第29話 100/???????????????




 ……100


 


 ⎯⎯⎯目が覚める。気が付くと辺り一面は色濃い霧に覆われている。


 霧は天上の陽光を一切通さない。


 何処までも、途方もなく広がる暗闇。


 気が付くと辺り一面は色濃い霧に覆われている。


 先程まで存在を赦されていた生物、植物、そんな性を謳歌していた彼等は揃いも揃って、忽然と姿を消していた。


 ここは、⎯⎯⎯⎯⎯


 眼下を見る。両手をグッと握って数回開閉。


 触覚から神経の伝達により、肉体の存在を知覚。


 再び前方を見てみる。息苦しい程の眼前の濃い霧を払う。


 霧散という法則は通じない。


 そんな行為に、意味はない。


 俺は、⎯⎯⎯⎯⎯⎯


「死んだの、か?」


 え、まさかあの玉突き事故で?


 ツキさんのあの激しい愛情表現ダイビングヘッドで?


「……まじデ?」


 から笑い。


 現実逃避、目を閉じる。


 まあでも、いいか、俺の死があの小さく可愛らしい頭部、その頭突きの上で成り立つのならば、そんな最期も悪くはない。


「――ワケねぇわっ」


 自分へのツッコミ。


 声は反響することも無く。


 凄く虚しい。



 ……かけられる声は無く、かける言葉も無い。


 温かみは無く、冷やかさも無い。


 認知が無い。虚無に等しい。


 人は人の認知により、己の存在を知ることが出来る。


 図ることが出来る、誇示することが出来る。


「……一人、なんだよな……」


 自己投影。


 ここは、本質の世界なのだろうか。


 生命の伊吹はやはり感じず、死後の世界であるかの様な錯覚に陥る。


 だから孤独に蝕まれる。蜘蛛の巣を貼るように、やがて包まれ毒を打ち込まれ中身は吸い出され――


 いや、こんな無には孤独の定義すらないのか。


 ああ、そうだ、例えば、世界が初めから俺一人だったのならば、感じることも無いのか、――この毒を。



 ……97



 では、俺は、果たして一人が良かったのだろうか⎯⎯⎯


 何も知らなければ良かったのだろうか――


 深い闇に呑まれてゆく、心地の良い闇、気持ちの悪い闇、そんな二つの相反するモノ。


 目を逸らす事が出来ないから目を閉じている。


 ゴチャゴチャと渦巻く胸中。


 駆け巡るアトランダムな思考。


 感情は誘われる、逃れられぬカオスに。


 ……92

 

 がりっと、擦り減っていく。

 精神の死角を突かれたように、――気配だ。


 背後だろうか、またいるのか、そこがそんなにも居心地いいのかオマエは――


 だが、なんだろう、いつもとは何かが違う、感じる視線は背中ではない、――正面。


 背後のヤツと酷似しているが、また別種の視線。


 正面の“ソイツ”は俺に関心があるらしい。


 ソイツは、俺に顔を見せろと、目を開けろと言っている。対面してみせろと言っている。後ろのヤツには構うなと。


 ――過去を見る前に現在を見ろと。



 ……88



「ハハハ……」


 口内から漏れ出る音。


 そうか、そこまで言うのならば、向き合ってやろう、俺も酷くお前に興味がある。


 ――ゆっくりと、目を開く。


 再び、纏わりつく深い霧。


 その只中、正面、最奥にポツンとひとり。


 メラメラとした幽かな黒い影。


 貌が無い、いや、貌が分からない。


 全貌が窺えない。


 距離はある。猶予はある。


 だが声が、言葉がでない。


 それは何故か?


 ソイツに言葉は意味をなさないからか?


 ソイツとの対話は不可能だからなのか?


 いやそうでは無い、そうでは無く、ここでは言葉を発さない事が暗黙の了解だから。


 俺の態度にソイツは機嫌を良くしたのか、メラメラと揺らぐ黒い影はうねりをあげると、――忽然と姿を消し――。


 突如として眼前へと現われた。


 ……50


 視野は黒く塗り潰される。


 自らの瞼が大きく開き切る。


 凝視してしまった事への後悔と共に。


 ヌラリとした粘液質な地面、足下を見ればソイツの巨大な掌の上。


 そんな眼下は何らかの生物の背骨や頭蓋、外殻が浮き沈みしている。人のそれに酷似したものもあれば、その形状で果たして本来の用途として機能するのか些か首を傾げるような、アンバランスで独創的な美だけを探求し造り物めいた、そんな我々とは異なる者共も確認出来た。


 ソイツは、見上げるほどの黒い巨躯。躯は無秩序な黒い骸骨により形成されている、そしてその特異な躯に埋め込まれたのはこちらを無遠慮に見据える六つの血走った巨大な目玉。


