第43話 「ね、お母さん」
事態が動いたのはその翌日のことだった。
情報屋からの情報と、役場からの情報、両方が入ってきたのだ。
私は、必ずフレッドに同伴してもらうことをセオに約束させ、エレナと共に役場へ行くことにした。
役場に到着すると、先日のサロンに通される。
すぐにポールが重そうな書類の束を抱えて、私たちの元にやって来たのだった。
「エレナ様、パステル様。ご足労いただき、ありがとうございます。今日はテディ様はいらっしゃらないのですか?」
「ああ、ちょっと調子が悪いみたいでねえ。宿で休んでるよ」
「左様でございましたか。発案者のお嬢様に直接お礼を申し上げたかったのですが……どうぞお大事に」
「すまないね、伝えとくよ」
「では、早速ですが……」
ポールは、セオの提案した『参加型のイベント』『商店街の協力を仰ぐ』という案をベースに、企画を立案してきたという。
だが、一番の問題は、やはり流通が乱れ、市場が混乱していることのようだった。
「ほぼ確実に参加してくれそうなのは、
「なら、お菓子のコンテストがいいかもしれないね。店の名が売れれば、イベントを見た観光客に土産用の焼き菓子なんかも売れるだろうし、街の人にも祝祭用のケーキや生菓子が売れるだろう。店にとっても良いことじゃないかい?」
「ええ。その方向で考えています。企画内容ですが、各店舗の
簡易的な調理設備しか用意できないので、自店舗で焼いてきた土台を組み立て、クリームやトッピングで飾っていくというパフォーマンスになると思います。
完成したケーキは見た目を審査した後、切り分けて街の住民や観光客の皆様に試食していただきます」
「予算は大丈夫なのかい? 大きいケーキだと、材料費もかなりかかるんじゃないか?」
「試食と投票の権利を、格安で販売しようと思うのです。ジンジャークッキー数枚分程度の値段で、一口ずつではありますが、パティシエたち自慢のケーキを何種類も食べ比べることができる。
その投票権の売上を、均等に参加店舗に分配しようと思っています。それでも材料費の元を取るまでの金額にはならないでしょうが、出場するパティスリーのマーケット出店料を無料にするという特典も付けます。ステージで結果を出せば、露店での売り上げもかなり見込めることでしょう。
さらに、コンテストに出場すること自体が広告宣伝効果になり、新規顧客の獲得と、長期的な販売促進効果が見込めます」
「なるほどねぇ」
エレナは、しきりに相槌を打っている。
私は、ポールの話を聞きながら、彼のプレゼン能力の高さに驚いていた。
初めて会った時は気が弱そうなタイプに見えたが、意外と有能なようだ。
適切に資料を開きながら、時にイメージ図や数字を利用し、上手い具合にメリットを提示している。
パティスリーにとっては、一日単位で見ると黒字になるかどうかは怪しいが、長期的に考えれば参加するメリットが大きい。
彼らも商売人だ、この案に乗ってくるに違いないと私は確信した。
「パステル、どうだい? あたしは、良いと思うんだけれど」
エレナは、さりげなく私に意見を求めた。
ポールの視線もこちらに向く。
「はい、私も良いと思います。帰ったらテディに話して、改善点がないか訊いてみましょうか?」
「ありがとうございます。そうしていただけると助かります。あとは優勝商品ですが、何かお考えがあるのですか?」
「ええ。今、依頼を出して作ってもらっている所ですから、ご安心下さい。国宝級の逸品になりますよ」
「ははは、それは頼もしいですね。では、何から何まで申し訳ありませんが、よろしくお願い致します。降聖霊祭が無事終わったら、何かお礼をさせてください」
「ふふ、じゃあ考えておきます。ね、お母さん」
「……。あ! ああ、そうだね」
エレナはお母さんというのが自分のことだと気が付かなかったようで、一瞬反応が遅れていた。
恥ずかしそうにするエレナと、可笑しそうに笑っている私。
その様子を見てポールは一瞬首を傾げたものの、急に何か得心したようで、穏やかな笑みを浮かべた。
「良かったですね、エレナ様。養子だとしても、パステル様はちゃんとあなたを母と慕っておいでなのですね」
「え? あ、ああ。本当によく出来た娘だよ」
エレナは頬を掻きながら、私と目を合わせて苦笑いした。
よく分からないが、ポールは感動的な場面にでも出くわしたかのように、うっすら涙まで浮かべて微笑んでいる。
