第37話 病
初対面、無機質な病室のベットで、彼は笑った、痛々しい笑い方だった、酷い笑い方だと言えた、心を病んでしまった患者は幾人も見てきた、彼ら彼女らのことは今も記憶に鮮明に刻まれている。
そんな表情に、気を取られていたのだろう、私が言葉を発す前に少年は言う、『こんにちは、初めまして』、私も同様の言葉を返した。
何の変哲もない会話、ありきたりの日常で交わされるごく当たり前の挨拶、そんな普通は“異常”と言えた。
峡谷の底に落ち、三日三晩笑う人を見てどう思うか、と言えば分りやすいか。
カーテンは風に揺れる、軽くなった影をさらうように。
心に患ったその難病は、私の生涯を費やす極めて困難な治療となることだろう。
年追う中、Overdose<薬の過剰摂取>等、困ったこともあったが、それはまあ、よくあること、蝕み続ける巣食った闇への抵抗は、初期に比べれば順調に良い方向へと進んでいる。
無事に生涯を終えるまで一緒に闘っていけばいいだろう。
先は安泰か、そう思えた。
治療の中途、私が事故で死んでしまったことが今も悔やまれる。
×××
――各国合意の元創設された共和国コンコルディアは、元は大陸の存在しない海に神々により土地が創造。国は和解、平和の象徴とされ、君主を持たず、領土はどの国にも属さず、政治的な指導者は国民によって選出、権力の共有を行う、第0区を中心に囲うように第1区~第12区に分けられる都市、俯瞰してみれば綺麗な円形をしている。
「なんか、奇跡みたいな国だな、色々と」
何か裏があるのではないかと勘繰ってしまう。
目の前に
これもこれでいいけど、俺の期待していたファンタジーくんはいったいどこへ行ってしまったんだい……?
国の入口、メインゲートで馬車を見送り、ここ、共和国第0区に来るまでに通った第一区は、吸血鬼の国と同じく十二世紀後半、フランス発祥のロマンあふれるゴシック様式だったのに……
向こうの世界でまだ生きていたなら有名な大聖堂諸々は見ておきたかったな……シュテファン大聖堂なら一度見たことはあるんだけど……
「……んん、まだねむふぁ~い……」
背負った彼女がもぞっと動いて、抗議の声を上げる。鼻先にかすめた長い黒髪がくすぐったい。あと、ストッキングの触り心地って結構いいな、さわさわ。
「黒名瀬、いいかげん降りてくれ……」
「墨音ちゃん着いたよ、おきてー?」
「やらあ! まだねる……!」
俺とツキで声を掛けて見たはいいけれど、大きな赤ちゃんは駄々をこね言うことをきかない。
「忘れてたけど黒名瀬って寝起き悪かったんだったな……」
馬車内で爆睡し、寝ぼけ眼のまま俺に飛び乗って来て以降、ここまで変わらずこの状態。
「みつにぃが修業してるあいだね、墨音ちゃん朝弱くて大変だった……お風呂もお着替えも歯磨きもご飯も一人じゃなにもできないから……」
「ははっ、ありがとうツキ、さぞ大変だったろう……」
経験上その苦労が分かる……懐かしいな。
「おらあ! はやく前に進みなふぁーい!」
「いてっ、ちょ、殴るなっ! 蹴るな! 髪引っ張るな!」
「みょーん! あー、妖怪さんはっけーん」
「そんな便利なアンテナは搭載してない!」
「も、もう、墨音ちゃん……みつにぃ、ここはあたしに任せて先行ってていいよ」
「すまん、頼んだ、流石にこの状態でビル内に入るのは恥ずかしい」
「やらやらあ! おろさないでえぇ……」
ちょっと可哀想に思えてくるが、しがみついてくる手を無理矢理にでもはがし地面に降ろす。ぺたんと座り込んだ。
「だっこ!」
「だめだ」
「だっっこ!」
「だめですっ!」
「いやあ!」
どこにも行かせてなるものかと足に絡んでくる。
「……ツキ、これいつもどうしてた? 俺は過去解決策がついぞ思い浮かばなかったんだけど」
「うん? えっとね、あたしはね……ほらこっち向いて墨音ちゃん」
ツキはしゃがみ込んで目線を合わせる。
「ん〜? なあに咲月ちゃん? きょうもかわいいね~」
「ふ、フへへっ、そう?」
おい……
「じゃ、じゃあいくね、まずはあたまの体操から、あなたのお名前はなんですか?」
「んー、くろなせ……すみ……ね?」
