第21話 導き
神社からの帰り道、白雪と別れてから一度自宅へと戻り、お腹が「グキュルルゥ……グギャー!」と、食事を訴えたので、手早く少しの間食をすませた後、もう着替えるのもめんどうだぜと、どうせ暑くなるだろうと、学生服のブレザーだけを脱ぎ捨て、頭の中で白雪からのアドバイスを反芻しながら自宅を飛び出し……「……と、危ない危ない、鍵かけないと……」くるっと振り返り、鍵をかけれたのを確認してから、蜜柑色に染まったあの夕焼けへ颯爽と走り出す――俺は風だ、山あり谷あり、何処までも駆け抜けていく風、君の心の隙間がある限り、この暖かな風で、その心の隙間を埋めて見せよう――。
――なんちゃって。
⋆☾·̩͙꙳✩
恋焦がれる様な赤い夕焼けは闇に包まれ、 夜に浮かぶ月が淡く光を放ち、爛々とした町の明かりがポツンと消え失せ、静寂の深い夜に星々が満遍なく煌めく深夜23時頃。
月の光と夜の闇が入り込んだ暗い部屋の中、温かなベッドの中、カラフルな洋服を着た兎のヌイグルミを抱き込んだ夢の中の少女は、再び動き出した世界に気づき、もぞっと身体を動かす。
「……ん、うぅ……」
いつもの暗い闇と白い光を感じ取り、少女は、月から垂れ下がった一筋の糸に吊られる様にして、ゆっくりと上体を起こす。
寝静まった夜。自分が起きていられる事を、生きていられる事を許される唯一の時間、――あたしは、カチカチと部屋に鳴り響く時計へと視線を向ける。
いつもより少し早いみたい。
「……みっちぃ……」
あの人はまだ居ないのかな、最近気になるあの人、まだ会ってから二日しか経っていないけど、あの人と過ごす時間はゆったりとしてて、きらきらとしてて、暖かくて、安心出来て、また会ってみたいと思えて、……でも、やっぱり……少し悲しくなる。
こんな幸せな時間は何時までも続かなく、普通の人より限りある私の時間は、そこに居てくれる人を困らせる。
だから悲しくなる、そんな悲しげな顔されると、やっぱり私は悲しくなる。
そんな悲しさから来た不安に推しつぶられそうになり、縋るようにして、彼がくれた胸にすっぽりと収まる兎のヌイグルミを抱きしめる。
少しだけ、不安が和らいでくれる。
白い毛並み、ふわっとした感触、お洒落なお洋服、真っ赤なおめめ。
名前はまだ付けていない。
兎は、不思議の國への案内役を担ってくれる子。
でも、あたしはアリスには似合わない、活発で、迷いが無く、健康的なアリスにはなれない、どちらかと言えば、弱々しく、臆病な兎がお似合いだ。まぁ、あたしはこんなに愛くるしく無いけどね。
……って、だめだめ、こんな暗い考えを持たす為に彼は私に兎をくれた訳じゃない。
切り替えないと、少しでも明るく振る舞う為に、彼にも、お母さんにも、遠い所であたしの為に頑張ってくれてるお父さんにも、困った顔をさせない為に。
今日もまた………
でもやっぱり。
「……悲しいよ……」
…………寂しいよ。
何処までも広がる暗闇に、ままならない時間に、境遇に、涙が込み上げそうになってくる。
でも我慢。
目をぎゅっと閉じ、そっとあけ、逃げ場のない闇を見る。
暗い、何処までも暗い、夜空の月明かりは、闇をいっそう際立たせる。
でも部屋の電気はあまり付けたくない、ここには沢山の諦めた事があるから、学校、勉強に、やって見たかった部活や、将来の夢、沢山の奪われたカタチ。
そんなモノ、見たくない。
胸の内から苦しい何かがふつふつと込み上がってくる。
いやだな。いやだな――――
『――へぇ、一日中寝てられるなんて、楽そうでいいなー……――」
『――大人になったらどうせ治るんだろ、だったら良いだろ――』
『植物人間じゃん』
過去の影はわらって言う。
「……あぁ……」
――痛みは知らないと分からないって、なんなんだろう、――この世界。
