第34話 堕天使ちゃん降臨!! 




 早朝の眩さと、外から聞こえてくる人々の喧騒に目を覚ます。


「フガッ……あ、やべ涎出てる」


 机から顔を起こし口元を拭う。


 ……ベット……使ってなかったな、そういえば、なんでだっけ……あ、これ……


「本……全部思い出してしまった……涎ついてないよな……」


 裏表確認、大丈夫そうだ、流石のツキもお兄ちゃんの付着物付きで返ってきたら困るだろうし。


 二冊の本をポシェットにしまいコートの内ポケットへ、あくびを噛み殺し、掻いた汗を流しに外へとシャワーを浴びに行くこととする。


 ――シャワーを浴び終え後は歯を磨いたり朝食を取ったり並ぶ店先に金もないのに見て回っていれば気づけば昼ごろ、裏通り、人気のない路地を行く。


「これがあれか、前世で言う、女の子たちが大好きなウィンドウショッピング」


 前までは何が楽しいのかよく分からなかったけど、なんか分かった気がする。

 でも一人でするものなのだろうか……


「……なんか淋しいな……誰か俺と一緒にウィンドウショッピングしてくれ……」


 もの悲しさから立ち止まって空を見上げる。

 太陽が眩しい、手で遮る。


「……ん? なんだ……?」


 空から何か、小さなカゲがふわりと落ちてくるのが指の隙間から見えた、顔近くまで来たのでそれをさっと掴んで、手の中の柔らかな感触の正体を確かめてみる。


「……羽根……か? 黒いな……カラスかな……いや、この世界にカラスは居ないか……」


 羽軸の部分を持ち、スゥ、ハァァ……と嗅いでみると、なんだか春の季節を思わすいい匂いがした。


「みつにぃは犬だね! ってツッコミがいつもなら来るはずなんだけどな……」


 羽根は、なんだか珍しそうだったので内ポケットに入れておくことにした。

 …………やることなくなった……帰るか。


「カラスは居ないわよ、でも、花はあるわ」


 紫の花は道端にひっそりと、咲く――。


「…………え?」


 脳内に電流が駆け巡る感覚、懐かしい声、後ろに気配。


「振り返らないで」


 こちらの行動への制止の言葉。硬直する身体。


 声を、声を聞かせてほしい、もう一度。


「…………だれ、だ?」


 ――河原、澄み渡った空に飛んでいくトリ、そんな思い出情景に脳はありえないと拒絶を起こし正解を遅らせ問いかけへと変わった。


「……残念ながら私からは答えられないの、が掛かっているせいでね、……だからあなたに当ててほしい、他でもないあなたに、……わたしの名前を」


 問いかけは問いかけへ、遅らせた回答はそうして返ってくる。

 先延ばしは許されなかった。口を数回、空気を噛むように開閉。


「……身長は、身長は女の子にしては少し高め、手入の行き届いた艶やかな黒髪ロングに、左頬の泣きぼくろが特徴的、表情の変化が乏しく基本クールだけど実は喋ることが大好き、上手く笑えないことを気にしている、……そう、そんな女を、俺は知っている気がする」


 息を吸って。


「黒奈瀬墨音」


 俺は彼女へ振り返って。


「正解か?」


「――正解、」


 胸元に柔らかく飛び込まれる感触。


 視界には大きく広がった黒の翼と。


 軍服チックな服を着ている彼女の姿。


 身体を強く抱きしめられる。

 

 抱きしめ返す度胸は俺にはなかった、けど、高ぶった感情に任せて言いたかったことは伝えられる。


「やっと、逢えたな」


 こちらから探さなくとも、自分から探して来てしまうのはすごく彼女らしい。


「……ええ、やっと逢えた……」


 身を震わせ、胸元に顔をうずめている。

 コートを掴む腰に回された手にはきゅっと力が籠っている。

 

