第31話 「サーカス」



 結局、私たちが水の神殿に行くのは、事件から一週間ほど後の日付に決まった。


 理由は二つある。


 一つは、水の精霊が落ち着き、安全に私たちを迎える準備が整うまで少し時間が必要だったため。

 もう一つは、メーアとルードが多忙で、予定を合わせるのが難しかったためだ。



 あの時、フレッドの力の届く範囲は岩の壁で被害を食い止められたが、津波は川を遡上そじょうし、中流付近で洪水被害をもたらしていた。


 幸い、下流に位置する帝都を除いて川沿いに大きな街は存在しなかったので、人的被害はなかった。

 だが、中流付近は帝都の食を担う穀倉地帯となっている。


 秋ももう深まっているので収穫自体はほとんど終わっているようだが、海の水には塩が含まれる。

 今後土地を元通りにするには、かなりの時間がかかりそうだ。



 メーアは皇女として、分単位で公務が詰め込まれている。

 補償や復興だけではなく、食糧難に備えて他国との貿易の準備や法整備、壊れた堤防や橋の修理など、課題は山積のようだ。


 ルードは教会の神官長として、困っている民の相談に乗ったり、祭祀を行ったり、慈善事業を計画したり、こちらもかなり忙しそうである。

 また、当然川の生態系にも影響があったようで、ルードは『川の神子』としての務めにも追われているらしい。



 さらに、今回の事件で、これまで身を隠していたフレッドの生存が明らかになった。

 今はまだ帝国内の一部の人間にしか知られていないが、聖王国に噂が届くのも時間の問題だろう。


 フレッドと聖王国の間に何があったのかはわからないが、身を隠していたのには何か理由がありそうな気がする。

 フレッドは何度か皇帝陛下と謁見をしたようだが、どのような会話があったのかは、私の与り知らぬところである。




 そういう訳でフレッドもなかなか多忙で、私とセオはのんびりと、帝都観光を楽しんでいた。


 帝都自体は、あの事件で被害をほとんど受けなかったため、今までと変わらず賑わっているように見える。

 だが、やはり街を歩いていると、そこかしこから事件に関する噂話や、不安の声が聞こえてくる。



 今日は、セオと一緒にサーカスの公演を見に来ている。

 なんと、アシカの妖精ししまるが、私たちを招待してくれたのだ。


 帝都の中央広場に張られた天幕をくぐると、開演を待つ家族連れや観光客で賑わっていた。


 このサーカス団は国内を巡業していて、帝国中で人気なのだそうだ。

 本拠地はずっと昔から帝都に構えているらしく、帝都の住民にも長年親しまれているということである。


 私たちも、招待客用に用意されていた座席に着いて、開演を待つ。


「セオはサーカス、見たことあるの?」


「いや、初めて。帝都に来た時はいつも、観光なんてしなかったから」


「そっか、楽しみだね」


 しばらくして、サーカス団の団長がスポットライトに照らされて、舞台に上がってきた。


 団長の挨拶が終わると、団員たちが次々に現れ、技を披露していく。

 出演者たちが軽快な音楽に合わせて曲芸や手品を次々と繰り出していくのを見て、大人も子供も皆、夢中になって目を輝かせている。


 また、髪の色が三色のグラデーションになっている団員がコミカルな動きでパントマイムを披露しているのを見て、メーアが私を大道芸人と言った事にも納得がいったのだった。


「さてさてお次は、うちの看板アシカ、ししまるによるパフォーマンスです! 奇跡のアシカによる最高のショーを、とくとご覧あれ!」


 司会者のその言葉に、わぁぁ、と会場が盛り上がる。

 どうやらししまるは、相当な有名人……もとい、有名アシカだったらしい。

 ししまる目当てで公演を見に来ているお客さんもいるようだ。


 上手に玉乗りを披露しながら、ししまるがステージに入ってくる。

 今日は水のボールではなく、三色にカラーリングされた大きなゴムボールに乗っかっていた。


 ししまるは、大きなボールの上でバランスを取りながら、団員が次々と投げる輪っかを、上手に頭にくぐらせて受け止めている。

 その後も音楽に合わせてダンスを披露したり、ヒレや頭突きを駆使してキャッチボールをしたりと、大活躍であった。


 ししまるは最後に、ヒレを振るように動かしながらステージの外周をぐるりと一周し、舞台裏にはけていった。


 会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれている。


 お客さんたちは、ししまるが妖精だということには全く気付いていないようだった。




