Dead with Spring 王女と姫騎士との旅路

りす吉

00.プロローグ


 夕闇が迫る町に、終課の鐘が鳴り響いた。

 往来には野良仕事を終えた農夫や、宿を求めて市壁をくぐる商隊が鈴なりである。


「見てお兄さん! 素敵な冠でしょう?」


「ん? なんだ? どこかで盗んだのか?」


「ぶーっ! 違うもん! さっきジプシーのお客がくれたの!」



 二階の客室から街路を見下ろしていたウェインは、宿の娘の声に振り返った。

 彼女はアン。

 ウェインたちがこの街に到着するなり、元気な声をかけた娘だ。

 宿屋の子は、門の傍で旅人を招くよう親から言いつけられているもの。

 ここに泊まることになったのも『依頼主』がアンに惹かれたからであった。


「どう? 可愛いでしょ? 似合ってるでしょ?」


 アンはバレエを踊るようにウェインの前でくるりと回ってみせた。


「お前、それを何処で手に入れた?」


 ウェインは戦慄した。

 アンの頭に、草花であしらわれた冠がのっていたからだ。


「どうしたのお兄さん? 死人みたいな顔しているよ? ちょ! 痛い、何するのさ!」


「それを何処で手に入れた?」


 ウェインは両手でアンの肩をつかんでいた。


「だから、ジプシーがくれたんだよ!」


「そいつらはどこから来たか言っていたか?」


「え~~っと、ルセインだったかな?」


「ルセインだと……」


 地理を頭に思い浮かべるウェイン。南に僅か数里の位置だ。

 既にそんな間近に、’それ’は忍び寄っていたのだ。


「アン、頼みがある! 馬房へ行って、俺たちの馬を連れて来てくれ!」


「え、泊まっていかないの?」


「ああ、急いで発ちたいんだ!」


「そんな、宿賃はどうしてくれるのさ!」


「キャンセル料は払う! 馬の駄賃もここから持っていけ!」


 荷物をまとめながら財布袋を投げ渡した。

 最初は戸惑っていたアンだが、にしししと満面の笑みを浮かべてビシッと敬礼したのだった。


「あいあいさ~~! わっちにお任せあれ!」


「頼んだぞ!」


 ウェインは宿を飛び出し、人波の道を駆け抜け、往来に面する風呂屋へ突入した。


「おい、さっきここに女の子を連れた、目つきの悪い女が来なかったか?」


「は、はぁ……。目つきはともかく、子供連れの女性はいましたよ。あの、ちょっと!」


 番頭からそれだけ訊くと、彼は店内に入り込んだ。

 廊下に面して垂れ幕があり、それを捲れば湯のはられた大きな木桶が置かれた浴室がある。


「なんだお前! 勝手に入るな!」

「キャーッ、痴漢よ!」

「うふふ。可愛い坊やね。いらっしゃい♪」


 一部屋ずつ確認するも男湯ばかりである。


『ちっ、目の保養にもなりゃしねぇ』


「うるさい、お前は黙っていろ!」


 相棒を黙らせ、とある部屋の垂れ布をめくると、ようやく彼女たちを発見した。


「セリーナ!」


 湯煙の奥で膝をついていたのは、金髪を肩口で切り揃えた碧眼の女。

 魅惑的なボディラインをしているが、石鹸水でテカりをおびた肌には戦場で受けた数多の傷がある。

 そして彼女の前で椅子に腰掛けているのは、腰まで伸びた絹のような髪をもつ少女である。セリーナに身体を洗われていたのか、凹凸の少ない身体はほぼ泡に隠れていた。


「すぐに街を出るぞ、幻血花が、痛ッ! いたたッ! 止めろぉ!」


 浴場から投げられた柄杓が額にクリーンヒット。

 さらに追撃が止まることなく、浴室のあらゆる物が凶弾となって飛来する。


「あ、貴方という人は! この変態! すぐに立ち去りなさい!」


「落ち着け! 覗きにきたんじゃない!」


『せっかくの美女と幼女のサービスカットだ。もっと堪能しようぜ?』


「だから、お前は黙っていろ!」


「誰か来て下さい、廊下に変質者がいるんです!」


「待て、幻血花が開花した! すぐにこの街を出ないと、エミリアは死ぬぞ!」


 一瞬。

 ウェインの叫びに、一瞬、水を打ったような静寂がおとずれた。

 先程のバカ騒ぎが嘘のような沈黙が蟠り、ようやく秘部を隠していたセリーナが言葉の意味を悟る。


「本当、なのですか?」


 人生初の覗き見を受けて呆然としていた少女が、初めて口を開いた。


「ああ、今晩にはここも危険だ! そうなれば君は死ぬ!」

 