 ――異形。


       ――体現していた。


「⎯⎯⎯⎯⎯⎯ァ」


 畏怖からか、禁忌コエが漏れ出る。


 ひたひたと、タールに似たモノを滴らせる異形の躯には、突如としてスパッと切り口が生成され、不揃いの牙が生えた巨大な口腔が形成された。


「―― €\:%<:○÷:%〆*→〆^<+…~」


 ……34


 吐き出される呻き声は、およそヒトのモノでは無い。


 異形との距離は数センチまで縮められる。


 身体は棒のようになり、後ずさる事は出来ない。


 生暖かな息が吹きかかる。


 眼球オレ眼球ソイツは今にも接触寸前。


 コチラの銀とアチラの赤の、――月蝕――。


 その因果にいずれ重なり合うのだろうか。


 隠されるのはどちらなのだろうか。


 喰らうのはどちらなのだろうか。


 呑まれるのはどちらなのだろうか。


「?%÷%<〆<+-&<〆<→!☆♪\〆/----」



 ……4



 再び吐き出される不明瞭なコエ。



 異形からダダ漏れる震え上がる程の狂気の流出。


 だがこの震えは、恐怖故の怯えなどでは無く――――


 ――歓喜、だった。


 ……57


 邂逅への祝福。


 嫌悪とのアンビバレンス。


 自らの口角が吊り上がる。


 同族、似た者同士。


 最中、一方的な狂気の流動は続く。


 耐性が無ければ、受け入れる許容量が無ければ、俺はここでどうにかなってしまっていた事だろう。


 酒に酔った様な魅惑的な狂い、胎内へとクルリと呑み込まれる感覚。


 母胎へと還る。


 力量差では無く、次元の違い。


 母胎へと還る。


 粘ついた粘液の、滴る巨大な口腔。


 母胎へと還る。


 抱き込まれる様にして頭部を撫でつけられる。


 母胎へと還る。


 底の見えない暗闇から覗かれる。


 母胎へと還る。


 不揃いの牙と口腔、更に奥地、食道にも、獲物の頭蓋を容易く噛み砕くであろう牙が細かく乱雑に配置されていた。


 暗闇と鋭利な狂気。


 俺は此処に落ちるのか。


 ⎯⎯既視感。


 ⎯⎯ナンダ?


 ?????????


 ⎯⎯駆け巡る。


 過去からの警告。


 これは、そうか⎯⎯⎯


「受け入れ方を間違っていた」


 沈黙ルールを破る。


 異形の蠢きが止まる。


 ほんの数センチ、今度は此方から距離を縮める。


 六つの目玉は大きく見開かれる。


「⎯⎯&#〆+・→☆〆<…<○=%#!!!!」


 怒りと、複数が綯い交ぜになった呻き声。


 俺はゆっくりと腕を上方へ、流れに身を任せ前方へ。


 ぬらつく黒い躯、そこに埋め込まれた巨大な目玉の一つへと触れる。


 「――あぁ同胞はらからよ、今はこの隘路に、醜く蠢くことを許し給ふ――」


 そして俺は、蠢く母体へと、


 そっと、口付けを――――…………。



 ……99.99999999999999……


 



 ‪          ?⬛︎?■?■?





