖炉の火が
隣に並ぶセオは、顔を歪めて小刻みに震えていた。美しい金色の瞳が、暖炉の火を映して揺らめいている。
「セオ……」
「パステル……僕、苦しいよ。悲しいよ……」
「……うん」
私は、セオの頭をそっと抱き寄せる。耳元に口を寄せ、出来る限り優しい声で、囁いた。
「泣いても、いいんだよ」
「……っ」
セオは、大人しく私の腕に収まったまま、ただ静かに震えていたのだった。
しばらくして、セオが落ち着いたのを見計らって、光の精霊クロースが声をかけた。
「落ち着いたか、セオ」
「はい。申し訳ありませんでした」
「いや、仕方ねえよ」
セオはまだ暗い表情をしているが、先程までの震えはもう止まっていた。
「なあパステル。気付いてるか? 光の精霊と闇の精霊は、地水火風の四精霊とは性質が異なるんだ」
「……えっと……」
「パステルは分からねぇか。セオはどうだ?」
「多分、ですけど……地水火風の精霊は物理的な事象を司るのに対して、光闇の精霊は、非物理的な事象を司っているのではないかと」
「うーん、まあ、そうとも言えるな。半分は正解だ。
それで、だ。光って、何だと思う?」
「光……」
セオは、口元に手を当てて少し考えてから、口を開く。
「『幸せの結晶』……光とは、幸せ……?」
「惜しいが、正解じゃない。
俺が司る光は、未来への希望だ。
生きる意味を見出し、生命を繋ぎ、今日よりもっと良い明日を手にする力だ」
「未来への希望……」
「そうだ。そのためには、皆が手を取り笑い合うのが一番いいんだ。
楽しけりゃあ、希望が生まれる。絆で結ばれた人間たちは、より良い未来を作ろうと、手を取り合って努力する。
だから俺は、この地上に住む人間全員を神子にした。それ自体が繋がりとなってこの地を満たし、未来を生み出す」
「人間全員が、神子……?」
「ああ。ただし、全員に力を分けたせいで、一人ひとりの力は弱い。だから、他の精霊の神子とは別物だ。
だが、人間たちは皆、幸せを作る力と、未来を切り拓く力を持ってる。
その力は自分に対してだけじゃない。その力の真価は、他者をも幸せにし、希望を与える力だ」
全ての人に平等に与えられた、光の加護。
人の置かれている環境はそれぞれ違うし、生まれながらに過酷な環境に身を投じている者も沢山いる。
それでも、幸せを感じ、他者を幸せにし、未来への希望を手にする力も権利も、誰しもが持っているのだ。
「俺の祝福を受けた赤ん坊は皆、周りを笑顔にする力を持って生まれてくる。祝福を重ねた子供たちは、他者と幸福を分け合える大人に育つ。
人は根本的に、人に何か喜ぶようなことをしてやるのが大好きだ。自分だけじゃなく、他人を喜ばせることで幸せは何倍にもなる。
……まあ、善悪や倫理はまた別の話だから、時に残酷なこともするがな」
光と闇は、善悪とは違うのか。
私には難しくて理解できないが、光が未来への希望なら、闇は……?
