第36話 太陽に焦がれた少女はいつしか月夜も好きになれた。


 ――朝を迎えた、あの後帰った俺たちはそのまま宿に泊まることになり、宿で出された飯を食べつつ今までの経緯いきさつを話し合い、でもはなんとなく省いたりして、久しぶりの再会に改めて一喜一憂し、疲れた体の回復に専念するためその日はもう寝ることに。

 ちなみにこの時、ひと悶着あった、首輪が中々外れなかったのだ、黒奈瀬が言うには首輪は所謂カップル専用の用途で作られたものであり、素人が適当に作ったものだったせいで付属していた鍵と鍵穴が合わなかったのだ、こだわりはあるのに肝心な部分が抜けているのはよくあること、俺は必死に抵抗した、せっかくお金を払って別部屋を用意したのに自分たちの部屋へと俺を引きずって行こうとする彼女たちに対して、頼むから辞めてくれと、俺オオカミさんだからと、今宵は満月だからと、適当な理由を並べ立てて一線を引こうとする俺に対して彼女達は知ったことかと暴走気味、俺は頭の中では天使と悪魔が戦っているので迷想気味、もう引っ張りだこの引っ張り合い(一方的)、最後には悪魔に唆され堕ちそうになる天使を叱咤して、刀を小刀サイズに展開し首輪を壊して自分の部屋へBダッシュ、そうして無事に事なきを得た。


「これすごいね、全部入ったね」


「國満くんは何か預けるものはあるかしら?」


 共和国行きの馬車を出迎えるためにドラレスト外周出口、その一つの南西にある馬車乗り場に俺たちはいる。


「國満くん? どうしたの? 聞いてるのかしら?」


 俺は唖然と見ている、黒奈瀬のブレスレット型のアーティファクトから放射されるレーザー、そこに映し出されたホログラム的な何かを、空間に浮かび上がっている黒い異空間的な何かを!