「……誰か、助けて下さい……」
ポツリと、切実な思いがこぼれた。
そんな張り裂けるような悲痛な時間の中、何処からか、音、が聞こえてくる。
「……え……? ……この音……」
下の階にあるピアノの音? 真っ黒でずっしりと大きなピアノ。
「……お父さん……?」
でも、お父さんは今ここには居ないはず。病気にかかった頃、いつも私を呼んでは弾いてくれた。私はそんなお父さんの優しく、暖かな音が凄く好き。
でもこの音は、記憶の中にある音とは少し違う、優しくも感じるし暖かくも感じるけど、ほんの少しの、悲しさが混じっている。
でもあたしはこの音は嫌いじゃない、このそっと寄り添ってくれるような悲しさは、すごく安心を、安らぎを感じる。
そんな音に惹かれるように、ベッドの軋みと共に起き上がると、歩き部屋の扉へと向かう。
窺うようにしてその扉を開けた先、暗い廊下、暗い階段、窓から差し込む月明かりだけを頼りに、手すりを使いその音のする方へと行ってみる。
「……なん、だっけ、この曲……」
確かお父さんがよく聴かせてくれてた曲だ。
えーと、たしか。
まだお父さんがこっちにいる頃、あたしにピアノを弾いて見せてくれた時。何度もこの曲を弾いて、何度もその名前を言ってくれてた。
思い出す、あたしがまだ明るい時間に起きれている頃、窓から入り込む風が心地よく、白い朝日に包まれた広い部屋、私に、曲名を言って聞かせるゆっくりと動く唇の動きを――曲名は⎯⎯⎯⎯⎯。
「……ひそう……」
確か漢字で書くと……
⎯⎯⎯悲愴⎯⎯⎯。
「……だったけ……」
ベートーヴェンの曲だ。お父さんはベートーヴェンが好きで、その中でも特によく弾いてくれた曲。
じゃあ、やっぱりお父さん……? 帰ってきたのかな……?
あたしは、悲しい時にいつも笑いかけてくれるお父さんの顔を思い浮かべながら、無意識で持ってきていた兎のヌイグルミを少し強く抱きしめ、ぐねっと曲がったいつもの階段をおり、段々とよく聞こえてくる柔らかく包み込む様な演奏に優しく抱き寄せられるようにしてリビングへと続く廊下を歩き、その隣の部屋、扉が開け広げられた広い空間にポツンとピアノが置いてある部屋の入口まで辿り着くと、そっと中をそっと覗いてみる。
初めに目に入ったのは窓から差し込む月明かり、開け広げられた窓から入り込む風で、まるで白鳥が羽ばたいたかの様にも見えた揺れる白のカーテン、光沢のある大きくて真っ黒なピアノ。
悲しさを感じさせる音は、徐々に踊るようなリズムになって行く。
その暫く弾かれる事の無かったピアノと寄り添い、触れ合い、音で対話をするその人は、帰国し、家に帰ってきたお父さんでは無く、最近少し気になり初め、その笑顔に、その仕草に、その声に、段々と目を惹かれるようになって来ていた彼だった。
そして最後にあたしは、彼の奏でる優しすぎる曲の終わりと共に呟かれた言葉に、ぎゅっと、胸をしめつけられたのだった。
⋆☾·̩͙꙳✩
暗く銀の月明かりに照らされた広い空間、開け広げられた窓から入る風が風呂上がりの火照った身体に心地よく感じる。
冬の到来を感じさせる秋の季節にしては、今日はなんだかほんのり温かい。
そんな季節のちょっとした気変わりを感じつつも俺は、指先、白と黒の織り成す鍵盤へと意識を集中する。
今から俺が弾こうとしている曲名は⎯⎯⎯
⎯⎯⎯ ベートーヴェン ピアノソナタ8番『悲愴』第2楽章⎯⎯⎯
ベートーヴェンの悲愴と言えば1番認知度の高いのがこの第2楽章だ。
ピアノを弾くのは久しぶりなので感覚を取り戻す為、練習がてらってヤツだ。美香さんのご主人のグランドピアノらしい、弾かせて欲しいと頼んでみたら快く了承してくれた。
音量の大きさと深夜な事もあってご近所さんへの確認は既に済ませてある。根回しはバッチリ。
「……よし……」と、一つ声を零し気持ちの切り替えを。
