第23話 あたしの救世主




 君が笑えば、世界は君と共に笑う。

 (Laugh, and the world laughs with you;)



 君が泣けば、君は一人きりで泣くのだ。

 (Weep, and you weep alone.)



 ⎯ エラ・ウィーラー・ウィルコックス ⎯


 『Solitude』(孤独)より





         ⋆☾·̩͙꙳‎✩




「――――うっ……」


 あたしはまた、月の光に晒された暗闇の中で目覚める。


 目の中に飛び込んでくる光が酷く痛く感じる。


 その光から逃れるようにして、ゆっくりと上体を起こし、時計を見た。


 ちょうど、時計の長針と短針は12の位置を指し示す深夜24時。


 光に当てられた自室はしんとした闇に包まれている。


 何度も繰り返された光景だ。


 窓を開け外の様子を見てみる。


 星々がきらめく夜空、光の灯らない家々。


 部屋の中へと、この季節にしては暖かな風が吹きこんできた。


 ……確か今日もお母さんはお仕事に行っているばず……


 ……寂しい、けど。


 でも、大丈夫。


 出逢ってからちょうどひと月、今日もまたいつものように彼がやって来てくれる。


 そんな彼と母の事を思いながらクスリと笑う。


 ……まったくもう、お母さんは彼を信用しすぎだ……だって、会って3日後にはもう彼と2人っきりにさせてるんだよ……? 普通のお母さんなら例え子供どうしでも若い男女を同じ屋根の下に泊めるはずないもんね……


 ……まぁ、あたしもお母さんのこと言えないけどね。


 だって、会って2日後にはもう彼を信用しきっちゃったし……


 私は、そんな自分をおかしく感じ、また微かに笑う。


 そうだ、今日はアレを付けてみよう。


 そう思い立ち、あたしは机にある鏡を立て直し、彼からもらった2つの水色のリボンを髪に結んでみる。


「……フへへっ……」


 しまった、変な笑いが出ちゃった。


 ばっちり決まったのを鏡でよく確認にして、ベットに座り直し、傍に置いてある兎のぬいぐるみを胸に抱く。


「……まだ来ないのかな……みっちぃ……」


 言葉を零し、再び時計へと目を向ける。


 カチッ、カチッ、カチッと秒針を刻む音。


 その音が辺りに鳴り響く度に、何故だか不安と寂しさに襲われる。


 そんな感情に急かされてか、時々部屋の扉へと視線を変え、望んだ事が起こらない悲しさから、再び時計へと視線を戻す。


 ――カチッ、カチッ、カチッ……


 また視線を変えつつ、ちょっと髪を弄る。


 ――――カチッ、カチッ、カチッ……


 ……何度かそんな事を繰り返していると気付けば、長針は6の数字を指していた。


「……どうしたんだろ、おそいな……みっちぃ……」


 30分の遅れ、今までこんな事は無かった。


 あたしが先に起きる事はあっても、彼がこの時間になっても部屋にいなかった事は無い。


 慣れているはずの自室なのに、なんだか凄く居心地悪く感じる。


 ――カチッ、カチッ、カチッ……


 もぞっと体を動かす。


 ――――カチッ、カチッ、カチッ……


 自分以外誰もいない不安に駆られる中、また気づけば、針は深夜25時を指している。


 ……静寂の中、辺りに硬く鳴り響く秒針の刻む音。


 寂しさを紛らわせる様に、胸に抱いた兎のぬいぐるみをギュッと抱き寄せる。


 ――カチッ、カチッ、カチッ……


 暗闇をじっと見つめる。


 ――――カチッ、カチッ、カチッ……


 夜の空をみている。


 ――カチッ、カチッ、カチッ……


 星の位置が違っている。


 ――――カチッ、カチッ、カチッ……


 ――ふと、目を移せば――――深夜25時30分。


「…………来ないの……?」


 迫り来る不安と孤独の恐怖から逃げるようにして、自室をぐるっと見渡す。


 前へとは少し変わった自室、本の数が随分と増え、勉強机には教科書類、スカスカだった本棚はパンパンに詰められ、ベットに横付けされた机には、沢山の本が積み上がっている。