「――ん、あっ? あれ?」


 ぱっと目が覚め、先に情報として飛び込んできたのは視界を覆い尽くす程に青々と生い茂る木の葉とその隙間から覗く晴天。


 気が付くと俺は、木陰にゴロンと仰向けになっていた。


 ……どうやらいつの間にか寝てしまっていたらしい。


 木の葉が辺りを舞う、心地の良い風が体の熱をさらっていく。


「………………んんっ」


 なんだか鼻がむず痒い、俺は鼻先を見てみる。


 複数の赤い目、ちっちゃな蜘蛛ちゃんと目が合った。


「……やぁ、おはよう…………ェ」


 ……あ、やべ。


「――ヘックショイッ!!」


 盛大で爽快で小さな突風、ぴゅーっと、蜘蛛ちゃんは彼方へと飛んで行く。


 俺はその蜘蛛ちゃんの行き先を追うようにして身を起こし……だけど、何処に行ったのかもう分からなかったので諦め、背を木の幹へと預け、腰を落ち着ける。


「……? なんだ、なんか股間、……痛い、な、何があったんだっけ……」


 目線を下へ、地面、先程まで俺の頭の下に敷かれていた刺繍の入った水色のハンカチ(おそらくツキのだろう)を手に取り畳みながら、記憶をさかのぼってみることにする。


 ええと、師匠とのプロレスと、ツキの純白と、俺の國満と、大鎌と…………


 ……そこから先の記憶が抜け落ちていた。


 連続性の喪失。


「まぁ、いいか」


 なんかあまり無理に思い出さなくても良い気がする。


 深呼吸、酸素を多分に孕んだ空気が美味い。緑がある事はいい事だ、過度な森林伐採は良くない。

 経験則、俺はビルディングよりフォレストがいい。


 思考の切り替えと共に前方から足音。


「――あ! みつにぃ起きた!!」


 沢山の黄色の果実を両手に抱えたツキは、とたとたと寄ってくる。


 なぜだか異様に足元に注意をはらいながら。


「ああ、起きたぞ、ツキの宇宙一カッコイイお兄ちゃんが⎯⎯⎯」


 俺の謎の自己肯定を前に、ツキは身をなげうった、此方へと、抱えた果実を落としてしまうのも構わずに。


「――おっと」


 そんな彼女を俺は柔らかく受けとめる。


 こぼれ落ち、ゴロゴロと転がって行く無数の果実。


「ごめんねぇぇっ、みつにぃぃ……」


 なんでだろう、唐突に謝られた。


「……えっと、どうしたんだ?」


「あのねあのね……っ」


 ツキは言葉を詰まらせ、一瞬、逡巡の表情。


「ごめんねぇぇぇぇ!」


 ぶんぶんと頭を振り、強く抱きつきこちらを見上げて許しを乞う。


 その潤んだ瞳は今にも泣きそうだ。


「……ああ、あのさ、正直なにがあったか覚えてないんだけど、……取り敢えず俺は大丈夫だぞツキ、だから謝らなくていい」


 言って、俺はツキの銀色の前髪をサラッと手で流す。


 整えられた眉ときめ細やかな肌、その可愛いおでこが覗く。


「ううっ、ごめんねぇ、え、ぐっ、ごめん、ごめんねぇ……」


 まだまだ謝り足りないと同じ言葉の連続。


「ツキ……」


 俺はそんな少女を見て――


「ぅうっ、ごめんね、ほんとにごめんねぇ……みっち⎯⎯」


 黒いリボンでちょこんと結ばれたツインテを、軽く左右に引っ張った。


「うへぇ」


 変な音がでた。


「落ち着けツキ、俺心配しちゃうから」


「……うん、ごめ――」


「ツキ?」


 手を離し、咎める。


「……はい……」


 ツキは反射的な返事と共にしゅんと俯く。


 そんな姿を見て思わず笑いながら、俺はちょっとした提案をしてみる事にした。


 これは、俺の罪の意識から来たものなのかも知れない、あの時の過ちの償いの為なのかも知れない、だけどきっと、これはツキのためにもなる気がした。


「……ツキ……顔をあげて、……俺の名前を呼んでみてくれ、ああ、もちろん、國満じゃなくてな……?」


「……ぅえ?」


 ぱっと顔をあげたツキの表情、そこに浮かべているのは戸惑い。


「下の名前で、呼んでほしい」


 再度の俺の懇願。


「え、え、で、でも……」


 ツキからは複雑な思いの葛藤を感じる。


 ……あと一歩だ、あとひと押し、でももう言葉はいらない。


 互いの目を合わせるだけでいい。


 向き合うだけでいい。


 俺もツキも、逃げることはないから。


 だからじっと見つめる。


 見つめ合う。


 そうやって見つめ合った互いの眼には自らの姿が映し出される。



 ……数秒か、数十秒か、そんな少しの間、葛藤と決意、拒絶して、反芻して、互いの小指を掛けるように、ぎこちなく受け入れて繋ぎ合う、……やがてツキは、小さく口を開くと――。


「……新タくん……」


 と、俺の名前を呼んでくれた、そこにほんのちょっとの不安を混ぜながら。


「……ありがとう……よくできました、咲月ちゃん」


 笑って呼びかけ、俯きがちなツキの頭をわしゃわしゃと撫でる。


 不安を伴っていたその表情に、ぱぁっと、満開の笑顔が咲いた。


「うへへつ、もっとグシグシしてぇ……」


「ほーらほらほらぁー!」


 ツキの要望に答えて俺は先程よりも強くわしゃわしゃと頭を撫でつける。


「へへへっ、ふへっ、フへへへ……」


 破顔と抑えきれない笑い声。


「……ツキって、あれだよな……」


「え〜? な〜に〜?」


 俺は撫でていた手を止める。


「笑い方ちょっと変だよな」


「ぅぐっ、それちょっと気にしてるのに……」


 失敗、ちょっとグサッきた様子。


 まぁ、でも、そんな所も可愛かったりして。










  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る