どんな曲でもそうだが、この曲は特に、始まりの部分、最初のタッチが特に重要だ。
この始まりの部分にはこの曲の大事なメッセージの一つとされる祈りの意味が込められているとされる。
その祈りの意味が垣間見えるのは、楽譜に載せられた冒頭部分、小節同士の音符の配置を線で結んで見ると見えない十字架が現れることからも、その意味が重要視されていることが見て取れる。だからこそ、最初は優しく祈るようにだ。
って言っても別に調べた訳じゃないから、本当の所はよく分からないけど。まぁ、解釈は人それぞれと言うことで。
俺は優しく祈るようにして、最初の音を鳴らし奏で始める。
⎯⎯⎯沈む指先、静かな始まりの一音。動き出していく⎯⎯⎯
手は、指先は、鍵盤から伝わる懐かしい感触を感じ取り、それを合図に忘れていた感覚を呼び起こしていく。
完璧な調律を施されたピアノの音色が耳に心地良い。
この曲は、悲愴という題名からして悲しみしか感じないけど、実際の中身、内容を知るとその意味が変わってくる。
その由来となっているのは、この曲を作曲していた時期のベートーヴェンの生き方からして鑑みることが出来る。
そう、ベートーヴェンがこの悲愴を手掛けるきっかけになったのは、自身に起きた耳の不調だ。
何よりも音というのはピアノを弾く上で絶対に欠かせないものだ、そのピア二ストの耳が難聴になってしまうのは、絶望であり、悲劇といえる。
段々と聞こえなくなってくる自分の耳、今まで当たり前のように出来ていた事が出来なくなって行く哀しみ、絶望に打ちのめされ、例え逃げてしまっても仕方の無いことだと言える。それでも、ベートーヴェンは決して諦める事はなかった。
そして、ベートーヴェンはこの悲劇に打ち勝つために、自室に籠り、孤独の中、ひたすらこの曲を作曲していたという。
決して、辛く痛く悲しいこの運命に、負ける事は赦されないという意志とともに。
……まぁ、実際ベートーヴェンが何を思って作曲していたかなんて事は、本人にしか分からないことだけどな。
そんな事を思っていると、暗かった曲調は徐々に明るめの曲調へと変化していく。
でも、彼がどう想っていたかは、今は置いておくとしても、今この曲を弾く俺の想いは、今眠っているであろう、少女の夢の中へと、少しでも良い影響を与えてくれたら嬉しい。
孤独でも、例え悲運に襲われようと、運命に打ち勝とうとしているのは、今を生きてい行けてることは、何よりも立派な事なんだぞ……咲月ちゃん。
俺は知っているからな、咲月ちゃんが影で努力している事を。
リビングに置いてあるアレもその為の一つなんだと美香さんも言っていた。
曲は、少女への想いを乗せて、徐々に終わりへと近づいていく――
「咲月ちゃん、……痛みは知らないと分からないだなんて、――なんなんだろうな、この世界――」
そんな言葉がポツリと落ちていく――そして俺は最後の音に、少しの希望を乗せて、曲の終わりを告げた⎯⎯。
⋆☾·̩͙꙳✩
久々のピアノの演奏を終え、緊張していた気持ちをほぐすようにしてぐっと伸びをする。
「くぁ、ふぅ……、久しぶりでもわりと弾けるもんだな……」
「でもわりと普通に疲れた……」
謎の倦怠感に陥りつつ、カチカチと鳴り響く部屋の時計へと目をやる。
「……そろそろ咲月ちゃん起こしに行くか」
椅子を引き、立ち上がり、咲月ちゃんの部屋へと足を運ぼうと入り口の方へと顔を向けると⎯⎯
「わぁ……みっちぃ、すごーい……!」
パチパチパチと手を叩く小さな観客がいた。
「あれ、咲月ちゃん居たの? え、いつからいらっしゃいました? 俺、なんか恥ずかしい事呟いてなかったかな……」
先程の記憶を巡らせてみるが、小っ恥ずかしい事を言っていたのは、俺の心であって、口には出していない事実に辿り、……アレ?