 そこには私が元々持っていた童話の本や、彼がくれた本に、勉強の為の教材なんかもある。


「…………これ」


 その本の山を見て、私は兎のぬいぐるみを脇に置き、手近にあった一冊の本へと手を伸ばす――


「……ねむりひめ……」


 言葉を落とし、本を開く。


 なんで、いまこの本を手にしてしまったんだろう……


 開いたページはとあるシーン、一番の盛り上がりどころ。


 この物語で眠り姫は王子によって救われる。


 そんな胸が熱く感じる展開の筈なのに、今は何故だか酷く冷たく感じる。


「……なに、これ……」


 そんな物語の2人を見て、お腹の中で何かぐるぐるとしたものが渦巻いて、良くない暗い感情が迫り上がってくるのを感じる。


 ……ご都合主義なハッピーエンド。


 ……こんなもの、ありえない、あたしは何を期待してたんだろう。


 あたしは、なにを。


 何故だか、鼻の奥にツーンとしたものが込み上げてくる。


 そんな訳の分からない悲しさから顔を上げ、目に入るのは沢山の本、沢山の思い出、沢山の


 そんなもの、叶うはずないのに。


 いつだってそう、あたしの体はそんな当たり前のカタチを奪い去る。無駄にする。


 ……なんで。


 おまえにそんなものは用意されていないと現実を見せつける。


「……なんで、……」


 なんでそんなことするの……。


 あたし、何かわるいことした……?


 生まれて来たらだめだったの……?


「……ねぇ……なんで……」


 ひどい。


「……ひどい、酷い、酷い、酷い……」


 やだ、やだ、やだ、やだ、やだ――


「やだっ、やだ、やだ、やだ、やだ」


 もうこんなの――沢山だ。


 ズシリと、負の感情が重くのしかかる。


 ――ビシッ。


 どこかで何かがヒビ割れるオトを聞く。


 そこから溢れて来た、どす黒い感情。


 その醜い感情に呑まれ、従い。


 あたしは、目の前で顔を覗かせる絵の書かれた本の1ページをクシャッと握ると――



 ――ビリッと引き裂き破り捨てた――。





         ⋆☾·̩͙꙳✩





 ――咲月ちゃんとの出会いから月日が立ち、互いの事がよく分かり始めた頃、空の暗闇が色濃く染み込んだ深夜。梓川家へとひた走る道中にて。


 俺は少し焦っていた。


「……はあっ、はぁっ、まずいな……」


 咲月ちゃんが目覚める時間より2時間も遅れてしまっている。


 こんな事になったのも、親父が急に倒れて救急車を呼んだりと色々あったからだ……しかも緊急搬送中、親父が急に飛び起きて『俺はまだ死なんっ! 死んでたまるかぁぁああ!!』とか叫び出すし……ホント勘弁してくれ親父、こっちは心臓止まる思いだったんだぞ……


 まぁ、そんなこんなで病院で親父の無事を見届けて、今に至る訳だが。


 因みに自転車は高校一年の時にパンクしボコボコにひしゃげて変形している。


 ……買っておけば良かったな、新しいやつ。


 後悔先に立たず。


 ――溜息と共に視線を下に落とし、手首に巻かれたミサンガを見る。


 ……咲月ちゃん、大丈夫だろうか、俺は初めての出会いから毎日欠かさず彼女の家へと赴いている。


 最初の頃は辿々しかった会話もごく自然に出来るようになっていき、笑顔も増え、咲月ちゃんの突っかかった様な言葉使いもだいぶ和らいで来ている。


 そういうのも含めて彼女の成長への良い兆候なんだが……


 だからこそ、危うげな状態とも言える。


 この状態は例えば、まだブロックを積み上げて行っている途中、しっかり固定されていない状態、設計図に4つある柱がまだ3つしか完成されて無く、力の加わり方が片側に寄っている状態だ。


 そして今、未完成の支柱の一つは周りの人達で補強している。


 その柱が唐突に無くなってしまえば――


 少しの重みでヒビ割れ、些細な衝撃で崩れてしまうこともあるだろう。


 考えすぎか……


「……大丈夫だと思うけど……」


 あまり楽観的になるのは良く無いか……


 俺はそんな不安に背中を押されるようにして、彼女の待つ家へと走り続ける。


 ふと、視界に入った夜空に浮かぶ月は、どこまでも俺に着いて行き、その雪化粧のような白い貌は、得もしれぬ不安を掻き立てる。


 そんな焦燥にも似たものを感じつつ、やっとの事、目の前に梓川家が見えてきた。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……ついた……っ」


