第30話 温度


 それから俺とツキは暫くの間木陰で心地の良い風当たりに身を委ねていると、背後からガサッと、草木をかき分ける音が聞こえて来た。


「やっぱいいもんだ、家族ってやつはよォ」


 何処か暖かなものを見るような目でそういった師匠は座る俺の横に立つ。


「あ、師匠、すみませんなんか俺倒れてたみたいで……」


「あれはまァ、仕方ねえよ……俺でもとても耐えられたモンじゃねえ……」


「え……そうなんですか?」


 ……まじで俺の身にいったい何があったんだ。


「そういえばツキはどこに行ってたんだ? その落ちてる果実とかも気になるんだが……」


「え? みつにぃが受けてたじゃん、お師匠との修行のついでに採取クエスト……忘れちゃったの?」


「あれ? そうだっけ……」


 これも全く身に覚えが無いけど、ツキは俺が気絶してる間変わりにやって来てくれてたということになるのか。


「あたしのせいでみつにぃの頭がおかしくなっちゃった……あ、最初っからだった……」


「おい」


 天然だよね? そうだよね?


「今更だね!」


「ツキさん絶対わざと!」


「……ていうかあたし、なんでみつにぃの傍離れちゃったんだろ……?」


「……ん? それはだから採取クエスト俺の変わりにやって来てくれてたんだろ?」


「うん、それはそうなんだけど、……あたしみつにぃが倒れてから最初はずっと一緒にいたんだよ、膝枕、してたんだよ」


「え? まじ? 何その好待遇……」


 おい俺おきろよっ、なに見逃してんだよ、我が最愛の妹の膝枕を!! こんな事はもう一生に一度だったかもしれないのに!! あ、でも前に一回あったんだっけ? いやでも関係ないもう一回して欲しいよぉぉ! 俺の馬鹿ぁぁ!!


「別にクエストなんてそんなの後でも良かったのに、なんでなんだろうね?」


「いや、知らんけど……でもまぁどっちにしろ俺のこと気遣ってくれてたのは知ってるぞ?」


 そう言って俺は懐に入れておいた水色のハンカチを取り出す。


「あ、それあたしの……みつにぃのえっち……」


「なんでぇ!?」


 何の因果があって妹のハンカチを持ってただけで変態呼ばわりされなくちゃならんのだ。


「……というかツキ、もう1回いってみてくれ! みつにぃの……?」


「……えっち……」


「イエーーイ!!」


 俺は両手を上げて喜びの感情を発露させた。



 しっかり変態だった。



「クハハハッ! 二人の仲が良くておっちゃんなんだか泣けてきたぜ……」


 師匠……なんかキャラ変わってます。


「ああ、そうだそうだ、ところでお二人さん、そろそろ腹は減って来る頃じゃねぇか?」


 目頭から手を離した師匠は心機一転、そう聞いてきた。


「そういえば今日は何も食べてませんね……ツキもだろ?」


「うん、ちょっとお腹減ったかも……」


うん? 傍にあるあの齧った後のある果実はなんだ? ……見なかったことにしましょう。


「それなら一旦、修行は切り上げて飯とするかァ!」


 そう声を上げた師匠に俺とツキは賛成の返事をすると、立ち上がり、そのままドラレストにある師匠行きつけの料理店まで行く事になった。



         ⬛︎




「——うわぁ、高そう……」


 見るからに一般市民には分不相応な高級感漂うこの街と同じくゴシック建築の建物を目の当たりにしたツキは、その料理店を見上げ、そう単純な感想を漏らした。


「うわぁ、高そう」


 もちろん俺も同じ感想だった。


「学生みたいな発言じゃねぇか」


「一応、学生ですよ、俺もツキも」


「……そう言えばそうだったか……喜んでいいぞ? 今回は俺からの大盤振る舞いだ、此処の味は何処と比べてもトップクラス、天にも昇るような味に舌づつみを打ち思わず昇天してしまうかもしれん」


「……ほう、それは楽しみだ……」


「みつにぃ、キャラかわってるよ……」


 ……ああ、いやはや、どうやら美食家でもあるらしい師匠の昇天してしまうという言葉を聞き思わず動揺してしまった、というか悪魔って昇天したらどこに行くんだろう?