湧き出た疑問は即刻消去。
そんな俺の目の前で兎の人形をぎゅっと抱え、首を傾げる咲月ちゃん。
「……大丈夫そうだ」
うん、何も聞いていそうにない、ほっと一安心。
独り言を呟くクセはどうにかしないとな。まぁ、多分もうどうにもならんけど……。
「みっちぃ?」
「あ、あぁ……取り敢えずご飯食べようか、美香さんが用意してくれてたやつがあるから」
今日美香さんは、深夜にも関わらず急に職場に出勤する事になってしまっている。まぁ、職業柄仕方ないのかもな。
「……うん、あ、でもその前に、お風呂……」
「ん、あぁそっか、いつも先に風呂入ってるんだったね」
と、いう事で、先にお風呂とする事に。
あぁ、ちなみに、いたいけな少女と一緒に風呂場へとノコノコと入っていく俺では無いから安心してくれ。
……俺はいったい誰に向かって言っているんだ? モチロン俺だよ、俺に言い聞かせてるんだ、そんな事は絶対に無いと。
洗面所の前まで一緒に同行し、「じゃ、俺はリビングで待ってるからねー」と言って、ひらひらと手を振り、俺はご飯の準備でもして待たせてもらう事と――
「ま、まって、みっちぃっ!」
大きめの声でこちらの行動にバインドを掛けられ、続けて服の裾を掴まれる。
なんてことだー! この俺が捕えられるだと?
「……ウーン? どうしたんだ〜い? 咲月ちゃーん、お兄さんと一緒にお風呂でも入りたいのかーい? 仕方ないなー、グッヘヘヘヘ」
振り返り手を広げ、オオカミさんはこの赤ずきんちゃんを平らげる事とする。
いや、しない。
「冗談だよ、だからそんな不安そうな顔しないでくれ……泣いちゃうよ? 俺が」
「い、や……そ、その、……お風呂一緒に、し、シャンプー ……」
「……え?」
……え?
二度繰り返される疑問。止まった思考の中、咲月ちゃんから発された言葉のキーワードから、徐々にその意味が分かってくる。
「……ぁあ! なるほど、ひょっとしてまだ一人で頭洗えないってことか?」
「……う、うん」
恥ずかしそうにコクッと俯く。
ふぅんむ、ならば仕方ない。
――はーい、てな事で、なな、なんと言う事でしょう。咲月ちゃんのお風呂のお供をする事に、と言っても勿論、頭を洗って上げるだけ。俺自信、服は脱がないし、お湯にも浸からない。
この年で少女趣味のロリぺド野郎のレッテルを貼られる訳には行かないからな。
……まぁ、どの年になっても願い下げだが。
そんな事を思いながら背を向けていると、咲月ちゃんは服を脱ぎ終え、浴室へと入っていく。
「は、入っていいよー」
その声を聞き、俺も浴室へと、お邪魔します。
咲月ちゃんは日焼け後一つない白い背中を晒し、バスチェアへと座っている。
あ、脇下付近にホクロを目視。
ミッションコンプリートだ。
???