「うん正解、じゃあ……次は将来の夢を言ってみて?」
「およめさん!!」
初めて知ったぞ。
「あ、あたしとおんなじだ!」
初めて知ったぞ。
「えっと、次だよ墨音ちゃん、3+3は?」
「ええっとね~、いーち、にーい……」
両手を使って指折り数え始める。
「なな!」
しっかり間違えた。
「墨音ちゃん、答えは6だよ? 次行くね? 5+7は?」
「ううん? いーち、にーい、さーん、よーん、ごーお、ろーく……あ、手が足りない! 咲月ちゃんも手伝って!」
「はいはい、じゃあ一緒にしようね」
二人揃って両手を使って数え始める、俺は頭を抱える。
かつて100桁の数字の13乗根を暗算8秒で解き明かし、神童とまで呼ばれた姿はかけらも残っていなかった。
「じゅうに?」
「うん良くできました、墨音ちゃんはいい子だね、なでなで~」
「うふー、くすぐった~い!」
「じゃあつぎいくね? 5678+7893は?」
「急に難易度跳ね上がるな!?」
「いちまんさんぜんごひゃくななじゅういち」
「えぇ、即答かよ」……そろそろ頭覚めてきたか?
「うう、眠いいいい……」
ダメみたい。
「み、みつにい、これあってる?」
「うん、あってるよ、分からなかったら地面に筆算してみろ……えっと、まだ掛かりそうだから俺は先に行っとくな?」
「うん! またあとでねー!」
ひらと手を降り返し、俺はビル前、ガラス製の自動ドアの前へ、上に取り付けてある二機の監視カメラが作動し、こちらを向く。
……顔認証、とかを行っているのかな? でもここに来たの初めてなんだけど……師匠に第0区にあるビルに来いとは言われたけど……ほんとに合ってるここで? 俺達が先にドラレストを出たから師匠はまだ着いていない筈だし、一日も開けずに来て俺達はいったい何をやればいいのやら……
『國満新タ・V・アルク様ですね? お通しします』
ピピっと音声案内が流れ、ドアが左右に開いた、窺える装飾一つ無い無機質な内部に足を踏み入れると、そこに居たのはカラフルな洋服を着た少年少女、……互いに顔がよく似ている、兄妹、なのだろうか?
「お待ちしておりました、國満さま、ここまでの長旅お疲れでしょう……お荷物など、なにか預けるものはございますか?」
ロングスカートの端をちょこんと摘まみ、膝を曲げ、腰を屈めてそう言った少女に大丈夫だと断りを入れる。
「妹よ、そう畏まる必要はないよ、こいつは疲れてなんかない、どうせ自分の足を使わず馬を使ってきたんだ、人間風情が高慢にもね、こいつらは時に機械をもこき使うらしい、身の程をわきまえた方がいいよ、そろそろね」
「ええ……」、片手をズボンのポッケに突っ込んで言うお兄ちゃんの方は妹に比べて対照的だった。
「申し訳ありません國満さま、兄様はどうやら礼儀作法をお母様の胎内にお忘れのようで、あとでしっかりと言い聞かせておきますので」
「いや、いいよ、ところで二人の名前はなんて呼ぶんだ? 教えてほしい」
屈み込み、二人の頭にポンと手を乗せ聞いてみる。
「そうですね、名乗り遅れました……」
「手をどけてくれ、馴れ馴れしいよ」
ばっと払われる。
「申し訳ございません! こら兄様、しっかりしてください」
「いいや、違うね、お前の方が気が緩みすぎなんだよ、隙だらけなんだよ、いつも言ってるだろ、そんなだとすぐに悪いオオカミに食べられてしまう」
「いえ、間違ってるのは兄様です、國満さまはとても紳士的な方です」
「男なんてな、すぐ変わるよ、最初だけだ、
違う違うと言い合う兄妹、それを見て少し微笑ましく思う。
「なに笑ってんだ、気持ち悪い」
「ははっ、ごめんごめん」
「國満さま、分からず屋の兄様は放っておいて先に行きましょう」
そう促し、奥にあるエレベーターへと歩き出す、一方、兄の方はやれやれといった感じで後からついてきた。
「ところでさ、俺これからなにするか知らないんだけど、二人は知ってるか?」
エレベーターに乗り込みつつ聞いてみる。
広いな、30人は運べそうだ、ライトは天井に一つしかなく、薄闇の中点灯するボタンはB2、目指すは地下か。上へ行くボタンは70階もある。
