第30話 「世界が、彩られていく」



 川と海の妖精たちを見送った後。

 私は、セオを挟んでメーアと三人、砂浜に座っていた。

 波はすっかり穏やかになっていて、先程までの荒れ模様が嘘のようだ。


 フレッドとルード、騎士たち、亀の妖精きすけは、少し離れた所で私たちを見守っている。

 目には入るが、会話は聞こえない距離だ。


「メーア様、お身体は大丈夫ですか?」


「ええ。魔力が切れただけで動けなくなったりはしないのよ、本当は。ただ……城に戻りたくなかっただけ」


 私は、メーアと初めて会った時も、『サボり』と言って従者から逃げていたことを思い出した。

 皇女ともなると、公務や勉強も忙しいだろうし、その重責に息が詰まることもあるだろう。


「あなた……パステル、だったかしら」


「はい」


「……ごめんなさい、パステル。私、あなたに嫉妬していたの」


「え……?」


 私は、らしくないメーアの言葉に、耳を疑った。


 美人で、皇女で、『海の神子』でもあるメーア。

 私からしたら、彼女は何でも持っているように見えるのだが、そんなメーアでも嫉妬なんてすることがあるのだろうか。

 それも、他でもない私に。


 メーアはこちらには一切顔を向けずに、遠くの海を眺めている。

 セオもメーアの方を見ていて、その表情をうかがい知ることは出来ない。


「砂浜で、あなたとセオが話している時、セオは私が見たことのない表情をしていたわ。その綺麗な虹色の髪も、飾らない笑顔も、羨ましかった」


「……羨ましい、ですか……? この髪が……? だって、あの時」


 メーアは、この髪を見て、大道芸人なのか、どうやって染めたのかと言った。

 あの時、私に冷たい視線を浴びせ、馬鹿にしていたではないか。


 羨ましい? 綺麗?


 私には、メーアの言葉の意味が全く分からなかった。


「……ええ。ついつい憎まれ口を言ってしまって、ごめんなさい。可愛くない性格なのは、自分でも分かってる。あなたがセオにとって大切な人だというのが、どうしようもなく、辛かったの」


 メーアは遠くの海を見ながら、眉を下げ、顔を歪めた。


 セオは、メーアから視線を外し、正面を向いてうつむいた。

 強い感情を目の当たりにして、セオも戸惑っているのだろうか。


「……私は、本当は弱い人間よ。けれど、国のトップに立つ以上、それは見せられない。常に胸を張って強い女を演じていないと、すぐに足元を掬われてしまうわ。純粋で素直でいられて、好きな人の側で過ごせるあなたが……羨ましかった」


 その時、私は気付いたのだった。

 メーアの視線が宿していたのは、侮蔑ではなく嫉妬だったということに。


 今まで私は、誰かに嫉妬されたことも、羨望を浴びせられたこともなかったから……今の今まで、わからなかった。


「あなたとセオが城に来た時、私はセオを貶めることを言った。あなたはそのことで、皇女である私に物怖じもせず、本気で怒ったわね。すごい勇気だったわ。無謀とも言えるかしら?」


「あ、あの時は、申し訳ございませんでした」


「いえ、もういいの。私ね、その時、『あ、負けたわ』って思ったのよ。私の気持ちより、あなたの気持ちの方が強かった。セオも、すぐにあなたを庇ったしね。だからその場で正式な書類を書かなかったのよ。こうなることが分かっていた……いえ、私がのかもしれないわ」


 メーアの表情は、先程の辛そうな表情から一転して、この上なく穏やかである。


「セオ」


「……はい」


「私ね、本当にあなたのこと、好きだった。私を色眼鏡で見ない、唯一だったから」


 メーアの気持ちは、なんとなく、わかる気がする。

 セオは、何の先入観も持たずに相手を真っ直ぐに見て、向き合ってくれる人なのだ。


「だけど、好意を伝えても、楽しく遊んでも美味しい物を食べてもどこへ行っても、あなたは表情を崩さなかった。それで小さい頃の私は……意地悪をすればあなたの表情が変わるかも、って思ったの。それでも、あなたの表情は変わらなかった。意地悪がエスカレートしても、やめられなくなっても、あなたは私を嫌わなかった。……表面上は」