……ん、目隠し? そんなものはしていない、あんなのはラッキーな事故の元。それにどう考えても足元の悪い浴室じゃ普通に危ないぞっ。
ん、ま、そうだな、俺はこんな言い訳が無いと目隠しをしてしまうことだろう……。
「みっちぃ?」
「……あー、ごめんごめん、えっと……頭洗うんだよね、さっさと洗ってしまおうか」
言ってシャワーへと手を伸ばし、シャワーヘッドをガッと掴み、オレンジ色のマークのある蛇口をキュッと捻る。
「ひゃあっ!!」
「ご、ごめん」
ヘッドの向きとか何も考えず蛇口を捻った鬼畜野郎の愚行の犠牲者は、恨みがましい視線を送る。
当たり前だが普通は最初に冷水が出てくる。それに今日は暖かいと言ってもこの時期だ、さぞ冷たかった事だろう。
「……もう」
「ほんとごめんなさい……」
頭を洗うだけなのに、若干、戦意喪失気味の俺を見て何故だか咲月ちゃんはクスッと笑った。
「よしっ!」
取りも敢えず、気を取り直し、少女の洗髪への再戦とする。
⎯⎯⎯⎯ジャーー ……
「おーけぇ……おーけぇ……暖かくなってきたぞぉ……うーん、いいねえ……」
「当たり前じゃん」
馬鹿へと前からのツッコミ。
そんなこんなでその馬鹿は⎯⎯おっと、もう自分を卑下するのは辞めにしよう、⎯⎯⎯そんなこんなでその天才美少年は少女の髪を温かいお湯で流してやる。
⎯⎯⎯⎯ジャーー ……
「ふぃ〜……気持ちぃぃ……」
すんげぇ、気持ちよさそう。
髪を流し終わり、しっかり濡れたのを確認するとシャンプーへ取り掛かる事とする。
プシュっと液状のシャンプーを手に出し、ワシワシとしっかり手で泡を立て、歴戦の美容師を己へと憑依させたら、お客様の頭髪へと――――
「ま、まって、これしないと……」
「……ん?」
咲月ちゃんは立ち上がると、壁に掛けてあった水色のシャンプーハットを手に取り、頭にしっかりと装着した。
「よ、よし、いいよ、シャンプーしても」
シャンプーハットか……水や泡が目に入らないようにするための物だ。壁に掛けてあるのは見えていたので、付ける事は薄々分かってはいた。でもそれだと――――
俺必要あったか?
まぁ、深い詮索は辞めにしよう。こう言う時に詮索をしないのが良い男の証だ。
気持ちを改め、咲月ちゃんの頭を優しく揉むようにして洗っていく、この時に俺がいつもするようにガシガシと洗ってしまってはダメだ。
女の子の髪は繊細だからな、女の命とも言うし、傷一つ付けようものなら、俺は罪の意識から頭を丸めないと行けなくなる。
「ふぃ〜、あ、洗うの上手だね〜」
「そうだろう、これからは毎日お兄さんが洗ってあげよう……」
「そ、それは別にいいかな……」
「残念」
というか、こうしてシャンプーハットを付けた咲月ちゃんの髪を洗っているとふと、昔の事を思い出してしまう。
シャンプーハット……、これに俺には嫌な記憶がある。俺も小さい頃はつけていたんだけどな。
でもとある事があってそこからはもう付けないと誓いを立てた。
あの憎き過去を忘れない為にも少しばかり回想に入らせてもらおう……
そう、あれは高学年に上がったばかりの小五のある日⎯⎯⎯
――俺は浴室でいつものように愛用のシャンプーハットを付け、慣れない口笛を吹きながら、わしわしと頭を洗っていた。
そんな中、俺の優雅なお清め空間をぶち壊すようにガラッと入ってくる筋肉質の全裸の男。
「よぅ! 新タ! 久しぶりに一緒に入ろうぜー!!」
「……あぁ、いいけどよ、親父」
「……よし、じゃあちょいと失礼……、ん、んん……? ブフッ! なんだ新タお前まだそんなもん付けてんのか!! ははははははっ!! そんな冠なんか付けちまって、王様にでもなったつもりか? まぁ! 新タの場合王様は王様でも裸の王様だがな!! くくっ、ははははははははははっ!! ひっ、ははははははははっ!! ひっひぃ、し、死ねるぅ!! ひっ、ははははははっ!!」
親父、指を指し腹を抱え大笑い。
「うっせぇぇ!! クソ親父っ!! こんなもんいるかぁぁぁぁああああ!!」
俺はバッとその場で立ち上がり、今までのシャンプーハットくんとの思い出と共に盛大に破り捨て、クソ親父へと投げつける。
「おうおう、やめろやめろぉ! ククッ、ははははははっ!!」
「……はぁはぁ、くそ、はぁ、はぁ……」