「あら、なにも聞かされていないのですね? でもそれが五十嵐さまのご意向なら私からはなにもお伝えする事はできません、申し訳ないです」
「いや、そう簡単に謝らなくていいんだ、まだ子供なんだから、もう少し肩の力を抜いてくれ」
「はい、ありがとうございます」
「それには同意見だね、子供に圧を掛ける大人はクソだ」
「兄様、言葉使いが汚いですよ、しょうがないですね、口元拭いてあげます」
「クソにクソって言ってるだけだよ、普通、糞に対して花なんて言わないだろ? って、ほんとに拭くなよ……」
溜息を吐く妹ちゃんは兄様の口を丁寧にハンカチで拭いている、そんな中静かにドアが開き、薄闇の空間が目の前に広がった、どうやら着いたようだ。
「あれだよ、こいつはどうせお説教でもされるんだろ、まさか“インデックス・サーティン”への加入な訳がないし、それに見てみろ妹よ、どこからどう見ても弱そうだ、顔とか特にな、女々しくて覇気がない、頼りない、女の影一つもない」
やめてくれえっ! モース硬度1の俺のハートはもうボロボロです!
「ネタバレは禁句ですよ、兄様。案内はここまでです、お疲れ様です國満さま」
「……ああ、結局ここまでよく分からなかったけど、ありがとう二人とも」
感謝を言って降りたはいいけど、ふと思うことがあったので、少年少女に振り返り、お兄ちゃんの方へと意識を向け、
「お、そうだ、ショタ兄ちゃん」
「は? しょ、しょたって俺のことか?!」
「妹のこと、大切に思ってるんだな、好感が持てる、……でもたまには素直になって見たらどうだ? そういう事を恥ずかしいと思う今だからこそ、得られるものもある」
「…………余計なお世話だ」
「ははっ、そうだな、これは暗に大人の後悔を言っただけか、余計だった」
「そうですよ國満さま、私ももう鈍感ではありません、それにこんな兄様も可愛いと思うのです」
「か、可愛いってなんだよ!? って、おいお前まてっ!」
顔を赤らめるショタ兄ちゃんの制止の声に聞こえないフリをしてドアの前を離れる。
「待てって言ってるだろ! 言いたいことがあるんだよ!!」
その荒げた声にまた振りかえり、言葉の先を黙って促してみる。
彼の顔つきは先ほどとは打って変わり、落ち着き払って、穏やかなものとなっていた。
「…………ここは、此処は月の見えない森ではないから、安心して、パン屑は落としてないけど、変わりがある、それに、性悪な魔女も居ない」
言い終え、お辞儀と共にドアが静かに閉まって、二人の姿は無くなった。
頭の中に残るその言葉を胸の奥に仕舞い、改めて辺りを見回してみると、天井にあるいくつかの証明が青白くぼんやりとした光を付けた。光量は少なく頼りない。
広い内部は薄暗いままだけど、先ほどまでは影だった様々な形が明瞭になった視界に姿を現す。
正面、強化ガラス製? の長テーブル、ここから最も遠い位置にある一つの椅子、背もたれには“K”の文字、その
当たり前だけど窓から差し込む太陽光なんてものは無い。
「…………ほんとに何処なんですかねここは……」
「高温の熱源反応を探知」
「……ん?」
よく響く機械質な男声が聞えた、どこからだろうと探し右を見てみる、とそこには、鋼鉄の身体で出来た人形、重機? いや、冷たく照明に照らされた漆黒のロボだ、そのメインの黒にサブカラーとして輝く
な、なんだあれは……開いた口が塞がらない……やばい……「まじかっけえ!」
走り近づいて見上げる、全長は三メートルくらいだろうか、ちょうどバスケットゴールの高さ、上質な
そっと抱きついてみる、ひんやりとしたその硬質の体は、高ぶった体温に心地良かった。
「貴殿は
「うおっ! 喋った!?」……いや、さっきの声がこのロボからのだったのか。
かの架空上の生物、
……機械族、なんだろう、小さいころに飛んでるのを見たことはあるけど俺こんなの知らない。
「貴殿の顔と名が某の記憶媒体に確認出来ない、初見か」
「は、はっ! お初にお目にかかります、拙者の名は國作りの國に、器を満たすの満、新人の新にカタカナのタで國満新タと申すものでござる」
興奮しすぎて自分の人物像が掴めなくなった。
「ふむ、失礼」
……ん? なんだ……?