 少女の瞳が震え始めた。

 押しつぶされそうになる胸を抱き、セリーナに蹲るように背を曲げるその少女こそが、エミリアであった。


「すぐにここを出ましょう! 今からならきっと間に合います!」


「そ、そうでしょうか?」


「もちろんです、諦めなければ道は切り開けます!」


 セリーナが抱きしめると、恐怖におののいていた少女の身体が微かに弛緩した。


「貴女のお役に立てることが私にとって至上の喜びなのです!」


「はい……! お手数をおかけしてすみません!」


 護衛(セリーナ)に勇気づけられた王女(エミリア)が、涙を堪えて大きく頷いた。



『尊い景色だな』


「なんだが俺が場違いな気がする……」


「ちょっと、いつまで覗いているんですか! すぐに馬を用意して下さい!」


「もう手配してある、はやくここを出ろ!」


「急きたてられても困ります、王女の身体を拭いて着替えないと!」


「そんな悠長なこと言っている場合か!」


「あ~~、もう! 男と一緒にしないで下さい! 私たちは清潔な生き物なんです!」


 男なら薄汚れた姿で歩けるということか。

 なんだその女尊男卑のルールは。


 ウェインは焚き火に干されていた服を浴室に届けさせると、外でセリーナたちを待った。

 生乾きの髪を振り乱したセリーナたちと市壁へ向かうと、門番たちの近くに馬を連れたアンがいた。


「助かったぞアン!」


「あいあいあーい! 駄賃はいただいたからね!」


 返された財布袋に触れると、硬貨の重みが半分になっている。


「お前、取り過ぎだぞ!」


「もう! そんなみみっちいと離婚されるよ! ね、ルルちゃ~~ん!」


 悪魔顔負けのあくどい笑みを浮かべるアンに、エミリアが引きつった笑みを浮かべた。


「あ、ありがとうねアンちゃん、旦那には後でキツく叱っておくから」


「『叱る』んじゃなくて『殴る』だろう、痛ッ!」


 セリーナに蹴られながら、ウェインは馬に跳び乗った。

 身分を隠す為、セリーナはウェインの妻、エミリアは『ルル』という偽名の娘として旅をしていた。


「それじゃ皆様、よい旅路を~~!」


 アンに見送られながら市壁をぬけて荒野に身をおいた。

 そこは市壁に囲まれぬ外の世界である。


「邪な空気だな……」


 宿での寝泊まりに慣れてしまったせいか、外界を前にしてとほうもない不安に襲われる。

 治安の及ばぬ世界を跋扈するのは魑魅魍魎たちである。

 人を捕食する魔物から、旅人を襲う盗賊騎士など様々だ。

 外界を市壁で遮るのは都市に限ったことではない。

 街村や集落でも、防衛用に木の柵を設けているのだ。

 街道を囲む、残照に染まった雑草がさざ波のように揺れているが、陽が沈めばそれも視認できなくなるだろう。

 振り仰げば青黒い夜の空が、夕焼けを地平の片隅へ追いやっていた。



「急ぎましょう!」


 エミリアと同乗するセリーナが、ウェインを追い越して前進する。

 彼女も門をくぐるときに見たのだ。

 幻血花で結われたアンの冠が、開花していたのを。

 幻血花はどこにでも群生するが、春にならないと開花しない種なのである。


 野営地を確保するよりも優先すべきことがあった。

 それは、可能な限り北へと移動することである。

 なぜなら、じきに’春’が来てしまうからだ。


 セリーナたちを追いつつ振り返るウェイン。

 明日になれば、ここより南緯の街には立ち入れなくなるだろう。

 このまま北上を続ければ街の数は減り、食料や武具の確保も難しくなる。

 もっと装備の補充をすべきだったと後悔するも遅かった。

 季節から逃れる為には、一つ一つの選択が明暗を分けるのだと、思い知らされたのだった。


「姿の見えぬ追手か……」


 刃を首筋に突きつけられたような薄ら寒さを覚え、ウェインは馬腹を蹴って速度を上げる。



 春とは命の芽吹く季節である。

 温かい気候に誘われて花が咲き、雛が孵り、越冬を終えた動物たちが目を覚ます。

 そして、エミリアにうえつけられた『竜子』もまた、餌が最も繁殖する春の到来を待っているのだ。


 竜子とは、寄主の肉体を食い破って孵化する悪竜の卵である。

 もしそれが春を感知すれば、エミリアは死ぬ。

 そう。

 ウェインたちはエミリアを救う為に旅をしていたのだ。

 彼女とともに、春から逃げる為に。

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