「……ふぅ、ごめんごめん新タ、今度新しいシャンプーハット買ってやるからな? 元気だせよ、な? そんなおかんむりになる事はねぇって、冠だけになっ、ククッ」
俺の背をバンバン叩き煽り続けるクソ親父。
「……覚えてろよ」
「……くっ、ははははははっ!! 覚えてろよだってよ!! どうした新タなんか敵役のモブキャラみたいだぞ!! まぁ!、裸の王様よりはマシかもな!! ははっ、はははははははははっ!! ひぃっ、新タはお父さんを笑い死にさせる気か?! ははははははっ!! ひっ、ひぃ、お父さん死すぅぅぅぅ、息子に笑い殺しにされるぅぅうう!! ははははははっ!!」
「⎯⎯⎯⎯クソがぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!」
⎯⎯⎯ってな事があったからな、シャンプーハットを見るだけで憎悪が湧き出てくる。
「ほんとに赦さないからな、親父」
「い、痛いよ、みっちぃ……」
「ご、ごめん」
あまりの親父への憎き気持ちにより少し力が入っていたらしい。
「……どうしたの? みっちぃ」
背中越しでこちらの気遣いをしてくれる優しい子。
「いや、ちょっとやな事思い出してね……まぁ、もう笑い話なんだけど」
親父にとってはな。
「そうなんだ、良かったね」
……わかってる、咲月ちゃんは決して煽っている訳ではないことは……
「……ね、ねぇみっちぃ、服濡れない? 上脱がないの……?」
「ん、あぁ……大丈夫だよ、多少濡れるけど」
「…………ひょ、ひょっとして……その首のやつ……?」
咲月ちゃんは遠慮がちに此方の首筋へと目を向ける。
「……え、あぁ、バレてたか……まぁ、ちょっと見えてるしね」
そう、咲月ちゃんが言ったように俺の左首筋には、胸元辺りから繋がった黒い刺青が見えている。
「こわいか……?」
「う、ううん……大丈夫、お父さんにもいっぱいあるし」
「そうか、よかった」
なるほど、お父さん海外の人だもんな、刺青ぐらい珍しくなくてもおかしくないか。
「……どうしたの、それ……」
「ぁあ、ほら、よくある若気の至りって奴だな……」
「……ふーん……」
「よし、そろそろ流してトリートメントと行きますか」
「……うんっ」
咲月ちゃんの返事を聞いて、トリートメントで丁寧に髪を整えた後、シャワーでしっかりと流し、「じゃあ、後は一人でできるな?」と言ってから俺はリビングでご飯の準備をさせてもらう事に⎯⎯⎯
「まっ、まって……! そ、そういえば……し、したぎ……」
「……したぎ……?」
シタギ、シタギってなんだ……? 魚類の仲間か? スズキみたいな?
あ、ああ! 下着ね。そういえばその類の物持って行ってる様子なかったな……てっきり洗面所にでも用意されてるものかと……あれか、男女の違いって奴か、女の子は自室に閉まっとくもんなのか……?
「……ん、てことは、まさかだけど……」
「……も、もってきて……パジャマも……」
「⎯⎯⎯よろしいっ! 國満 新タ、行っきマース!!」
少女から任務を授かった俺は、白いロボットに乗ったニュータイプを憑依させ、ジェットエンジンを吹き鳴らし、颯爽と現地へと向かうことに――――
「あ、1番下のタンス……!」
「了解ぃぃいい!!⎯⎯⎯⎯⎯」
⎯⎯⎯⎯その間、約40秒程。現地にて。
ガサゴソと、薄暗い少女の自室でタンスを漁る無防備な変態1名。というか俺。
「これでいいか、いや、こっちも捨て難いな……ふむ……やはり君に決めた」
「む、まだ上は付けてないのか……?」
こんな所誰かに見られたら通報ものだろうな。この年にして社会から指さされ、居場所を失うことだろう……
そんな事を思いながら下着を手にし立ち上がると、ふと、タンスの近くにある勉強机が目に入る。
「……勉強諦めたなんて事聞いてたけど、そんな事は無さそうだな……」
今日まで気付かなかったけど、少し空いた引き出しからは教科書の類がみえ、机上には消しゴムのカスが所々に散らばっている。
きっと俺がまだ咲月ちゃんと出会う前に使っていた名残りなんだろう。
俺はそんな少女の陰ながらの努力を感じ、⎯⎯⎯ 手にした淡い水色の下着を、ぎゅっと握りしめたのだった。
⋆☾·̩͙꙳✩
無事下着を届け追え任務を完遂し、風呂から上がり、共にご飯を食べ終え、台所で食器洗いを済ませた頃、リビングを見回して見ると咲月ちゃんが忽然と姿を消していた。
おや、神隠しかな?