何処からか伸びてきた四つ又の太い尾が俺の両足、胴、頭に絡みつく。
その内の一本が顔前で動きを停止、向けられた尖った尾の先がゆっくりと開き、中から覗いた金色の眼球がこちらを見据えた、瞳孔が拡大、縮小している、何かの確認を取っているのだろうか。尾のゆるりとした動きは絡め取られるまであまりにも自然な動きで認識する間もなかった。
これ待ってればいいのかな、……あ、あれもカッコイイ、背に付いた旗、
ん、だれだ、この眼球に映ったニヤニヤとキモいヤツは、……おれやん……。
「成程、委細了解した」
「あの……なにを?」
「なに、気にするな、情報の取捨選択をしたまでのこと」
ひとつ、またひとつと尾が離れる、どうやらこれは漆黒のロボさんから伸びたものらしい。
そういえば名前をまだ聞いていない、さっきの少年少女の名前も聞きそびれてしまったし、よし、この魅惑ボディとの別れは名残惜しいけどいったん離れて今度こそ聞いておこう。
「名前、聞いてもいいですかね?」
「個体名か、すまぬな名乗り遅れた、某は」
と、そこまで言いかけたところで、エレベーター到着を知らせる高い音が反響し、何やら複数人の話し声とぞろぞろと降りてくる足音が聞こえてきた。
なんだなんだあ? 俺と彼の――交響曲第5番運命……の邪魔をするなあ! と頭を巡らせる。
「――おや、どうやら新顔のようだ」
「あん? だれだお前ぶっ殺すぞ土足で入ってんじゃねえ!」
「ポチ、別にここは土足禁止ではないです、お座り」
「よし分かった先にお前を殺す」
「やっほー! 新顔くん中々イケメンじゃ~んって、あれきみ……」
「あら♡ ほんとだわ可愛い顏してる、締まりもかなり良さそうね」
「國満くんはノーマルよ、京極さん」
「はよう終わらせて儂は風呂へ行きたいのう、酒もあと半分ほどしか残っておらんわ」
「みつにぃ! 遅れてごめん!」
ぱっと見た感じ7、8人の知った顏と、知らない顏、どんな味がするか予測不可のアイデンティティの闇鍋ごっちゃ混ぜ。
「――全員揃ったようだな、席に着け」
あれ? この声は師匠? いつのまにそこに居たのか、Kの文字の書かれた長席に座った師匠は大剣を椅子に立て掛け、低くもよく通る声でそう言った。
……俺達に追いついたのか……まさか走ってきたわけじゃないよな……これから何が始まるんだ……あんまり歓迎されてるようには見えないぞ……なんか自分だけ知り合いの知り合いのそのまた知り合いの集まりに参加した気分、え、なにだれお前何奴状態。
呆気に取られていると、各々自分の決まった席に着いたようだ。
「私たちはどうしようかしらね?」
すっかり目が覚めている黒奈瀬。
「ふう、よかった、知り合いがいて助かっ」
「黒髪の少女よ、君は私の隣、
「あら、どうやらお呼ばれしたみたい」
ここから見て右の離れた位置、上座の前の席に座った人物に手招きされ、さっさと歩き出して行ってしまった………残る席は一つ、一番手前、10の数字が書かれた席に座って腕を組むロボさんの隣、疎外感漂う下座の位置、でも、残されたのは二人。
「あたしたち残っちゃたね、どうする?」
「たぶん、座らないといけないと思うんだけど、席は一つしかないから座っていいぞ? お兄ちゃんはボディガードよろしく後ろ隣に立っておこう」
「うーん、あ、良いこと思いついた、みつにぃ来て来て、これなら二人で座れるよ」
手を引かれ早く早くと急かされ座らさせられる、ツキはよいしょと俺の膝の上に座りベルトのように俺の両手を腰にぎゅっと巻きつけた。
……なるほど、名案だ。
「それぞれ席に着いたようだな、各自、ARTS、巨神獣等、報告があるだろうがそれは追ってあげてくれ、まずはインデックス・サーティンの在り方等について改めて説明と、新入りの紹介と簡単な自己紹介をしておきたい」
師匠は手始めにそう切り出し、説明を始めていった。
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