 とまぁ、ひとまず会話を終え、入ったお店の内装は外観の高級感とは不釣り合いな……という事はなく、高級感と解放感が調和する見事な造りをしていた。


「予約していた、五十嵐だ」


 と師匠が髪をオールバックにした清潔感漂うウェイターに言うと、「お待ちしておりました五十嵐さま」と返され席まで案内される。


「あれ見て! すっごい綺麗!」


 席に座ったツキは天井に吊るされた巨大なシャンデリアを指差し見上げてそう声を上げる。


「こらこら、あんまり騒ぐんじゃないぞツキ」


 俺は大人として(精神年齢的に)、余裕を持った態度でツキにそう促してから着座し、ウェイターから差し出されたメニューに目をやる。


「うおっ、なんだコレすっげぇ! メニュー文字ばっかですよ! しかもこれ全部、おフランス語っ!」


「み、みつにぃうるさい……恥ずかしいよ……」


 赤面するツキ、俺たちとは別に食事を楽しむ周囲の人達からはクスクスと笑い声が聞こえてくる。


「ご、ごめん」


 そんな俺たちを見て微笑む師匠へと手に持ったメニューを渡し、ひと心地ついた頃、別のウェイターがやって来た。


「お食事前に何かお飲み物の方はいかがでしょうか?」


 この人は……ソムリエとかなんだろうか……ない知識を頑張って振り絞ってみるけどわからない。なんせこんな高級店、今も前世も縁もゆかりも無いからな。


「赤葡萄のワインと、ジンジャエールを二つ頼む」


「かしこまりました」


 埃ひとつ舞うことなど許されないかの様に優雅に一礼し音を立てずに去っていく。


「師匠、帰っていいだすか?」


 緊張し過ぎで思わず噛んでしまった……凄く恥ずかしい……。


「力を抜け、小僧」


「ははっ、了解しました」


 師匠の言葉、俺は力を抜く。


 それから運ばれて来た飲み物を三人で掲げると、静かにグラス同士をぶつけない様に乾杯し、味わうようにして少し飲んだ後、暫くしてまたウェイターがやってくる。


 因みにナプキンは膝に置くらしい、ルールが多すぎて覚えきれない。


「お食事の方はお決まりでしょうか?」


「ああ、ニューラル産、マリルン大海老のカルパッチョ、栄華の果実と零落の果実にグロッコリーのエルニョン仕立て、ゲルマン風とドワーフ産、一角大牛のポワレ、古代大神林の採れたて赤ベジタットとコーンのミルクスープ、デザートに甘栗と紅ソースのモンブラン、捥ぎたて青ザクロを添えて、をそれぞれ三人分頼む」


「かしこまりました」


「なっ……!」


 あまりの言葉の羅列に思わず席をガタッと立ってしまう。


「みつにぃ?」


「そんなに慌ててどうしたんだ?」


「お客様、御手洗いの方でしたら正面の入り口から右手側に……」


「い、いや、大丈夫です、長文詠唱かと思って思わず身構えてしまいました、失敬」


 料理名、長っ! びっくりしちゃったよ……良く覚えていられるな、長文詠唱覚えるのと同じ難易度なんじゃない? それにこの世界は料理すらどっかで聞いたことがある様な名前や料理法? が混ざっていた気がする……ポワレだとかニキキッチョだとか……。


 つくづく、この世界は多からず少なからず、元の世界の良い所は取り入れてあるんだなぁと感心してしまう。


 そんな事を思いつつ座り直すと、師匠は下がろうとするウェイターを呼び止めた。


「ああ、すまん、一名分の肉料理は別のものに変えてくれ、料理に関してはそっちに任せる」


「かしこまりました」と、改めて頭を下げて去っていくウェイター、その師匠の気遣いに、俺は心の中で感謝をした。


「……前にも言ったようにこの後はすぐ神殿に行くことになるんだが……二人はまだ神さん、サタンにはあったことねえよな?」


「……ええ、お会いしたことはないですね……ツキもだよな?」


「うん、ないよ」


「まァ、咲月嬢に関しては遅からず早からず、いずれ会うことにはなったと思うが……」


「…………師匠、ツキさんがどういう事だっ、て顔してます!」


「え? こ、こんな感じ?」


 眉間に皺を寄せてそんな表情を作ってみせるツキ。


「おお、確かにどういう事だって感じの少し形容しがたい顔つきだな……でもまァ気にすんな、行けばすぐわかる、色々と驚くことになるだろうがな」


 またもや気になることを言う師匠の前で俺とツキは顔を見合せる。


「これもまた再確認なんだが、國満はピアノが弾けるって認識で大丈夫か?」


「はい、大分久しぶりというか何年振りかもよくわからないですけど、たぶん弾けると思います、取り敢えずはジャジャジャジャーンってして置けば何とかなりますよ、ほら、それっぽいって大事ですからね」