将来有望な魔性の女の子だから、きっとサタン様が何処かへと隠してしまったのだろう。
きっとそうだ、いやそうに違いない。
なぜか絶対の自信がある。
そんな謎の確信を得てリビングの電気を消し、取り敢えず廊下に出て左右を確認、……ふむ、居ない、そのまま洗面所へ、居ない、風呂場、居ない、トイレの前まで行き扉を開け放つ、居ない、玄関に並べられた靴を確認、ひーふーみーよーいーむー……数は減っていない、外には出ていない。消去法で二階へ上がり咲月ちゃんの部屋の前まで来る。
ゆっくりと、部屋の扉を開く。
いつもの月の明かりだけの薄闇の部屋。
目を良く凝らしてみる。
姿見の前の少女は、——きゅっと、胸元の赤いリボンを結んだ。
「セーラー服……か」
「……え? あ、み、みっちい……っ」
俺の声に気付き、慌ててこちらへと背を向けベットの中へと潜り込んでしまう。
「い、いつから……?」
「えーと、確かパジャマを脱いで……」
「う、うそ……」
「嘘です」
「よ、よかったぁ……」
「本当はリボンを結んだ辺りだな」
「……で、でも見えたんだ…………へ、変じゃない……? この服……」
掛け布団から少し瞳と体を覗かせ言う。
「変じゃない」
「ほんと?」
「うん、でも一瞬だったからな、今は隠れちゃってるし、残念……」
俺の言葉はそこで途切れ、互いの気持ちを読み合う時間が続く。
「…………もっと……よく見たい?」
「見せてくれるのか?」
姿を見せない少女に近付く。
「……ま、まって……」
すぅっと、静かに呼吸を整える音がだけが、この部屋の中にある音。
「…………だ、だめ……やっぱ恥ずかしい……や」
「…………そうか」
部屋の外へ出る為、ドアノブに手をかける。
音の無い、空間。
「……………みっちぃ、居ない……?」
「…………へへっ……やっぱ、見せておくべきだったかな……」
「咲月ちゃん」
「え……?」
俺は掛け布団を剥がす。
籠った温もりと共に現れる姿。
「やっぱ、めっちゃ似合ってるじゃん」
少女は、照れて笑った。
――時の経過とベッドの上、会話のない中並んで二人で座っていると、「あっ」と隣から声、その何かを思い出したような咲月ちゃんは少し身を寄せ間を詰めて来ると、「ね、ねぇ……ピ、ピアノ教えてっ……」と、上擦った声でそう口にした。
「いいよ!」俺は簡潔に肯定を口に。
よし、そういう事なら何事も早めの行動が肝心だ。
「ちょいと失礼姫」
「……うん? ひゃっ!」
俺は正面にいる咲月姫をふわっと抱っこし、ピアノの鎮座する舞踏会へとGo.
俗に言うお姫様抱っこと言う奴だ、だって少女達の憧れだろう? まぁ、何度も言うが俺は王子様では無くオオカミさんだけど。イマドキ珍しい肉食系で行こうと思う。
……て言っても、悲しいかな、彼女いた経験はない。
舞踏会……では無く、ピアノの鎮座する部屋に着くと咲月ちゃんを椅子へと座らせる。
「…………? どうした咲月ちゃん」
「……ちょ、ちょっとびっくりしちゃった……」
「あぁ、ごめん……いきなり抱っこしちゃって……」
「ううん、ま……」
「……うん?」
「い、いや、だいじょうぶ……だいじょうぶ……」
「そう……?」
俯いた顔からは薄暗がりのせいで表情が伺い知れない。
……悪いことしちゃったかな。
「み、みっちぃ弾こ?」
「……よし、そうだな、気を取り直して弾くか……! まずは、なんか弾きたい曲はあるかな?」
「あ、さっきの奴がいい……」
……さっきのって、悲愴か。
「Oh……なかなかハードな選曲ですネ……」
「……む、むりかな……?」
「いや出来る」
「……ほんと……?」
「大丈夫だ、お兄さんが手取り足取り腰取り教えてあげるから」
「……分かった、ありがと……腰?」
咲月ちゃんの感謝の言葉を聞き入れるとさっそく練習開始。
「……第二楽章でいいんだよね、多分」
「うん……お父さんが弾いてたやつ……」
「そうみたいだね」