 玄関の前、息つく暇も無く滴る汗を拭いながら預かっている鍵を使い家の中へと入っていく。


 ――玄関から家へと入るその途中――、庭先には、月の光に照らされた白い花が咲き乱れていたのが見えた気がした――。






         ⋆☾·̩͙꙳✩






 ――あたしは、視界から入り込んできた闇に恐怖を感じ、それを振り払う為に、目の前の一冊の本を破り続ける。


「やだっ、やだっ、やだやだっ! なんであたしだけこんな事ばっかりっ……!」


「なにも悪いことなんてしてないのにっ」


「……どうして、どうして、どうしてっ!!」


 次々にページを破り捨てていく。


 捨てられた数々のページは、窓から入り込んできた風に舞う。


「……あたし……」


 やっぱ、生きてちゃダメなんだよね。


 生きてても人に迷惑かけてばかりだし。


 そうなんだよね……?


「……そうなんだ、やっぱり……」


 破りづけた一冊の本はやがて薄くなり表紙だけになる。


 ビリビリに破かれた本、辺りに散らばる紙。


 その中にあたしはポツンと独り。


 ……なんだか、もう、悲しくもなくなって来ちゃった……。


 ……現実は、物語のお姫様のようにはならない。


 ……どこまでも続く先の見えない暗闇があるだけ。


 ……その足元のおぼつかない暗闇の中でも、確かに、一緒に歩いてくれる人はいる。


 あたしなんかの為に。


 そんなに親身になってくれても、あたしは全然変わらないのに。


 変われないのに。


 無駄だよ。そんな事しても。


「…………」


 静まり返った空間。


 悲しみは更に膨れ上がる。


 また、一冊の本を手に取る。


 この本は、将来の為の本、学校に行く為の、未来がある事を許された人達の為だけのもの。


「……ぁあっ……」


 声にならない声。


 ……今まで頑張ってきた。


 みんなに迷惑をかけないように笑ってきた。


 泣かないようにしてきた。


 でも。


 もう無理だ。


 ついに、悲しみでぼやけた視界からは、一筋の涙が零れ、頬を伝い、顎先からその本へと落ち、黒く染み込む。


 なんで、なんでこんな体に産んだの……お母さん……


 そんな、――醜い事を思った。


「……あ、たし……は……」


 何を言ってるんだろう……


 お母さんは何も悪くないのに……


 ――ぽつり、ぽつりと零れ落ちる涙。


 本に染み込んだ斑点をじっと見ている。


 ……心がどんどん醜くなっていくのを感じる……


 ……もう。


「しんじゃおっかな」


 ポツリと言葉を落とし込むと、また本を手に取り、クシャッとページを握り、くうへと破り捨てた――。





         ⋆☾·̩͙꙳✩





 ――俺は、度々段差に転けそうになりながらも階段を駆け上がり、『さつき』と書かれたボードが掛けてある部屋の前まで辿り着くと、自分でもよく分からない焦りからか、いつもよりも勢いよくドアを開いた――