「クハハハハッ! ベートーヴェンの運命だな、誰もが聞き馴染みのあるフレーズだ、あれさえ出来ればピアノが弾けたも同然だろうっ…………おっちゃん何だか不安になってきたな……」


「みつにぃピアノ弾くの? フへへへっ……たのしみ……」


 二人はそれぞれの感情を口にする。ちなみになんでそんなことを聞くのかについてはまだ教えてもらってはいない。もし弾けなくても当てがあるとも前に言っていた。


「……よし、取り敢えず今は飯を食おう……丁度料理が運ばれてきたところだ」


 そんな感じで疑問を何個か残しつつも、その後も様々なルールを師匠に教わりながら運ばれてきた様々な料理を突破していき、傷ひとつ無く、無病息災で食事を終えた所、何やらツキから視線を感じ始めた。


「どうした? 兄ちゃんそんなにカッコイイか?」


「え? い、いやちがうよ?」


 泣くぞ。


「……あ、あのね……」


「……?」


 もぞもぞと自身のスカートのポッケを漁り始めるツキ。


 いったい、どうしたと言うんだろう?


「クハハハッ、察してやれ、國満」


「いや、無理難題すぎませんか……?」


 どこまでも察しの悪いオレの横に座るツキの動きがピタッと止まる。


「……こ、これなんだけど……」


 そう言ってツキは、どこか恥ずかしそうにしながらも紺色の四角い箱を取り出した。


 小さくもその重みを感じる材質には抑えきれない高級感が漂っている。


「ん、と、なんだこれ? あ、ああ、あれだ、これはびっくり箱だな? 間違いない、ツキの形を模したお人形さんが飛び出てくるんだろ? ほら、ババーン! って感じでな……いや、それとも一周回って玉手箱かな……? やっぱ異世界だし、ありえなくはないよな……ツキのかわいさも乙姫様と比べても負けず劣らずだし、というか断然上だな、うん、今度乙姫様に会ったら竜宮城の席を譲ってもらうよう頼んでおくからな?」


「……み、みつにぃ……絶対わざと言ってるでしょ……違うよほんとにもう、今は別に馬鹿のフリはしなくてもいいんだよ?」


「ツキ……」


 ……すみません、天然物です。


「へへっ、……さすがにもう気づいてると思うけど、これはみつにぃへのプレゼントだよ」


「ああ、モチロン知ってたさ」


 冗談も休み休み言え、俺。


 ……ん? というかまじでプレゼント? 大丈夫? 聞き間違いじゃない? 嘘でも本当でも泣いちゃうよ?


「……ほら、立って、みつにぃ?」


「……え、わ、わかった」


 やった、どうやらこれは現実らしい、俺は言われるがままに椅子を引き、立つことに、ツキも揃って俺の前へと立つ。


「わ、渡したい物はね、これ」


 そう言って手に持った箱を開けるツキ、緊張しているのだろうか、その手は少し震えて見える。


 そんな彼女の健気な頑張りに、俺は気を引き締め、その開かれた箱の中の輝きに目をやった。


「……これは……ネックレス……か?」


「……うん、正解……」


 小さなミカヅキの形が模された銀色のネックレスだ。


「ど、どうかな……? ダメだった?」


 不安気な顔で見上げてくる。


「駄目なわけないだろ……ツキがくれるものなら何でも嬉しいにきまってる」


「……うん、あ、あのね、つ、着けてあげからちょっと屈んで……?」


 ——真剣な顔つき、彼女の一世一代の大事な場面。


「……りょうかい」


 俺はそう静かに返事を返すと、ツキの前で腰を折り、膝立ちになってから首を前へと差し出し、ゆっくりと、視界を閉じた。


 正面から伝わってくる緊張感、でもどこか心地の良い空気感、彼女の存在を確かに感じることが出来る。


「……みつにぃってさ、昔から凄いよね……こういう時の……ギャップ……」


 ……これは、果たして褒められているのだろうか?