私たちは、それを否定することもできず、微妙に気まずい空気のまま役場を後にしたのだった。
宿に戻る道すがら、エレナは何故か、ずっと黙っていた。
エレナは基本的におしゃべりが好きだから、こんな風に静かにしているのは珍しい。
「エレナ、どうしたの? 何かあった?」
「あ、いいえ、お嬢様。どうかお気になさらず」
「……そう?」
エレナは、慌てて笑顔を作る。
努めて明るい声を出しているようだが、無理に作った笑顔はどこか寂しげだった。
心配ではあったが、私は、それ以上踏み込むことを躊躇ってしまう。
――何故だろう。エレナだけではない。昨日からセオにも壁を感じる。
変わったのは、私なのだろうか。
「あ……もしかして」
私は、その時、あることに気が付いた。
エレナの娘であるイザベラが、普段からエレナをメイド長と呼んでいることに。
――イザベラがエレナを母と呼んでいるのを、私は一度も見たことがない。
それは、イザベラがロイド子爵家に勤める使用人で、エレナが上司に当たるからだと思っていた。
エレナは、ロイド子爵家の家令であるトマスの妻で、同じくハウスメイドであるイザベラの母親である。
だが、イザベラの年齢は私より一回りも上だ。
エレナは確か、私の母の侍女としてロイド子爵家について来たはず。
その後にトマスと出会って結婚したのだから、イザベラと私がそんなに年齢が離れているのはおかしい。
「エレナ……そういうことだったのね。ごめんなさい」
「あら、もしかして、その……お気づきになりました?」
「……うん。さっきの、お母さんって言葉……イザベラのこと、よね?」
「ええ。お嬢様のご想像通りだと思いますよ」
そう、おそらく、イザベラはトマスの連れ子だ。
エレナにあまり似ていないことにも、ようやく合点がいった。
「私には、子が出来なかったのです」
そう言って、エレナは寂しそうにお腹をさする。
「この街で、私は一度、別の方と結婚生活を送っておりました。ですが、私に子が出来ないことが分かり、離縁しました。
お嬢様のお母様がこの街へは戻らず王国へ向かうと聞いたとき、私は一人で旅立とうとされていた彼の方に、自らの意思で同行させていただいたのです。……あの頃は、思い出の残るこの街に、もう帰りたくなかったものですから」
私の前ではいつも明るく振る舞っていたエレナも、たくさんの傷と痛みを抱えて生きてきたんだ。
当たり前のことだが、近しい人であっても、全てを知っている訳ではない。
人の想いを推し量るのは本当に難しい。
「しんみりしてしまい、申し訳ありません。
再婚して出来た義娘にも、母と呼ばれたことがありませんでしたからね。演技の一環であってもお嬢様に母と呼んでいただけて、動揺してしまったのです。
それからは思い出がどんどん溢れてきてしまって……。態度に出てしまうなんて、使用人失格ですね」
「エレナ……」
エレナは、寂しかったのだろうか。悔しかったのだろうか。それとも、怒っただろうか。諦めてしまったのだろうか。見てみぬふりをして誤魔化してきたのだろうか。
私には、エレナがどんな気持ちだったのか、分からない。本人ではないから。
昨日から感じていた壁の正体を、私は何となく、ぼんやりと理解した。
上手く言葉に出来ないし、適切なことはきっと言えない。
だが、それでもエレナに声をかけずにはいられなかった。
「……あのね、私には、お母様が三人いるのよ」
「お嬢様……?」
「私は、本当のお母様のことはほとんど覚えていないし、今のお義母様は弟や妹と一緒にいることが多いから、あまりよく分からないの。二人のお母様より、エレナと一緒だった時間の方がずっと長いわ」
私は、想いを込めて、エレナをしっかり見つめた。
エレナがどう思うかは分からないが、自分の気持ちだけは、伝えないといけない。
「一昨日も言ったけど、私はエレナのこと、お母様だと思ってるよ」
慰めではない。
むしろ、子を産めなかったエレナにはこの言葉は残酷かもしれない。
けれど、この言葉は私の本心だ。
本心を、誠意を込めて伝えれば、きっと――
「お嬢様……ありがとうございます」
――そう、伝わる。
きらきらと輝く幸せの粒が、涙ぐむエレナの周りに溢れ出したのだった。
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