「なにそれすごい! もうなんか異世界の雰囲気台無しだな!」


「どこでも四次元バッグよ」


「よしわかった、俺も預けよう、いや俺が入ろう」


「やめておいた方が良いわよ、まだ生物を丸々入れるのは試したことがないから、中でグシャグシャになっても構わないのならいいけれど」


「……な、なんてな、冗談だよ、まったく、黒奈瀬は冗談も通じないのか? ちょっとそこらへん鈍ったんじゃない?」


 おとなしく無機物である持ってきたバッグをバッグへと投げ入れる。


「みつにぃ荷物少ないね、なに入れたの?」


「ん? 衣類とかの生活必需品ぐらいだな、というかこれ取り出すときどうするんだ、手突っ込んでも大丈夫なのか?」


「手なら大丈夫よ、試しに取り出したいものを頭の中で浮かべてそれっぽい形を掴んでみなさい」


 言われた通りに異空間へと手を突っ込み頭の中で取り出したいもの、さっき入れたバックを思い浮かべると布地の手触りを知覚、取り出してみる。


「じゃーん! どーこーでーも――……なんだこれ」


「やっ、み、みつにぃ、それあたしの…………」


 ツキは恥ずかしそうに俺の手中にある白い柔らかな布地を手に取って隠す。


「みつにぃは……ぱんつ……すきだよね……」


「違うんだツキ、違う、もういっかい試してみるから、見ていてくれ、俺が女の子の下着好きの変態じゃないことをQ・E・Dしてやる」


 おもむろに手を異空間へ突っ込む、無心だ、無心、幼き頃の無垢な自分を思い出せ、無心、無心、無心……――


「そういえば私、今日穿いてたかしら」


「――これだ! ……うんうん、そうそう、こんな感じの燃えるように真っ赤な――って違ああああう!!」


「白昼堂々とこんな朝から恥ずかしいわ國満くん……」


「今の絶対俺のせいじゃないだろ! わざとだろ! 若しくはこれ壊れてるよ!!」


 やるかたない憤りを異空間にぶつけるように手に持った布地を投げつける。

 消えゆくPANTIE……Goodbay……


「やっぱ好きなんじゃん」


「彼はいつだってそうよ」


「へへっ、変わらないね、みつにぃは」


「そんなところで改めて俺を認識しないでくれます!?」


 早朝から騒がしく元気な俺たちの会話を掻き消すように何処からともなく、けたたましい馬の鳴き声が聞こえてきた。

 その方向へ俺たちは視線を集める、二頭の馬はスピードを落とし目の前で止まる。


「……あの、なんかこの馬と客車、地面からちょっと浮いてない? あとなんかメカメカしくない?? あと馭者ぎょしゃ? 馬を繰る人いないけど?」


 紺色のその二頭の馬? は太陽の光を反射させる程の丁寧に磨かれた装甲をしており、浮いた四足の足元には水上を駆けたような波紋が出ていた。


「なるべく早いやつを私が手配してあげたのよ、感謝なさい」


「あ、ありがとう、雰囲気、情緒とか趣とか気にしないのね」


「えぇー、あたし普通のやつがよかった……」


「さ、咲月ちゃん……」


 否定されてちょっとショック受けてるじゃん……


「これあれだよな、黒奈瀬が世話になったとかいう機械族の伝手か?」


 馬に近づきながら聞いてみる。


「そうね……」


 傷心中。


「早く乗ろうよ、お馬さんよろしくね?」


 喉を鳴らし馬は馬らしく返事をする。多分、ロボなんだろうね。


「共和国についたら馬刺しでも食べましょう」


 もうすでに立ち直った黒奈瀬はそんなことを言って客車のドアを開け乗り込む、ツキもそれに続く。


「俺は遠慮しておきます……じゃあ共和国までよろしくな」


 馬の頭に手を乗せ、「――ペッ」


「ええっ……唾とばしてきたんですけど……どういうこと……」


「あら、なにか嫌われるようなことしたのかしら? その子達結構人懐っこいのだけど……」


「いや、まあ半分人ではないんですけどね……というかこの唾、粘ついてるんだけど……」


 最悪な気分に陥りつつ俺も客車に乗り込み二人を詰めさせドアを閉じる。服に付着したその粘液はツキがハンカチで拭いてくれている。


「成分は水と殆ど変わらないから大丈夫よ、粘ついてるのは製作者の遊び心ね」


「余計なことを……」内心で溜息を吐いた。


「五十嵐さんは来ないのよね?」


 目の前の壁に埋め込まれたディスプレイを操作している。多分、目的地の設定を行っているんだろう。


「ああ、ヴァルマニアに来た本来の目的を果たしたら後から追ってくるらしい」


「お師匠国王さまに会うんだっけ?」


「そうだな、詳細は聞かされてないけど」


「五十嵐さんと言えば。前世に國満くんの知り合いで同じ苗字の人が居なかったかしら?」


「居たけど関係ないと思う、もちろん下の名前は違うし、五十嵐って名前自体珍しくはあるけど他に居ないこともないだろ」


 ……ああ、でも雰囲気はどことなく似てるところはあるか……万が一にでも息子さんって可能性は無いはずだ……だって師匠の息子さんは前世で……


「準備完了、出発するわよ、…………無事見つけれるといいわね、みんな」


 その切なげな合図の声を皮切りに、馬車は音も無く走り出していく――。




 ――道中、そろそろ昼頃だろうか、揺れることのない客車内の窓を開ける。

 広がる青々とした景色、入ってくる風が気持ちいい。反対側からも窓を開ける音。


「これが巨乳のお姉さんの感覚なのね、私にはないものだわ」


「危ないから窓から手を出すな、もみもみするな、それとそれは虚乳だ」


「あたしもやってみたい! ……うーん? あたしと墨音ちゃんのとはなんか違う?」


「…………あれじゃないか? 空気抵抗を変えてみたらどうだ?」


「グッドアイディアね、採用させてもらうわ」


 馬車の速度を変える為か、黒奈瀬はディスプレイの操作を始める。


「少し早くしてみたわ、このぐらいかしら?」


「どれどれ、先に俺が試してあげよう」


 窓から手を出しもみもみ……もみもみ……うん? ……もみもみ……もみ……


「どう? みつにぃ?」


「……そういえば俺が試しても意味ないじゃん……分からないんだから……というか誰か止めよ? ノっちゃった俺も悪いけどさ……」


「二人に見せたいものがあるの、ちょっと作って見たのだけど」


 話の入れ替わりスピードがヒーロー漫画的展開だ、見習いたい。


「出て来て國満くん」


「は? なんだ?」


 変な言い回しだな、と横を見れば腕に付けたブレスレットに向けてそんなことを言っている、と、同時に。


『はい、お呼びでしょうか、墨音お嬢様』


 ブレスレットの光に投影されて出てきたのはミニキャラな、……お、俺?