 うっすらと光ある表側の世界、箱から取り出す音が聞こえてくる。


 その音はいつの間にか、聞こえなくなっている。


 その音の行く末を、俺は、今か今かと待っている。


 その音は、一向に聞こえてくる気配がない。


「ツキ……?」


 少し心配になり、彼女の様子を窺う為に目を開けた時だった——


 ネックレスを着ける金属音のあと、髪を掻き分けられる、額へと、柔らかな感触。


「……もう、目、開けちゃダメでしょ……?」


 そう言って、接触していた唇を離すツキ。僅かにだが、額には水気を帯びた感触が残っていた。


「……“あの時”とはちがうんだよ? ……マナーがなってないよ……」


「……ごめん、俺昔から甘い物を前にすると待ちきれなくなるんだ……」


 何言ってんのん、俺。


「ばか」


 熱を持った顔で交わった視線を逸らすように俯くツキ。


 ……でも、そこだと立ち位置的に目が合っちゃう。


「あ……っ」


 上からの動揺の声。


「ありがとな、ツキ」


 俺はそんな彼女に向けて、笑って感謝の言葉を言った。


「ばかぁ!」


 ゴツンと殴られる。


「痛ってぇ! なんでぇ!?」


 続けて周囲からは…………まばらな拍手の音? が聞こえてきた、それはやがて嵐となり、ずっとこちらを見守っていた師匠と共に次々と席から立ち上がる人達、ブラボーの声、指笛の音、クラッカー? を手にお店の人まで参戦!!


「なんでぇっ!?」


 思わず立ち上がる俺、追って見上げてくるツキ、その手を取り、その場の雰囲気に俺はなんだか恥ずかしくなってあわてて外に出ようとするが会計がまだだったと思いだし、師匠に早く出ましょうと促して丁寧に会計を済ませお店の人に礼を言ってそそくさと出ていく。


「へへへっ、みつにぃ顏真っ赤だー!」


「や、やめろー! 見るな寄るな近づくなー!」


「あー、ひど~い! 手掴んでるのみつにぃのクセに~!」


「うるせー! 離れないんだよ! 手と手の間になんか磁力が働いてるんだよ!」


「へへへっ、なにそれーっ! あ、ちなみにね、みつにぃ、そのネックレス今みつにぃが着てる衣服と同じ素材だから、身に着けてる限り戦闘とかで壊れちゃっても直るから、肌身離さないで着けておいてねっ」


「え? ……ああ」


 ……なるほど、個体数の少ない蜘蛛型の魔物、カーミラーから取れる鉱石の内の一つ(牙の部位かな?)、で出来たネックレスだったのか、これには吸血鬼族の魔力に反応して欠損箇所を修復する効力がある、そしてツキが言ったように俺のいま着てる戦闘用のコート一式も、カーミラーから取れる死糸と呼ばれる特殊繊維で出来ている、これについては師匠が俺に改めて新調してくれたもの、前々から衣服を壊しすぎるおちゃめな俺をツキが見かねてどうやら師匠に相談してくれていたらしい、掛かった代金の方はこれから数年間師匠の元で無賃金で働くと俺から提案した。……というかこの提案が通るって俺はこれから一体どんな仕事をさせられるんだ……? ま、いいか。


 …………まったく、あれよこれよと何処までも気のまわる出来すぎな妹である。


 ……と、そこまで考えたところで、脳裏に過ること、俺は立ち止まり振り向く。


「うひゃあ!」


 ツキは俺の腹部辺りに鼻をぶつけた。


「うへぇ、はながぁ……」


「えっと……とどのつまり……現金な思考ではあるんだけど俺は今……」


「うんっ、全部で二千万ウラス、もう立派な歩く不動産だねっ!」


 その言葉を聞き、俺の口から漏れ出る間抜けな空気の音。続いて。


「――それは矛盾だあっ!!」


 驚愕の事実はツッコミとなって大きく声に出る、俺とツキに追いつく師匠、そのあと俺は改めて、自らの軽い軽い頭を二人に深く深く下げるのだった。ツキには代わりに何か返させてほしいと無理やり約束を取り付けた。








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