「……泣いてるのか? 泣き虫黒奈瀬さん」


 そう語りかけると、微かに頭を振った。


「……あなたにそう呼ばれるのは久しぶりね、でも、國満君にそう呼ばれるの、私は好きよ……」


 前世とは明らかに違った異質な形が揺れる。


「…………翼、どうしたんだよ」


 その背に生えた、濃く深く綺麗な翼に触れて聞いてみる。


 ふかふかとして、さわり心地が良い。


「……とある天使に生えていた純白の翼は、とある男への想いでこの様に黒く穢れたわ、責任取りなさい」


「穢れたって……俺は好みだけど、この色は黒というよりうるし、漆黒と言った方がいい、すごい綺麗だからな」


 ちらと此方に覗かせるのは前世より真っ赤になった瞳、翼は、嬉しそうに羽ばたく。


「黒奈瀬?」


「……もう少しだけ、このままでいさせて……」


「わかった」


 彼女の言葉に素直に従って、もう少しだけ、このままでいることにした。




 ――人通りがぽつぽつと増え始めている。

 目の前の彼女は身動き一つない。


「……あのー、黒奈瀬さん? いつまでこうしているんですか? ……流石にちょっと恥ずかしくなってきたんだけど」


「……なんだかこのまま絞め殺したくなってきたわ……」


「怖ッ!」


 焦って彼女の両肩を掴み離そうとするけど、身体は凝固している、そればかりか強力な磁石のようにくっついて離れない。


「國満くんはS極で私はM極、なのだからこの事象は起こるべくして起こったと言えるわね」


「おい、なんか違う、それ」


「ところで知ってるかしら國満くん、天使族の弱点、柔らかな部位である感覚過敏な翼、その翼をもがれると殆どの場合想像を絶す激痛によって死に至るわ、翼の痛覚は通常の2、3倍ね」


「急にグロテスクな話題になったな……」


「なのだから他人に翼を触らせるという行為は仲間同士でも一生に一度でもあればそれは中々珍しいことなのよ、誰かの目の前、至近距離で翼を広げるだなんて言ってしまえばそれはもう立派な求愛行動よ」


「黒奈瀬……愛が欲しいのか……」


「愛が欲しいわ」


 こちらに体重を乗せ、翼をパタパタとさせてそんな事を言う。


「いいなー、その翼、天使族、なんだろ? 俺とは随分対極にいるな……」


 そういうと黒奈瀬は、そんなことはないと頭を振る。


「天使と悪魔なんて同じようなものよ、オセロの裏表は表裏一体で、善と悪が見方によって変わるようにね、悪魔は元々天使だったなんて話もあるぐらいだもの、人間からしたら超常的な存在であり敵、化け物と何ら変わりないわよ」


 そう言えば、あっちの世界ではサタンは元々天使だったって話もあったか。


「化け物、ね」


「そう、だから私達はとてもお似合いだと思うわよ、いいえ、“思う”じゃないわね、そうに“違いない”よ」


 見上げてくる顏からは確固たる意志と確信が見て取れた。


「………というか黒奈瀬さんや………そろそろ離れない? 熱くなってきた……」


「……照れてるのかしら? 仕方ないから離れてあげるわcherryくん」


 やっとのこと離れた黒奈瀬は広げていた翼をしまった。


「し……しまった!? ど、どこに消えた!? ええっ!?」


「便利な展開式よ」


「展開式!? いったいどこに!? 背中か!」


 一歩近寄り彼女の背を確認。


「あ、これしってる! ケープだな? どうだ、あってるだろう?」


「え、ええ、合ってるけれど……」


「なるほどなぁ、この下に翼をしまいこんだのかー、意外と軍服チックな服装にも合うもんなんだなー」


 ケープをぴろっと捲ってみる、彼女の色白い素肌が晒された。


「へえ、完全にしまい込めるのか……これはどういう仕組みなんだろう?」


「く、國満くん……恥ずかしいわ……」


「え? あ、ごめん」


 距離を置き、共に顏を赤くし、目を逸らす、なんだかへんな空気になってしまった。いったい誰のせいだ俺のせいだ。


「…………ところで、國満くん……」


 この妙な空気を変えようと話題の提供をしてくれるのか、流石だ、よかった。


「……咲月ちゃん……どこかしら……? ずっと見当たらないのだけれど……」


 辺りをぐるりと見渡して言う。


「ん、えっと、ツキか?」


 なぜ俺とツキが一緒にいることを知っているのか気になるけど、ま、いいか、黒奈瀬だし。


「ツキなら今トリスティーシア神殿で師匠に修行を、……あ、師匠っていうのは俺とツキの恩人で世話になってる……って、あれ?」


 長々と語ることになるなと思いつつ、瞬きしたところで先ほどまで目の前にいた黒奈瀬が消失、していた。後に残ったのは、舞う数枚の羽根だけ。

 はて何処へやら、行方を追って上を見上げると、飛んでいく彼女の姿、と、アングル的に窺える黒のストッキング越しの赤の布地。スカートの中の、真っ赤な下着だ。それを見て俺は思う、とある銀髪の彼女の色と共に―――