 それと同時に飛び込んでくる風。


 紙が巻き上げられるような音。


 網膜に入ってくる眩い光。


 聞こえてくる泣き叫ぶような悲痛な声。


「――咲月ちゃ……」


 月明かりに照らされた俺の視界には、その視界を遮る程の数十枚のページが、部屋の中をひらひらと舞っていた――。


「……みっちぃ……?」


 不安げに俺の名前を呼ぶ少女の声。


 その声の主の元へ、辺りに散らばった紙を踏んでしまうのも気にせず近寄っていく。


 傍までよると、それに気づき、ベットから此方を見上げる少女の、涙で濡れた顔。


「……ごめんな、遅くなって……」


 その少女の瞳から零れ落ちそうになっている一滴を、親指でそっと拭う。


「――みっちぃっ……!」


「咲月ちゃ……ぉっ」


 俺の名前を叫ぶと、咲月ちゃんは何か堪えきれないものがあったかの様に、手に持った本を落とし、此方の胸元へと身を投げ出すようにして飛び込んできた――。


 勢いのまま、後ろへよろけ、背後の壁に背から寄りかかり、胸の中にいる少女を守るようにして座り込む――。


 再び空に舞うのは、言葉の綴られた数々のページ


 それによって遮られた視界、その隙間から入り込んでくる月の光。


 ギュッと抱きしめられる感触。


「ぁぁ、っ、ぁぁぁああっ―――!!」


 胸元から聞こえてくる悲しみ。


 そんな咲月ちゃんの身体を優しく抱き返す。


 空に舞った紙が一枚、ひらりと咲月ちゃんの頭へと落ちてくる。


 俺はそれを、そっと払い落とす。


「ぅぁあっ! みっちぃ、みっちぃ ! みっちぃ! みっちぃっ……!!」


 何度も何度も俺の名前を呼ぶ声。


 呼んでくれる声。


「……大丈夫だ、俺はここにいるよ、咲月ちゃん……」


 安心させるようにそう言うと、心持ち強めに抱き寄せる。


「ッ、ぁああっ……!」


 声をあげ、泣く咲月ちゃんの背中を優しくさする。


「……ほら、落ち着いて、俺はどこにも行かない」


 静かに、でもはっきりと言葉を語りかける。


 背中をさすり続け、互いのぬくもりを交換し合う、咲月ちゃんは少しヒクついた声を残しながらも、落ち着きを取り戻し、暫くして、悲痛な叫びを吐露した。


「……ねぇっ、みっちぃっ……あたしっ……あたし生きてちゃ、だめなのかな……」


「……何言ってるんだよ、咲月ちゃん……そんな訳ないだろ……? 生きてちゃだめなんて事ない」


「……だって、だってだってだってだって、だってさ!!、あたし迷惑かけてばかりなんだよ……、お母さんに、お父さんに、墨音ちゃんに、みっちぃに……他にもたくさんの人に……迷惑ばかり掛けてきたあたしに価値なんてない……! 生きてる価値なんてない……!!」


「そんな事無いっ、無いから……咲月ちゃんは、そうやって自分には価値が無いなんて言うけど……ここまで歩んできた、ここまで頑張って生きてきた、それは凄く偉いことだ、胸を張って誇って良いことだ」


「でも、でもねっ、……もう辛い……辛いよっ、…………」


 言葉が途切れる、何か気持ちを切り替えようと咲月ちゃんは、大きく息を吸った。


「……、だ、ダメだ、否定ばっかりで、こんなの良くない、良くない、よくない……」


 必死に自分に言い聞かせている、そうして自分の弱さをひた隠す。

 その年齢にして、そこまでの強さを持ってしまっていた。


「……咲月ちゃん……」


 静寂と擦れる紙の音。


 胸の中ではただ孤独に泣き震えている。


 そんな少女へ、俺は語りかける。


「……そうだね……辛いんだよね……俺に、俺には……咲月ちゃんの辛さを、その悲しみの全てを理解することは出来ないけれど……」


 溢れて止まらない涙が服に染み込んでいく感覚。


「でもね、これから咲月ちゃんが生きていける為の強さを教える事、与えることは出来る」


 そう言葉を投げかけると、咲月ちゃんはもぞっと身体を動かした。


 そんな咲月ちゃんを見て、俺はまた少し、身体を寄せる。


「……だから……分不相応で、身の丈に合わない男の言葉かも知れないけど……ここは一つ、聞いてみて……」


「……大丈夫……これはお説教なんかじゃない」


 その言葉を聞き、胸の中へと縋った咲月ちゃんがギュッと服を握りしめたのを感じ、微かに頷いたのを目で確かめてから、混み上がった言葉を、想いの丈を、震える少女へと伝え始める。