「ええ! なにそれすごい! これみつにぃ? 執事服着てるし! 可愛い!」


「ふふ、遊び半分で作って見たのだけどわりと気に入ってるのよ」


 ちょっと自慢げになりながら黒奈瀬は次の言葉をそのミニ國満に向けて言う。


「國満くん、ぐるっと回ってワンと吠えなさい」


「おい」


『わかりました、墨音お嬢様』


 指示通りに律儀に回るミニなオレ。


『ワンッ!』


「何やらせとんねん!」


「あ、あたしもやってみたい! いい?」


「いいわよ、どうぞ?」


「みつにぃ、あたしの好きな所を一つ言ってから手を猫の手にして語尾にニャンってつけてっ」


 了承の返事をしたミニ國満は何処からか猫耳カチューシャと尻尾を装着。準備万全、そして。


『俺はツキのその未発達な身体がすっごく好きだニャンっ』


 ……氷河期到来。


 …………お、おい……空気が凍ったよ?


「……みつにぃ……」


 ジッとコチラを睨まれる。


「俺は悪くないっ! そんな事考えた事なんてないから!」


「……ほんとにぃ?」


「あ、ああ、ナイナイ、全然ナイナイ、……ああ、でもちょこっとだけそれもアリか? ……なんてことは考えたことないからそんな目で俺を見ないでくれツキ、頼む」


「多種多様生の時代だものね」


「それはフォローになってない」


 内心溜息をひとつ。


「というかそれ、前世でも似たようなものは既に出来てたな……なんだったかな……たしか最初は対話型AIだったかコミュニケーションボットかなんかを発展させてオリジナルの音声つき二次元キャラを現実世界に投影したものだった、……うん、まんまそれだ、しかも確か他にも機能があって」


 言葉を切って俺はミニなオレにデコピン。


『いってぇ! 何しやがる俺一号! 俺に触っていいのは可愛い女の子達だけだ! まったく、たんこぶ出来ちゃったらどうするんだよ、あ、俺生身ないから大丈夫か』


「受け応えに関しては改善の余地アリだけどやっぱり触覚センサーもバッチリだな、触った感覚がある……え、まって、黒奈瀬お前コレ一人で作ったの?」


 上機嫌に髪を払う黒奈瀬。


 テンション上がってんなぁ……。


「すごい、変なギャグもみつにぃソックリだ」


 ツキはそう俺共々を褒め称え俺二号の頭をぐりぐりと撫でる。


『ああ、そ、そこいいっ、いいぞっ、もっとだっ、もっとしてくれツキっ、もっともっとお兄ちゃんを撫で撫でしてくれっ』


「キモッ! 俺!」


「うん? 変わらないよ?」


「そうね、完璧な模倣だわ」


「……ははっ、二人とも冗談上手いな」


「「???」」


「二人揃って何言ってんのこの人見たいな顔辞めてくれません!?」


「國満くんの生きていた時代、やっぱりあったのねこの技術、改めて興味が惹かれるわ、今度たっぷり聞かせてちょうだい?」


「いいけど多分この世界の化学文明の方がよっぽど凄いと思うぞ、だってそれ遊びのいっかんなんだろ」


「そうね、コマがあったから回した程度の事よ」


 それが投げゴマなら回すのは意外と難しい。


「あたしもみつにぃのこと一緒に聞きたいな」


「なんか趣旨変わってないか?」


 …………ま、いいか、……それにしても話す事ね、なんかあるかな、あんまり聞かせるような明るい話は正直ないし。


『I love you……』


「ふふっ、You too……」


「あたしもあたしも!」


『I love you……』


「みーとぅー!」


『自分が好きなのはいいことです』


 ちょんちょんとミニ國満をかまってる二人、イヤンイヤンとその俺は嬉しそう。是非ともそっちじゃなくてこっちの俺にして欲しかった。


「…………ふわあっ、眠くなってきた、寝るわ、着いたら起こしてくれ」


永遠とわに眠れ』


 ……永遠に眠った。




 …………みつくん、國満くん、起きて? 起きなさい、起きないとキス、するわよ? ……微睡まどろみの中、どこからかそんな声が聞こえる……甘く誘われる囁き、だが今の俺の睡魔には到底敵うはずもない、もう少し寝かせておくれ……あともう少しだけ…………いや、叶うならずっとこのまま寝ていたい……


