01.復讐の代行者


 魔物も眠る丑三つ時。

 とある町の裏路地に、ウェインはいた。


「綺麗な星空だ。お前もそう思うか?」


 ウェインは目の前に腰掛ける男に呼びかけた。

 男の顔には麻袋がかぶせられており、全身を縄で拘束され、椅子に縛り付けられていた。


「そうだった、見えないんだな」


 麻袋を取ると切傷が等間隔に刻まれた顔が露わになる。

 傷だらけの男はウェインを睨むと、怒りに髪を逆立てて猛獣のように唸った。


「俺がなにをした! なんの恨みがある! 言ってみろ、このイカレ野郎!」


 顎から滴り落ちる鮮血を飛ばしながら、男は椅子を砕き割るがごとく暴れ狂う。


「おぉーーい、誰か助けてくれぇぇ! 頭のおかしな小僧に殺されそうなんだ!」


 男が叫ぶと、大通りの方向から角灯を吊るした杖を持つ、黒い外套を纏った夜警たちが近づいて来る。

 その姿を認めて、男は真っ赤な顔に笑みを浮かべるのだった。


「残念だったな、さっさと絞首刑になっちまえ!」


 どの都市でも許可書のない夜間外出は厳罰に処される。

 おまけに拷問まがいの行いをしていたとなれば死刑は免れないだろう。

 しかし、夜警たちは現場を素通りし、路地の奥へ歩き去ってしまったのだった。


「おい、どこへ行く? 待て、待ってくれ、俺を助けろよ、助けてくれよぉ!」


「彼らには俺たちが見えない」


「なに? どういうことだ?」


「教えてやろう。だが、その前に訊きたいことがる――」


 膝を曲げて男と目線を合わせた。


「なにをだ? 俺はなにも知らない、ただの一般人だぞ!」


 懇願するように言われ、ウェインは首を振る。

 違う。

 お前は知っているはずだと。


「レオナという女性を知っているだろう? レオナ・マクレガーだ」


 反応の鈍い男を促すように、ウェインは続ける。

 彼女の出身地。年齢。職業。そして、彼女が半月前に自殺をしたことも。


「レオナって、あのレオナ? 自殺したのか? ……いいや、違う! そんなわけない、俺は悪くない! だって、そうだろう、中絶したのはアイツの意思だ! 俺に責任なんてねぇ!」


 ウェインは頷き、こう告げた。


「遺族は熱心な神学教徒でな。復讐を依頼しつつも、お前に少しでも贖罪の意思があれば解放して欲しいと願っていたのに――」


 お前はそれを踏みにじってしまった。


「――残念だな」


 男が血の滴った眼を見開いた。

 ウェインの肩から黒い粒子がふつふつと湧き出ていたからである。

 まるで黴が壁を覆っていくように瞬く間に周囲を黒く埋め尽くし、際限なく蔓延するそれに路地裏そのものが洞穴のように見えてくる。


「さっきの質問に答えよう。今の俺たちは部外者からは見えない。俺の’相棒’が‘隠して’いるからな」


 空間を侵食するように肥大化した’黒’が、紡がれた真綿のように一つの形を成す。

 それは一匹の大蛇を思わせる姿であり、ウェインの頭上で鎌首をもたげる仕草もまさにそれであった。


『久々の餌なのに、なんかマズそうだな』

 

 そしてあろうことか喋ったのである。

 先端が口のように上下に割れると、不気味な声を出したのである。

 ひっと、獲物が悲鳴を漏らした瞬間、それはバネ仕掛けのような動きで男の顔に食らいついた。


「文句を言うなボルトス。喰ったら大人しく寝ろよ」


 ボルトスが口を動かすたびに、男の身体がびくびくと跳ね上がる。

 足下には血液に混じって排泄物も滴り落ちていた。


 頭蓋を噛み砕く鈍い音と血と脳髄を啜る音、そして咀嚼音が、誰の耳にも届くことなく、とろけるような宵闇へと溶けていく。



 食事を尻目にウェインは所在なく夜空を振り仰いだ。

 とても綺麗な星空だった。

 中天にさしかかったおぼろ月は雲のヴェールを纏い、星々の瞬きを強くしていた。

 春の夜空には星が少ないが、一つ一つが大きく、驚くくらいに色が濃い。


 同じ空のもと、この世界のどこかに愛娘との死別に涙する遺族が暮らしているのだろう。

 少しでもその苦しみを和らげられたと思えば、己の人殺しの罪悪感も払拭できたのだった。

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