「……咲月ちゃん、君は、大事な思春期を、そんな時期に学べるであろう青春や勉学、人間関係をその運命によって奪われてしまった……」


体になってしまった」


 現実を知るのは、受け入れるのは辛いことだろう。


 それでもどうしてか、人は生きて行かなければならない。


「……ほんと……酷いよな、憎いよな……その憎しみをぶつける矛先は、そんな運命を与えた世界か神か……ひょっとしたら親を恨んでしまった事もあるのかもしれない……」


 更に、服をぎゅっと握り締められる感覚。


「でも、君は心の何処かでは分かっているんだろう……誰も悪くは無いと……咲月ちゃんは優しいからな……俺と一緒に過ごした時間はひと月程で、まだまだ短いのかもしれないけど、そんな短い時間でもよく分かるぐらいに、君のその溢れんばかりの優しさは、俺の心に染み入るほどに、感じる事ができた……いっそ、分けて欲しいぐらいに」


 啜り泣く声。


 その表情は俯いていてよく分からない、それでも、俺は言葉を続ける。


「咲月ちゃん……良いか、よく聞いて、君はそんな境遇だからこそ、他の誰よりも、時間というモノの大切さを、価値をわかっている、それはこれから生きて行く上で何にも負けない君だけの強さだ」


「……つよ、さ……」


「そうだ、強さだ、それは何にも変えられない君だけのもの」


 咲月ちゃんはまた少し俯き、ぎゅっと目を瞑った。


「……うぅ、あぁぁ、!っ」


 そして再び、涙を声にして零してしまう。


 そんな咲月ちゃんの頭を優しく撫でながら、その閉じこもりざるを得なくなった心の扉の前で、そっと語りかける様に、届いて欲しい、聞いてほしい、伝えたい言葉を続ける。


「……でもまだ、ひとりじゃ不安だろう、苦しさに耐えられないだろう、頼る人が必要だ……一番良いのは家族だけど……家族に頼るにも互いの距離が近すぎるからかな、遠慮してしまうんだよね」


 涙を必死に止めようとする声。


 ――そんなに頑張らなくても大丈夫なのに――


 ――必死に、必死に――


 俺はそんな頑張り屋な少女の、何度目かの名を口にする。


 ――伝えきらなければならない言葉を告げるために――。


「咲月ちゃん……君は夜しか知らなく、朝を知らないと言うけれど……そんなのは関係ないんだ、それは部屋の明かりが点いてるか点いていないかの違い……それでも世界は回っていて、朝には太陽があり、暗い夜には月明かりがある、俺は凄く酷い事を言っているんだろう……それでも歩けと言っているのだから……」


「……俺は、俺は凄く酷いことを言っているんだろう……それでも君に歩けと言っているのだから……」


「だけどな、でもな、……その月明かりだけでは頼りなく、下を向いて歩かなければ行けないほど足元が不安なら……」


 咲月ちゃんはその言葉の続きを問い掛けるように、涙で濡れた瞳で此方を見上げてくる。


 それに対し少し笑いかけながら、その問い掛けに対しての返答を。


「――不安なら、俺が手を引く……俺に頼って……遠慮せず、気軽に……たまには寄りかかってみたいとかそう言うのでも良い、少しずつ、君の価値を、その強さをより強固なものにして行くんだ、そうやって君はいつか、胸を張って歩いて行けるようになる…………最後には俺なんて必要の無いくらいにな」


「……みっちぃっ……」――か細い声。


「……でも、でもそれでもっ、そんな事してくれても無駄になるかもしれないんだよ……」


 それは経験則。


 それは不安の募った想い。


 拒絶の籠った声。


 咲月ちゃんは縋った場所から離れようとする、――身体を優しく押される――俺はそんな彼女を強く抱き寄せ、誓いを、口にした――。


「無駄にはしないっ、絶対にだっ、だから、だからな」


「――だなんておもうなっ――!!」


 自分でも驚くような大きな声、その誓いと呼び止めに、こちらを見据えた咲月ちゃんは、目を、大きく見開いた。


「……咲月ちゃん……君はもう、十分に頑張ったんだよ」


 どうか縋ってくれ、こんな俺でもいいのなら。


「……ぁぁっ……」


 涙を堪える引っかかったような声。


「うぁぁ、っ、い、いいの? ねぇ、いいの……?」


「いいに決まってる、そんな君だから、俺は助けになりたいと思ったんだから」


 零れでる一雫を俺はそっと指で拭う。


「……だからどうだろう、少しお節介が過ぎるかも知れないけれど、その運命から解放されるその時まで、ここに俺を居させてくれないか……?」


「君が望み続ける限り俺はここに居る、だから今はたくさん泣いて、……そうやって、涙が枯れ果てるまでに泣いた後は、少し笑ってみて、いや、俺が笑わせてあげる、不幸なんて笑って飛ばしちまおう……」


