第15話 ( 9 )

 


  「……」


  スクラローサ王都にある豪奢な学院の中、ひっそりと残された質素な旧聖堂。その窓辺に音もなく降り立った銀色の猫は、屋内の者たちのやり取りを青の瞳で見つめていた。



  「いっそ、滅べばいいのだわ」



  ーードクン。



  リリーの言葉に、銀色の猫はピクリと耳を動かす。青の瞳がキラリと蒼く煌めくと、古びた聖堂に佇む真白い石像に変化が起きた。


 

  「全ての生き物は命を賭けて子育てしてる。お父様もお母様も、命を削って子供に栄養を運ぶのを、『テレビ』で見たことくらいあるはず」


  「??」


  リリーの口から出た言葉の一部が、まるで異国の言葉の様に聞き取れなかった。


  「赤ちゃんや卵を産み出す事に、まず初めに命を削るのがお母様なのよ。自分の命を分け与えお腹で育み、出産に危険を伴う」


  「それとこの崇高な関係は別だ。同じにするな!」


  「このお話は、崇高だと思いたい恋愛観を上回る現実的な生命の神秘なのよ。そんな事もお分かりにならないの?」


  「……何をくだらない事を言っている。話にならないな。ならば子供を産む女だけは例外だと言いたいのか?」


  「人間は考えることが多いから、出産を選択肢として望まない生活様式もある。進む歴史の多様性。その考えの中に、自分勝手に都合良く神様を利用する者たちも一部いる」


  甲高く声を張り上げることもない。スラスラと話し出したリリーの言葉に、反論しようとエムルイフェミアスは焦り始め、余計に言葉が出なくなる。そこに白の指が突き付けられた。


  「貴方のことよ」


  「さっきから、おかしな事を!」


  「はっきりと言ってあげるわ!」


  リリーは、エムルイフェミアスとレイを交互に見つめた。


  「そんなに女性が認められなくて、自分たちよりも下だと思いたいのならば、男性だけで増える努力でもなさったら?」


  「……な、な、」


  「突然の出産の痛みに男性は耐えられないと聞くから、そこまで言うのならば毎月の生理痛から経験した方がよろしいわ」


  卒倒しそうなほどの怒り。だがそれを吐き出す前に、この場を見守っていたセセンテァが、聖堂の入り口で不自然に立ち止まった人影に「どうぞ」と入室を促した。


  一斉に集中した視線に、高齢の教師は身を縮め震え上がった。


  「し、資料を、取りに来たのですが、また……」


  「いえ、こちらの話は終わりました。どうぞ」


  告げたセセンテァは、真正面に対峙した護衛騎士のレイを見据える。


  「……」


  「終わってなどいなムガッ」


  いきり立った王子の口を抑えたレイは、顎で頷いたセセンテァに沈黙した。


  「姫様、授業が進んでいます。そろそろ移動しましょう」


  「……授業?」


  促されたリリーはセセンテァの顔を見上げ、そして押さえ付けられた王子と入り口で立ち竦む教師に目を向けた。


  「……そうね。授業を忘れていたわ。先生もお困りね」


  言ったリリーはジタバタと押さえ付けられたエムルイフェミアスを確認し、呆然と立ち竦むファイスとエイートを振り返った。


  力強くファイスに頷いたリリーに、それを反射的に会釈で返す。


  「ファイス様、授業なので失礼するわ。大聖堂はここより右側を進めば直ぐに分かります」


  「え? あぁ、ありがとう」


  「ごきげんよう」


  「離っ、レイッ!」


  いまだ抑えられる第二王子を横目に、リリーは通りすがりに「ふんっ」と顔を背けて聖堂を後にする。


  リリーが立ち去った聖堂の窓辺から、中を覗き込んでいた銀色の猫の姿もいつの間にか消えていた。


  「ファイス、これは、お前のせいだぞ!」


  ようやく解放されたエムルイフェミアスは兄に怒りを吐き捨て背を向ける。最後に聖堂から出たファイスとエイートは、戸口で縮こまる教師と挨拶を交わして大聖堂とは別の通路に進んでいった。


  「……はぁ……」


  王族と大貴族の争いという恐ろしいものを目にした。人影が完全になくなって、ようやく旧聖堂に踏み込んだ教師は急ぎ資材室に向かう。


  「ん?」


  ふと、中央奥の石像の前で足を止めた。


  「……爪先が、汚れているな」


  真白いエルロギア神の裸足の足先が、少し黒くくすんでいる。資料とともに手にした布巾で何度も足を擦ってみたが、その黒ずみは全く落ちなかった。



 

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