 セオは、ただ沈黙し、メーアの言葉に耳を傾けている。


「あなたがパステルと一緒にいるのを見て、初めて気付いたわ。あなたは、私のこと、嫌ってたわよね。ずっと前から」


「……僕……」


「いいのよ、当然だわ。私が悪かったの。意地悪して、ごめんなさい」


「……いえ」


「だからね、セオ。婚約の話は、なかったことにしましょう。ちゃんと、水の精霊の元にも連れて行くわ」


「……はい」


 セオの返答を聞いて、メーアは満足そうに頷き、立ち上がる。

 憑き物が落ちたような、本当に美しい笑顔だ。



 私の中では、この数時間で、メーアに対する評価ががらりと変わっていた。


 第一印象は最悪だったが、彼女は責任感も強いし、きちんと謝ることもできる人のようだ。

 先程、自分の力が及ばないと知った時も、自分を犠牲にして皆を逃がそうとした。


 皇女として強くあろうとする気持ちがいつしか強くなりすぎて、素直になれなくなり、そのまま引き下がれなくなったのかもしれない。


 メーアは、私に視線を向けると、口元を引き締めた。

 目元は依然柔らかいままなので、鋭さも威圧感も感じない。


「パステル。あなたも、いい加減自分としっかり向き合いなさい。周りが何を言おうとブレない芯の強さを、あなたは持ってるはずよ。でもまだ足りないわ」


「自分と、向き合う……?」


「王族の横に並び立つのは大変よ。何度も血反吐を吐くことになるでしょうね。それでも潰れない芯を、しっかり持ちなさい」


 そう言い残して、メーアは砂を払い、私たちに背を向けた。


 王族の横に並び立つ……大変なのは分かっている。

 それでも私は、セオと一緒にいたい。


「はい」


 私は、メーアの背中に向かって、力強く頷く。

 セオが、私の方を向き、目と目が合う。


「セオ、本当は聖王国の王族なんだよね。私、セオの隣にいても恥ずかしくない令嬢になる。そのために、私、頑張るよ。だから……ずっと、友達でいてほしいな」


 友達でいて、と言った時に、フレッドの方へゆっくりと歩き出していたメーアが、つまずいてバランスを崩すのが見えた。

 私もセオも一瞬そちらを向いて首を傾げる。

 ……やはり本当は体力が回復していないのかもしれない。


 セオはすぐに気を取り直し、少しだけ私との距離を詰めて座り直す。


「パステル。僕は、パステルのこと、恥ずかしく思ったことなんて、一度もない。僕が何者だろうと、パステルは僕の大切な人だ。ずっと、これからも」


「……! ありがとう、セオ……」


「前に言おうとしたこと、言ってもいい?」


「うん」


「僕、家に帰るより、もっと大切なこと……やりたいことができた。僕、パステルと一緒に色んな所を旅したい。精霊に関係があってもなくても、一緒に色んな景色を見て、色んなことを感じたいんだ」


「……うん」


「パステルと一緒だと、色んなことを感じる。帝都にも何回も来ているのに、今回初めて気がついたことが、たくさんあった。パステルといると、僕の世界が、彩られていく」


「セオ……」


 セオの瞳には、力強い意志が宿っている。

 揺らぐことのないその瞳は、どこまでも真摯だ。


「……あのね、私、前までは外に出るのが怖かったの。でも、セオと一緒なら、どこまででも行けそう」


 私は、更に少しだけセオとの距離を詰める。

 セオの右手をそっと取り、両手で包み込んだ。


「ねえ、セオ。これからも、一緒にいてくれる?」


 セオは、空いている左手を私の手に重ねて、柔らかく微笑んだ。


「勿論」


「ふふ、ありがとう」


「お礼を言うのは、僕の方。ありがとう、パステル」


 私たちは、フレッドに呼ばれるまで、肩を触れ合わせ、手を重ね合わせたまま穏やかな海を眺めていたのだった。

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