「すごかったね! ししまる、大人気だったね」


「えへへ、ありがとー、パステルお姉さん」


 公演を終えた後、私はサーカス団の団長の部屋に招かれていた。

 他の団員は後片付けをしていて、この場にいるのは私、セオ、ししまる、そして団長とその娘だ。


 先月一歳になったばかりなのだという団長の娘さんは、父親に抱っこされて気持ち良さそうに眠っている。

 私たちは、娘さんを起こさないよう、小さな声で会話を続けた。


「団長さん、本日はお招き下さって、ありがとうございました。サーカスは初めて拝見しましたが、本当に素晴らしかったです」


「いえいえ。楽しんでいただけたようで、何よりです。それに、ししまるに聞いて、直接お礼を言いたかったのです。御二方には、私の娘に代わって帝都を救っていただき、心より感謝しております」


「えっと……?」


「あ、失礼。うちの娘、今代の『滝の神子』に選ばれたんですよ。ですがこの通り、まだ小さいですので、力を使いこなすことが出来ないのです」


「そうでしたか……。『滝の神子』は幼い子だと伺っていましたが、団長さんの娘さんだったんですね」


「ええ。『滝の神子』は代々、うちのサーカス団に生まれた子供から選ばれます。この子が生まれる数ヶ月前に亡くなった先代の『滝の神子』も、このサーカス団の団員だったんですよ。ししまるは、その先代の頃からこのサーカス団に在籍してくれている、大先輩なんです」


 そう言って、団長がししまるに笑いかけると、ししまるは水で出来たボールの上で、ぴょんぴょん跳ねた。

 とっても嬉しそうだ。


「えへへ、ぼく、だいせんぱいだよぉ。それってぇ、すごいんだってー。だいせんぱいがどういう意味かはわかんないんだけどねぇ」


「うふふ、すごいんだね、ししまる」


「ぼく、だいにんきー」


 私たちはしばらく笑いあって、その場を辞した。

 ししまるは本当に大人気のようで、その絵姿が天幕の外にあるお土産売り場で売られているほどだった。


 帝都でこれだけサーカスが親しまれているからこそ、あの事件の日にししまると私が道を堂々と歩いていても、人々の目に留まらなかったのだろう。

 きっと道行く人には、サーカス団の団員がアシカを連れて歩いているようにしか見えなかったはずだ。




「すごかったね、サーカス。お客さんもみんな笑顔だったね」


 中央広場から宿へと戻る道で、興奮冷めやらぬまま、セオに話しかけた。

 セオは私と目を合わせて、こくんと頷く。


「こういう事件があった時こそ、サーカス団の仕事が重要になるんだって、団長さんは言ってた」


「そうかもしれないね」


 皆が不安に思っている時や疲れている時に、心安らぐひと時を提供する。

 それは人々の心にとって、非常に重要で尊い仕事なのだ。


 サーカスや演劇、音楽、絵物語などの娯楽産業は、人々が前を向いて進むための活力になる。


 帝都は、そんな活力に満ちた街だからこそ、こうして発展しているのかもしれない。


「あっ」


 その時、強く吹いた海風が私の帽子を飛ばした。

 考え事をしていて、帽子から手を離してしまっていたのだ。


 帽子は運良く近くの木に引っかかり、セオが風の魔法でさっと取ってくれた。


「ありがとう、セオ」


「どういたしまして」


 私がセオから帽子を受け取っていると、少し離れた所から親子連れの会話する声が聞こえてきた。

 小さな女の子が、私の方を見て指差している。


「ねえねえママー、あのお姉さん、ししまるのサーカスの人かなぁ? きれいな髪だねー!」


「きっとそうね、綺麗ねぇ」


「わたしも、大きくなったらあのお姉さんみたいな髪にしてもらって、サーカスに出るのー!」


「あら、それは素敵ね。きっと似合うわよ」


 親子は、ニコニコしながら歩き去っていく。

 指を向けられた時は一瞬身構えてしまったが、あの二人の会話には何一つ嫌な感情が含まれていなくて、私は不思議な気持ちになった。


「パステル?」


「セオ、私……不思議な気分」


「言ったでしょ? パステルの髪、綺麗だって」


「そう……なのかな」


 セオもメーアも、先程の親子も、他意はなさそうだった。

 だが、この髪色は、色の視えない目と同じく、長年私を苦しめてきた元凶なのである。

 すぐに自信を持つことなんて出来る筈がない。


 ――それでも、絡まった糸が少しずつ解けていくように、私の心を雁字がんじがらめにする何かが、ほんの少しだけ解けたような気がしたのだった。

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