「……そうして2人で……ううん、皆で笑ったあとは、笑い疲れてしまったあとは、安心して眠って良い……次もまた、俺が咲月ちゃんを起こすよ」


「――また起こして欲しいと、暗い夜に手を引いて欲しいと君が願う限り――」


 ――想いを伝え終わる。


 ――共に、部屋に響くのは、抑えの無くなった涙声。


 そこに言葉は無い。


 ただただ響き渡る少女の慟哭。


 俺は目を閉じ、ずっと、ずっと、ひくつく背中をさすっている。


 時の流れは感じなく、いつまでそうしていたのかは分からない――。


 


  ■■■




 ――軈て咲月ちゃんは落ち着きを取り戻してきたのか、その身体に加わっていた力がふっと、抜けたのを感じた。


「……どうかな、やっぱり頼りないか」


 俺は情けなくも、ほんのちょっとの不安からそんな事を言うと、咲月ちゃんは――


「……ううん、そんな事ないよ……」


 と言って、頭を強く振る。


「あたし……本当に……? 良いんだよね……?」


 期待と不安の混じった表情で見上げてくる。


 俺はそんな咲月ちゃんに対し、微かな笑い声を漏らす。


「当たり前だろ、これまでだってそうして来たし、これからだってそうする」


「……うーん、これは、そうだな、言ってしまえば、ただの事実確認だ、より強固な裏切りませんの契約、指切りげんまんってやつだな」


「……ゆびきりげんまん……」


「……しとくか? 指切りげんまん」


 俺はそう言うと、咲月ちゃんと互いの小指を繋いでみる。


「……ううん……大丈夫……」


「……そうか……?」


 咲月ちゃんはそうやって言うけど、繋がったままの小指には心做しか力が入った気がする。


「……まぁ、してもしなくても、咲月ちゃんを裏切ったら、嘘ついたら、針千本どころじゃないけどな」


「……じゃあ、どうするの……?」


「……うーん、そうだな……俺が嘘ついたら……」


「咲月ちゃんの部屋のベッドにでも縛り付けて置いてくれ、そこからは咲月ちゃんの自由にしていい……俺は何も抵抗はしない、煮るなり焼くなり炙るなり揚げるなりしてくれ」


「……揚げるなり……?」


「……ああ、カラッとジューシーに」


「……からっとじゅーしー……」


 咲月ちゃんはそう呟くと、何か可笑しかったのかくすっと笑った。


 ……そんな笑顔の似合う少女に感化され俺もまた少し笑いながら、改めて、二人の大事な約束事。


「でもな、咲月ちゃん、俺は君を裏切る様な事は絶対にしないからな」


 潤んだ瞳にしっかり目を合わせる。


 考えるような間。そして――


「うん」


 咲月ちゃんが強く頷いた。


 それを見届けると、俺は先程思い浮かんだちょっとした提案をする。


「……気分転換に外にでも出ようか、幸い今日は温かい日だしな」


「……うん? そと……? わかった」


「よし、そうと決まったらすぐ行動だ」


 咲月ちゃんの頭をクシャッと撫で、支えるようにして立ち上がらせ、手を繋ぎ部屋を出て、階段を降り外へと向かう。


 でも流石に、まだまだ暗い夜道を咲月ちゃんを連れ出歩く訳には行かないので、リビングにあるウッドデッキまで。


 ――リビングに着くと窓をガラッと開け、ウッドデッキに座り、2人で腰を落ち着かせ、ついでに持ってきていた毛布を咲月ちゃんの背中へと掛ける。


「……ぅえ? あ、ありがと……」


 どこか所在なさげに目を泳がせた咲月ちゃんを横目に、正面にある花壇へと視線を移す。


「ん、やっぱそうか、玄関から見えたと思ったけど花めっちゃ咲いてるな」


 言葉を聞き咲月ちゃんも正面の花壇へと視線を移した。


「……わぁ、本当だぁ……」


 驚きの表情。


 俺が言った通り、庭にある大きな花壇にはいつもは見ない白い花々が満遍なく咲き誇っていた。


 その白い花々は、吹く風に揺れ、月の光に照らされて、何処か幻想的にすら思える。


「これ、なんて花か知ってるか?」