 ……見てちょうだい咲月ちゃん、綺麗な顔……


 ……ほんとだね……


 ……これ、しん……


「――死んでねえよ!?」


 飛び起きた、馬車は停車している。


「あら、黄泉の世界からから蘇ったわ」


「……おかげで目覚めは最悪です……無理矢理墓から引きずり出された気分だ……ついたんだな……?」


 窓の外を見てみる、木だ、木、視界を覆う沢山の立木、山道? 道は交通用に整備されている。


「あれ、まだついてないのか」


「みつにぃ、ちょっとお花摘みに行ってくるね?」


「……え、ああ、行ってらっしゃい」


「私も沢山摘みに行ってくるわ」


「はいはい、行ってらっしゃーい」


「國満くん隣で雉撃ってていいわよ」


「お、いいね! 誰が遠くまで飛ばせるかやってみようよ」


「俺も何でもかんでも笑ってツッコむ訳じゃないからな、あとその勝負かなり分が悪いと思うんだ…………って、もう行ってる……」


 そうとう近かったんだろう、茂み、木々の奥へと小走りに向かう彼女達の様子から察した。


 ……ぴよぴよと、鳥形魔獣のさえずりは立派な音姫の役割を果たしている。


「トイレットペーパーどうするんだろ、ああ、四次元バックがあったか……」


 窓淵に肘をつきながらそんな心配ごと。

 自然豊かな場所、こういうのを良いと感じることが出来つつあるのは精神面では良い兆候と言えた。


「――ひゃあー!!」


 ――波ひとつない水面に石が投げられる。ひと時の静寂はそんなツキの悲鳴によって掻き乱された。


「ツキ!?」


 あの白く燃え盛る光景が脳裏を過る。

 馬車を飛び出て焦る足で彼女の声が聞えた方向へ。無駄に伸びた鬱陶しい草木を掻き分けながら。


 やがて視界が広がりそこには腰を抜かしたツキと、青白い電撃を帯びた浮遊する大きな魚、そいつに対面する黒奈瀬が居た。


 心配の声を上げる余裕もなく尻をつくツキの元へ。


「み、みつにぃ!? き、きちゃだめ!! まだ穿けてないから!」


 この状況にそぐわない何か意味不明な事を言っている。


「いったん立てツキっ」


「む、むりだよ!」


「なんでだっ、怪我したのか? 再生は間に合いそうにないのか?!」


「だ、驚いちゃっただけだから! そんな事よりもあのお魚さんと戦おうとしてる墨音ちゃんの加勢にいってあげてっ! あたしもすぐ行くから!!」


「……? そ、そうか、わかった」


 何かを必死に隠すようなしぐさ、でも見たところほんとに腰を抜かした程度らしい。


「こ、こっち見ないで変態にぃ!」


「なんでえ!?」


 そうして意味のわからないままに黒奈瀬の加勢へ。

 目先、水泡を纏う青い魚型の魔物は尾ヒレを動かし空中をゆらりと泳ぎながらこちらの出方を窺っている。


「こいつは浮遊魚だな、そっか今は昼か……」


「そうね、全長は二、三メートルほど、基本の色として赤、青、緑、黄金、紫の透き通るような体色をしていて、昼は獲物を求め森に住み、夜になると空を大群で泳ぎだす、この世界の千大絶景の一つね」