「……秘めたるものは、情熱と潔白か」


 そんなよく分からない感慨に耽った。


「……って、まって黒奈瀬さーん!! ツキ今いないから!!」


 俺は急ぎ、彼女が向かった筈の神殿へと走り行く。



 ――神殿前、足裏の摩擦で急停止、追った彼女を探す。


「……居ない……もう神殿内に入ったのかな……いや、先に着いてしまった可能性も………」


 まさかと空を見上げると遥か彼方、ぽつんと豆粒程の黒い影が一つ。


 ……ああ、あれか………えっ、あれ? まじ? なんか落ちてきてるけど、背から落ちて来てますけど! どうしましょう!


 ……なるほど、どうやら今の彼女は重力に囚われの身、自由落下の真っただ中らしい、ならば今俺がするべきことは、――両手を広げて待つことだ。


「ほーら、ここ、ここですよー、引き合う力なのです、万乳引力(?)なのです、受け止めてあげるから安心して落ちてきなさーい」


 シルエットは徐々に大きくなり、彼女の形を明確にしていく。

 ……そういえばあれはどのくらいの高さから落ちて来てるんだろう、力学的エネルギーの和は? 受け止めても大丈夫なのか? 一応人間辞めてるから大丈夫だと思うけど……


 そうこう考えている内に、俺の腕の中へとおさまり行く彼女を丁重にお姫様抱っこしよ――


「――ふんがあああああ!! ぐぎぎぎぎぎぎぎっ!」


 受け止めると同時に加わる腕、脚への負担に悶絶、歯を食いしばる、ギャグのように数十メートルに渡り陥没する地面、脛骨辺りからは骨の折れる鈍い音。


 その航空機が墜落したような衝撃音は鳴りを潜め、彼女は一言。


「あの空の先が気になったの」


「……はは、お嬢様はいつもお転婆でございますね、ところでなぜあの空の先に興味を示されたのでしょう? この敏腕執事である私も、流石に月は取ってこれませぬぞ?」


「ううん、違うわセバスチャン、私は別にあの月には然して興味はないの、私が気になったのはね、あの空の先に宇宙が広がってるかどうかよ、例えばその宇宙があったとして、果たしてその宇宙は前世の私達が上を見上げ見ていたものと同じ宇宙なのか、繋がっているのか、酷似しているだげで別物で、実態はそうでは無いのか、ここは地球では無いとしたらここはいったい何処なのか、惑星の形をしているのか、丸いのか四角いのか平べったいのか、色は青いのか赤いのか或いは白か黒か、この目で見て確かめて、正解を知りたいの、現実を知りたいの、私は臆病者だから」


「そうですねお嬢様、私もあの空の先を知ってみたくはあります、ですが私が知りたい景色は私から見たあの空ではなく、お嬢様から見たあの空を知ってみたいですね、ぜひ、この浅慮な執事めに、教えては頂けませんか?」


「それはとても難しい話よセバスチャン、あなたは私になることは出来なくて、私はあなたになることは出来ないもの、それにね、彼方に行くことは出来なかったわ、3分しか飛べないことを思い出したから、堕天したこの身では」