私は、何故か突然、セオの言った言葉を思い出した。
――『一生、大切にする。パステルが、僕にとっての光だから』――
私の考えていることを読んだのだろうか。クロースの優しげな瞳が、こちらへ向いた。
「パステル。自分に正直になれよ。
悩んで先に進めなくなるぐらいなら、自分が望む未来を手にするために、とにかく行動してみることも大事だと思うぞ。
セオのことを信じてみろよ。お前が選んだ、パートナーだろ?」
「あ……」
セオは、隣で静かに頷いている。真剣な眼差しが私を捉えていた。
「セオ、お前も、もっとパステルを信じろ。守られるだけの娘じゃないぞ、こいつは。
下手したら自分から危険に飛び込んでいくタイプだ。ちゃんと話せ。二人ともだ」
セオは、今度はクロースに向かって頷く。私も一緒に頷いた。お互い、きちんと向き合う時だ。
「さて、そろそろ地上に送るぞ。悪いが今日はちいと忙しくてな」
そう言ってクロースは席を立つ。私とセオも後に続いて、ソリに乗り込んだのだった。
翌朝。
目が覚めると、既に日は高く昇っていた。もう昼に近い時間だろう。
エレナは不在だ。テーブルの上に、書き置きがある。野暮用があって出かける、とのことだ。
セオは、魔法の家の中だろう。昨夜は帰りが遅かったから、まだ眠っているのかもしれない。
――セオとはまだ、きちんと話せていない。
だが、クロースに言われた通り、私は自分の望む未来を手にするため、きちんとセオと話す覚悟を決めた。
正直、少し……いや、かなり緊張している。
私は、緊張を振り払うために顔を洗い、紅茶を淹れてセオを待つことにしたのだった。
ポットに茶葉を入れて、お湯を注ぐと、すぐに紅茶の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
この湯沸かし器も、暖房器具も、部屋の明かりも、すべて電気の
電気は火に比べて安全だし便利だが、光の揺らめきやパチパチという小さな音に心安らぐこともない。
私は、この部屋の暖房器具に目を向けた。
箱のような無機質な形で、音もなく均一に部屋を暖めてくれている。
離れても寒くないが、近寄っても温もりを感じない。
私は、クロースが暖炉を使っていた理由が、なんとなくわかったような気がした。
「パステル、おはよう」
突然、後ろから澄んだ声がかかり、私はビクッとしてしまった。
急速に心臓が動き始める。
「あ、セオ、おはよう」
笑顔を作り、振り返って挨拶をする。
セオの顔を見て、鼓動はさらに速くなり、顔には熱が集まってくる。
――セオの美しい金色の瞳は優しく細まり、形良い唇が弧を描いていた。
殆ど完璧な、まさしく王子様のような笑顔だ。
セオに、より一層感情が戻ってきたことが実感できた。
「あ、えっと、紅茶、飲む? よかったら座って待ってて」
「うん。ありがとう」
「ど、どういたしまして」
紅茶を淹れる手がどうしても震えてしまう。指先が、言うことを聞かない。
私はこっそり、深呼吸をした。
セオは、緊張していないのだろうか。
椅子に座ってこちらをじっと見ているセオは、普段と変わりがないように見える。
「パステル、大丈夫? やっぱりまだ、悩んでる?」
やはりセオにはどうしても、気付かれてしまう。
セオは私の心の機微に
私は紅茶をテーブルに置き、もう一度深呼吸をして心を落ち着けると、セオの前の椅子を引いた。
「……あのね、セオ。聖霊様も言っていたけど……ちゃんと、伝えたいの。お話、しましょう」
「……うん」
セオの瞳に、
私は、セオと向かい合って座り、じっと見つめる。
セオも、私の目をしっかり見て、私の言葉を待っているようだ。
私はついに、覚悟を決めた。
「セオ、あのね」
「うん」
「私ね、セオのことが、好きなの」
「……うん」
「友達として、じゃない。もちろん友達としても好きだけど、私、セオのこと、それ以上に想ってる」
「……知ってた」
「……え……?」
予想外の反応に、私は目をぱちぱちと瞬かせる。セオの表情に、特段変わりはない。
セオは、私の想いに気が付いていたの?
いったい、いつから――?
「僕は、パステルにとって『特別』ってこと……だよね?」
「……そう、よ」
「パステルも、僕にとって『特別』だ。だから、同じだよ。僕も、パステルが『好き』」
「それは、その、友達とか仲間とか、そういう意味での『特別』……じゃないの?」
ここでやめておけば良かったのに。
聞かなければいいのに、私はついつい、聞いてしまった。
「違うよ。パステルはパステルだ。僕がパステルに向ける気持ちは、パステル以外には持たない。
お祖父様にはお祖父様に、メーア様にはメーア様に向ける気持ちがあるように、僕がパステルに向ける気持ちは、パステルだけに向く気持ちだ」
「……やっぱり、そうなるよね」
セオは、やっぱりまだ『好き』の意味を正しく理解していないのだと思う。
友愛も、家族愛も、恋愛も、セオにとっては区別がつかないのかもしれない。
――言わなければ良かった。
私は、唇を噛んで
だが。
私は、その後に続くセオの言葉に、更に心を乱されることになるのだった。
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