「それ、どんだけあるんだってツッコミたくなるよな」


「決めた人はなんでも綺麗に思えてしまう審美眼を持っていたのでしょう――」


「黒奈瀬!!」


 会話の終わりを待たずに浮遊魚から放たれた電撃が地面スレスレを駆け舐めるようにして飛んでくる。


「――Holy watar<聖水>――」


 前方へ片手を翳した黒奈瀬は短縮詠唱で分厚い水の障壁を展開、放たれた電撃を防ぐ。


「まだ話してる途中じゃないのお魚さん、こういう時は黙って聞いておくのが暗黙の了解ってやつじゃない」


「魚に躾は効かないとおもう」


 浮遊魚は諦めず何度も電撃を放っている、……そういえば脳みその大きさはクルミほどだっけ、ははっ、俺とお揃いだな。


「ねえ、気づいた? 聖水、だなんてこの状況にとてもマッチしていると思わない?」


「……思ってしまった、なんて口が裂けてもイエナイ……」


「こっちじゃなくてそっちの聖水なら通電して今頃ピリリと来てるわ、聖水の二重の意味が分からない人は聖水、比喩、で検索ね」


 ……えっと、隠喩ね。


「しなくていいです。……電気を通さなないってことはその魔法は純水と似た性質なのか……俺は基本、魔法が使えないから」


「そうみたいね」


 ペルガモンでの修行中、師匠にその体質について調べてもらったけど、詳細な原因はよく分からなかった、分かったことは、器に入った何か大きな要領が邪魔になってるってことぐらい。ぜひ、医者を呼んで切除してもらいたい。


「みつにぃ! 墨音ちゃん! 大丈夫?!」


 駆け寄ってくるツキは展開した大鎌を両手に持っている。


「問題ないよ、ツキの方こそもういいのか?」


「うん! ちゃんと拭いたし履けたし手洗った! だから後はあたしにまかせて! 強くなったから!」


 ……ふ、ふい、え、前か、あっ、さっきの会話の意味にいま気付けた……いや今はそんなことは置いておこう、それより。


「待って、今回は俺一人に任せてくれ、二人はそこで見ていてくれればいいから、俺もたまには、カッコイイ所を見せたい」


 電撃の嵐が止む、同時に障壁の展開は終わり、二人は互いに顔を見合せ、こちらの眼を見ると、一歩、後ろに下がってくれた。


「國満くん、浮遊魚は高級食材、その脂ののった身は大変美味らしいわよ?」


 ……敵前に食べ物発言はとしてはフラグだからやめて?


 そんなことを軽く思った。


 前方からの行動の様子がない、攻撃が鳴りやんだのは蓄電の為か。


「ツキ」


「うん?」


「黒奈瀬」


「どうしたの?」


「……俺が、あの頃を絶対に取り戻す」


 背後からは息をのむ音が聞こえる。返事はない。


 浮遊魚へと、歩を進める。


 でも、そんな優しさは、俺の背を押してくれる。


 できるならそうしてずっと、背中にいてほしい。ずっとどこかに隠れていてほしい。


 だけどそうもいかない、なら、せめて手の届くところにいてほしい。


 繋ぎ留めておきたい。


 息を、細く短く吸う。


 懐にある柄へと手を掛け、


「――短歌独唱――」


 ひとつ、詠んで。


 ふたつ、みっつ、歩む。


「絶ゆぬ夜、花咲かさんと、月見草」


 足を止め、関節を曲げ腰を落とし低姿勢に、


「淡く仄かに、明けくちとけて」


 鞘の無い抜刀へと移行するための形へ。


 瞼を閉じ、開けた視界は紅色に、揺蕩う浮遊魚の内部を見透かす。


 脚全体に集中的に魔力を廻し、強く、踏み込んで、


「詩集一遍、――月下鬼乱舞――」


 ――疾駆。


 瞬く間に浮遊魚対象へと近接、呼吸を止めたままに軽く抜き放った刃渡り三尺余り一メートルの刀身は、最初に対象の膨らんだ口元へと柔らかく触れる、その流れのままに身を任せ脊髄をなぞるように胴へ、尾ヒレへ、まるで絹豆腐でも切るかのように、上下に別つ、絶命か、だが、まだ終わりではない、背後に見える対象へすぐさま反転し、足元に魔法陣バネを展開、上方145度に跳ねつつその身に刃を通す、己が身は宙へ、翻って下方280度付近に身体を向け、足元、空間に再び陣を展開、同じ要領で身を放ち刃を通し着地、その大きな目玉の感触は心地よく、不思議と不快感は無い、終わりか、まだだ、思考も身体も休む暇はない、足元に陣を展開、上方60度、兎のように緩やかに跳ね、獲物を狙う翡翠のように鋭く、星空飛ぶヨダカのように真っ直ぐに、