 目をキラキラと輝かせて、足をぷらぷらとさせる咲月ちゃんへと問い掛けてみた。


「……ううん、わかんないけど、お母さんが埋めてたの覚えてる」


「へぇ、美香さんが……今度聞いてみるか……」


 初めて見たっぽいから埋めたばっかなのかな?


 そんな疑問を感じながらも今日ずっと気になっていた事を一つ、尋ねてみる。


「咲月ちゃん、そのリボン付けてくれたんだな、俺はとても嬉しいぞっ……ここで一つ、舞でも舞ってやりたいぐらいだ」


「へへっ、似合ってる?」


「うんうん、似合ってるぞ、俺の目に狂いは無かった」


「……ふーん、じゃあ、舞ってみて」


「……え?」


 ……まじ……?


「……わ、わかった、咲月ちゃんがそう言うなら、仕方ない……鳴かぬなら、舞って魅せようホトトギス」


 俺は決断と共に立ち上がると、姫の言いつけ通りに庭先へと踊りでる。


「……よ、し……決して目を逸らさず良く見ておきなさい……、これが――俺の舞だっ」


 俺は、――舞う。いいや、踊る。――――盆踊りを。


 ……まあ、もちろん、テレビで見た見様見真似だ。


「あ、そーれ、あ、そーれ……」


「おー、うまい、うまーいっ」


 俺の音頭と咲月ちゃんからの軽い拍手エール。その観客席の声援を聞きながら俺は、踊る。


 月夜に照らされたこの舞台で、踊り続ける。


 咲月ちゃんはクスクスと笑っている。


 ――そんな中、ふと、――俺は思う。


 踊る己の影を見て思う。


 ……何やってんだろう。おれ。


 そんな自問の中、風が吹いていく、後ろの花々がサラサラと音を立てる。


 その音は、何処か俺を嘲笑っているような気がした。


 よし、やめよう。


「今日はここまでにしときまーす」


「えーー!!」


 大ブーイング。


 それを押しのけ、咲月ちゃんの隣に座る。


「失礼する……」


「へへへっ、ぎゅぅー」


 そう言ってがしっと抱きついてくる。


「か……」


 可愛いっ! 何この子! お持ち帰りしちゃおうかしら!


 お、落ち着け、俺……明日の新聞の見出しに乗るわけには行かないだろう。


「はぁ、はぁ、はぁ……っ」


「どうしたの? みっちぃ?」


「な、ななななんでもないぞ、そ、そそ、そんなことよりも、咲月ちゃんは明日なにかやりたいことあるか? これからの事でもいいのにょ」


 めちゃめちゃ噛み噛みで咲月ちゃんの疑問をはぐらかす。


「……これからの事……」


 不安げな声。


「大丈夫だ、さっきも言っただろ、俺がいるから、遠慮せず頼ってくれ」


「……うん、ありがとね……」


 その言葉に俺は頷く。


「……えっとね、みっちぃ……」


「……うん?」


「……あたし、本を書く仕事をしてみたい」


「……本?」


「うん、小説でも絵本でも、なんでもいいから……」


「あたしと同じ様に病気に苦しむ人の為に書いてみたい」


「……咲月ちゃん……」


 少女の内なる想いを聞き、ウルっと来てしまう。


「……出来ると思う……?」


「出来るに決まってるだろっバカヤロウ」


 頭をくしゃくしゃと撫でてやる。


「あたし、女の子……」


「ご、ごめん」


 2人でクスっと笑う。


「……あ、あと……ごめんね、……買ってくれた本、破っちゃった……」


「ん、あぁ……別にいいぞ、また買えばいいしな」


 そうは言ってみるが、咲月ちゃんはまだ何処か申し訳なさそうにしている。


 きっと自分の将来の夢的にも、本を破ってしまった行為に深く罪悪感を感じてしまっているのだろう。


 だからそんな咲月ちゃんを見て俺は、すこしでも前向きになれるように話を切り替える。


「……咲月ちゃん、他には何かやりたい事あるか……?」


「……うん? ……うーん、えっとねー」


 花壇の花を見詰めつつ此方に寄り掛かりながら考えている。


 ――小さく口が開く。


「……新タくん」


 ドキッ!