俺がこの曲を引いた理由には美香さんから聞いたお父さんの話も含んでたからな。
「……楽譜は読める……?」
棚から取り出した楽譜を譜面台に置きながら聞いてみる。
「……ううん、読めない……」
しゅんと俯く。
「まぁ、楽譜はこれから音楽をやっていく上では大事な事ではあるけど、今は読めなくても大丈夫だ、有名なピアニストでも読めない人はいるからね、例えば音だけ聴いて覚えるタイプとか」
物理的に読めなかったりとか、理由はいろいろ。
最初の内は楽しいという感触が大切だ、楽譜の重要性に関しては語ると長くなるので割愛。
「へえー、そうなんだ」
咲月ちゃんは顔をあげ、パチッと目を開ける。
「そうさね」
そして俺の口調は変になる。
⎯⎯⎯とまぁ、そんな感じで、何個か質問をして行くと、どうやら楽譜は読めないけど、ピアノを弾いた事は多少あるみたいなのでまずは4小節目までを練習してみる事に。
「最初は右手から練習しよう、左手は俺が弾いてあげるから、ペダルもそうだけど届かない所が出て来たらそこも一緒に弾こう」
「うんっ!」
何処かウキウキな咲月ちゃんを横目に、座る場所を右へと詰めてもらい、俺は隣へとお邪魔する。
「じゃあ、まずは手本見せるから」
言って咲月ちゃんの返事を聞いてから、俺は4小節目までを弾いてみる。
「——よし、取り敢えずはここまでだ、焦らずゆっくりでいいからね」
「分かった!」
元気よく返事をする。
そんな咲月ちゃんにゆっくりと導くようにして教えていると、最初は辿々しかったけど案外呆気なく、まだ右手の部分だけではあるが、教えた所までをやり遂げた。
「凄いぞ咲月ちゃん、才能あるかも」
「そうかな……? へへへっ……」
腿に置いた両手をぎゅっと握って照れている。
「えと……みっちぃは他にもなにか弾けるの?」
「……? ああ、弾けるぞ? クラシック中心になってしまうけど、なにか聞きたい曲あるの?」
「うーん? わかんない、悲愴しか知らない……」
「そうなのか、悲愴もいい曲だけど……そうだな……何がいいだろうか……」
「……じゃ、じゃあ、例えばあたしに似合う曲は……?」
「え? ……咲月ちゃんに似合う曲か……」
問われ俺は鍵盤を見詰めて考える。
いや、考えるまでもなかった。
「ドビュッシー、月の光だな」
「そ、それがあたしに似合う曲?」
咲月ちゃんは前髪を弄り、目を丸くして問い掛けてくる。
「ああ、すっげえ綺麗な曲なんだぞ? 俺の咲月ちゃんへの第一印象を当てはめるならこれ以上ない選曲だ、聴けばきっと気に入ってくれる」
「……へえ……きれい……綺麗……なんだ……綺麗……フ、フへへへ……」
妖しげに言葉を噛み締めるように反芻している。なんだろ、なんか誤解を与えていないだろうか、俺は別にI love youは言ってはいない筈だ。
「弾いてみようか?」
「……ううん、……まだいい……今は悲愴をもっと練習したい……悲愴をもっと、聞かせて欲しい……」
「そっか……じゃあ、月の光はいつか聞かせてあげる、約束だな」
「……うん、約束」と咲月ちゃんは呟いて、俺の服の裾をぎゅっとつまんだ。
「あ、あたしさ……みっちぃ見たいなお兄ちゃんが欲しかったな……」
「…………え? はははっ、なんだよそれ…………すっげぇイイじゃん」
「だよね?」
「うん、最高だと思う」
そんな世界がもしあったならば、俺はきっと――――。
「……よし……咲月ちゃん案外覚えるの早かったし、左手してみる? このまま次行く?」
「つぎ行ってみるっ」
「おっけーい」
――再び、鍵盤は動き始める、二人の青年と少女はそうして音を奏で合う、銀の光に照らされた広々とした空間の中、まだまだ何処かぎこち無い会話を交わしながらも、時々、目を合わせ、時々、笑い合いながら――。
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