 …………纏わりつく夜を嫌い、見下ろしてくる月を嫌い、太陽に焦がれた少女は、いつしかその月夜をも好きになれた。


 人は願い抗い続ければいつか変われる、綺麗ごと、だろうか、でもいいじゃないか、


「わざわざ汚くなる必要なんてない」


 そんな小さな吐露は彼女達には聞こえない。


 繰り返される縦横無尽の斬撃に掻き消される。


 で斬り結ぶ。


 対象を囲うように数多に展開された魔法陣は踏み込まれ、くるりと回転、やがて光の残滓となり次々と消えてゆく。


 暴れ馬のように跳ねまわる自身の身体の制御は難を極める。音速を超えている。物理的な超スピードに思考は追いつかない、頭で考えるのではなく、あらかじめ筋肉に、身体に記録されたプログラムを走らせる。


 才能は無かった、ひとつの技にありえない程の時間を費やした、ペルガモンでの修業は巨視的に語れば至極簡単に簡潔に、微視的に語れば酒の肴に困ることはなく、三日三晩でも足りないだろう。


 これは、強さと、魅せるための絶技。


 この先語ることのない研鑽。


 言ってしまえば男としての意地。


 削がれた鱗はきらりと舞う、血肉は微塵に切り裂かれていく、欠片も残しはしない、情けも容赦もない。


 ……醜い、だろうか。


「すごい、綺麗……」


「……そうね」


 一瞬の滞空、彼女たちの声が聞えた。顔が見えた。


 最後の一刀を、現れた小さな心臓に通し、着地、刀を払い血を落とし、そうして終わりを告げた。


 刀身を縮め柄へと納め、二人に振り返る。


「……どうだ、カッコよかったか?」


「うん!! カッコよかった!!」


「今夜は抱いてちょうだい」


 ……よかった、反応は良好、頑張った甲斐あったな。


「それにしてもオーバーキルね」


「ね、ねえ! これってこ、ここここくはっ、こくこくこくこく、?!」


 続けられる感想は二者二様に。

 ツキに関してはなんかめっちゃ頷いてる。


「……ええと、その、私のはまだ作ってないのかしら? それとも予約制?」


「……予約? ああ、いや、もうちょっと待ってくれ、あと少しで完成ってところだから、あと何か、何かが足りない気がするんだよ」


「……そう、待ってるわね?」


「気長にな」


「ねえ! あれ食べれる? せっかくみつにぃが捌いたんだし」


 見事にバラバラになった浮遊魚、元々の大きさもあってかその赤身は丁度良くひと口サイズ程になっている。


「そうだな、時間帯的にもちょうどいいから食べるか、骨の処理には手間取りそうだけど……短時間で済ませるなら焼くか刺身か、時間とってもいいなら出汁取って汁物か、煮物、炊き込みもいいか? 調味料と器具は……」


「なんでも出せるわよ」


「よおし! 食べよう! あたしも手伝う!」


「ふふ、人間は傲慢な生き物ね、私達もう人間ではないけれど」


 二人は準備に取り掛かり始める。


 ふと、どこからか、川のせせらぎが聞こえてきた。

 ――過る頭痛、始めは脊髄辺り、前頭葉から目玉にかけて激しく抉られる感覚に喘ぐ。立ち眩み、ゆらゆらと世界に茹だる熱さ。


「――ちょっとー! ボサっとしてないで手伝ってくださいよ! 先輩――」


 瞼をめいっぱいに開き、光をとりこむ。


 原景は、眩しかった。


「ボサっとしてどうしたの國満くん、据え膳食わぬは男の恥、よ」


「汗すごいよ、お水飲む?」


「……ああ、いや、ごめん、今手伝う、……あとその間違った使い回しツキもしてたよな……」


 三人とも料理がそれなりに出来たので食材一つに対してバリエーションの多い昼食を取り、それから共和国に向けて再出発という運びに。















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