「あ、あれ、名前……」


 唐突に下の名前は反則だっ、ちょっとキョドってしまっただろう……


「……だ、だめ?」


 ちょっと泣きそうな咲月ちゃん。


「いや、全然そんな事ないぞっ」


「……よかったぁ……あ、でも……」


「ん、どうした?」


「……もうちょっとに言うね」


 今までの咲月ちゃんからは感じ取れなかった何処か大人びた顔。


「……大事なとき? なんだ、それ……?」


「へへへっ、教えませーんっ、乙女の秘密で〜す」


 そんな事を言いながらくすくすと笑い身体を揺らしている。



 ――いいな、笑顔の似合う女の子だ――。


 ――いつまでも、見ていられる――。


 ――こんな綺麗な景色はずっと――続けばいいのにな――。


 俺は、こうして、ただ、見ていられるだけでいいのに。


「……うん? どうしたのみっちぃ?」


 風に揺れた髪を抑えて、ボーっとしてしまった俺へと問う。


「……あ、ああ、いや、なんでもない……そんな事よりもさっきの続きだ、咲月ちゃん、他に、やってみたい事はあるか?」


「……ん〜まだい〜っぱいあるよー、聞きたい?」


 脚を揺らし、楽しそうに言う。


「聞かせろ、聞かせろうっ」


「へへへっ、あのね、えーとー」


 はにかみ、俺へと未来の言葉を話し始める少女。


 いつまでも途切れることのない会話。


 ― そのさなか ―


 ――思い出す言葉を、――告げた思いを、――改めて。


 ――人の悩みは、傷は、過去は、その深さは他人が分かる事などできないけれど、それでも、独りじゃその治療箇所をどうしていいか分からないから、だから、例えおっせかいだとしても、例え不器用な行為だとしても、膿んでしまう前に、手遅れになってしまう前に、また一人で歩けるように、手当てをしてやれる人が必要だ。

 ひょっとしたら、その治療箇所には傷跡が残ってしまうのかも知れない、だとしても、一人でまた立ち上がる事ができるようになっているのなら、再び歩き出せる力になる、その傷跡と向き合う勇気になる。


 ……ああ。


 ……どうだろうか。


 ……これは、この考えは、おのが贖罪へのただの自己満足になってしまうのだろうか。


 ……分からない、分からないけれど、それでもいいのでは無いかとも思う。


 ……だって隣で、こんなにも笑ってくれる人がいるから。


 ……目の前の、困っている少女を助けてあげたかったのは真心だ。


 だから


 これで俺は俺を保っていられる。


 だから、――俺はそんな少女に感化される。


 肩を揺らし笑い合う。




 ――そうしていつまでも、2人の少年少女の未来への会話は続いていく。


 ――気が付くと、辺りには、暖かな光が差し込んでいる。


 ――大きな花壇にある満開の花々は、いつの間にか仄かにピンク色に色づいていた。


 ――梓川 咲月あたしは、そんな運命の変調に、幸福に浸りながら、そんな救いをもたらしてくれた彼へ想う――――。




「……みっちぃ……」


「……うん……?」




 ――あなたのおかげで――、



 ――なんだかあたしの人生――、



 ――これからもっもっと素敵なことがある様な気がしてきました――。




















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・月見草

 別名 白花夜咲月見草

 学名 Oenothe tetraptera

 原産地 メキシコ

 フトモモ目、アカバナ科、マツヨイグサ属。


 花言葉 無言の愛情、仄かな恋、移り気、自由な心、湯上り美人、打ち明けられない恋。


 開花時期、6月~9月

 夕方、夜に花を咲かせ、咲き始めは白く、朝に近づく頃には淡く仄かにピンク色に色づき、ゆっくりと花びらを閉じて一夜限りの開花を終える。

 









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