「え、そうなの?」


「ええ、そうよ」


「取り敢えず降ろすね? 骨折れたから」


 そう言って黒奈瀬と俺の脚に気を遣いながらゆっくりと降ろす。

 しっかりと地に立った彼女は辺りの惨状を見まわして、口を開く。


「あら、万乳引力のせいで陥没乳首が出来上がってしまったわ」


「…………」…………聞かなかったことにした。


「重かったかしら?」


「まぁ、重かったよ」


「でも國満くんは重い女の方が好きでしょう?」


「まあな」


「入りましょう」


 促され、俺は手を引かれ神殿内部に向かう。


「あ。そういえばツキは今――」


「國満くんの転生のタイプはどれかしら? この地上のどこかにランダムポップか、誰かが身ごもった赤ちゃんからの転生なのか、それとも神前での転生なのか」


「ああ、そういえば転生の種類は3種類あるって聞いたことあるな、俺は赤ちゃんからだけど黒奈瀬はどうなんだ?」


「神前よ」


「神前か……あんまり聞かないな、どんな感じ? どんな場所だ?」


 かのパルテノン神殿を彷彿とさせるような柱の並ぶ硬質な廊下を歩く音。

 その音のもう一人の持ち主へと、俺は問う。


「一年前。私が最初に見たのは深紫の花々と豪華絢爛な台座に座ったおっきなお爺さん、アイテール・ウラノスね、それと可愛い天使ちゃん達よ、この転生方法になった転生者達は神の血を引き継ぐ豪華な特典付きね」


「へえ、それは初耳だな、うん? そういえばツキは……」


 ……どれだ? ツキから転生方法を聞いたことがないな、漠然と俺と同じだろうと勝手に決めつけていたけど、俺は魔術学校に尞を借りて長らく在籍していたので赤子の時のツキを知っている訳ではない、会った頃にはすでに大きかった、ま、まさか拾い子か? いやでもそんな話は両親から聞かされていない、神前での転生、魔神ネオ・サタンがツキのパパだと言っていたのは……だとしたら辻褄が合う、か………いやでもツキ自身は記憶になさそうだったし……うん? よく分からなくなって来たな……うちの家系図は今どうなっているんだ……??


「そうなると精神年齢的に歳の差結婚ね?」


「それは禁句だ黒奈瀬、言っちゃいけない、あと結婚はどこから来た」


 俺がそこまで言うと黒奈瀬は大広間入口前で立ち止まり、俺の口元に人差し指を当てると手を強く引き、一緒になって壁の影に身を隠した。


『どうしたんだ?』声は出さず口の形を変えて問う。


『耳を澄ませて』と返ってきた。


 疑問は感じつつもおとなしく従う。


「――お師匠はなんであたしとみつにぃに、ここまでしてくれるの?」


 離れた場所から小さな声が反響して聞こえる、ツキ……か? なんでいるんだ? まだ三日経っていない筈だけど……

 俺は壁に背を預け大広間の様子をそっと窺って見る、そこにはグランドピアノに背を預ける師匠と、椅子に座ってじっと鍵盤を見つめているツキの姿が確認できた。


「……なに、深い意味はねえよ、……俺はお前らの案内役を買って出ただけだ、俺はただ、お前らの人生という名の道の序盤でたまたまその役を担っただけ、どうやら迷っているようだったからな、………だが、俺はそこまでだ、その道の先に巡り合う人、得るもの、拒むもの、何があろうとお前らの自由、お前らの勝手だ、だからな嬢ちゃん、縛られることはなく、恩を返す必要なんて本来ねぇんだよ、どんな苦難があろうと、幸ある人生を辿ってくれれば、最期には笑って生涯を終えてくれればいい」


 何処か遠くを見詰めて言う師匠、その目に陰りは感じない、あるのは前向きな輝きと、立派な一人の親としての意見だった。

 ……深い意味、全然あるじゃん。


「……ぱぱ」


「クハハハハッ! なに言ってんだ、嬢ちゃんの親は前世の親父とヴァッシュと魔神、ネオ・サタンだろ?」


 とんでもないパワーワードだ。


「そうだった、あたし思い出したんだった……」


 ツキと師匠の会話はそこで途切れる、それを見計らってか、黒奈瀬は何か堪らないものがあるかのように、その抑えが利かなかったのか、大広間へと一人、足を踏み入れた。


「咲月ちゃん」


 発される声は不安気に、それでも真っ直ぐに、黒奈瀬は前を見据える、そこにいる少女を、しっかりと、その目に捉える。


「………………え?」


 ツキのその表情には、驚きと、複数がない交ぜになって表れている。



「………墨音、ちゃん………?」



 二人はそれ以上の言葉を交わさず、一方は戸惑い歩み、一方は椅子を引き立ち上がり、互いに駆け足で寄って、抱きついて、それで、笑いあった。







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