第102話 スポーツ用品

 年が明けてからもアリ商会の反撃はまだ続いていた。

 その一つにスポーツ用品があった。

 これはサッカーや野球、バスケットボールなどのスポーツをアリ商会が宣伝したことから始まった。


「確かにうちは室内でできる遊戯ばっかでしたからね」


「そうだな」


 ケビンとも久しぶりに将棋をしながら話し込んでいた。

 リバーシや将棋、チェスなどは遊戯文化の一つとして受け入れられている。まだ5年近くだというのに他国まで広がっていった。各種大会などもドジャース商会とは関係のないところで行われているようだ。


 ただ、一方で批判の声もあった。

 室内で遊ぶのも悪くはないが、あまりにも室内遊戯ばかりだ、というものである。

 これは真っ当な意見である。


 室内遊戯を優先していたので、その意見を上手くすくい上げることができなかったし、当時はそれ以外のことばかりに集中していたのでいつの間にか失念していた。

 不思議とそういう意見は私のところまではもう挙がってこなくなったが、もしかしたら意見や声はあったのに誰かが配慮して私の所に挙げるのを止めたのかもしれない。社長のところにいちいち客の声が届くようなシステムを取っている会社は地球でも稀だろう。



 この世界には基本的に娯楽と呼ばれるものはほとんどなかった。

 料理と同じようにそれが当たり前だったから特に問題はなかったようだ。

 娯楽の中でもスポーツというのもない。あえていえば、走ったり、身体を動かしたり鍛えたり、剣術を演舞することがあるが、それは兵や騎士たちのことで、庶民には無関係だと思われている節があった。


 これを変えたのがアリ商会の商品だった。

 サッカーボールや野球ボール、野球だと他にバットやグローブなど、サッカーの場合でも特殊な靴なども開発しており、他の日本で一般的なスポーツの用品が販売された。おそらく高校の部活動を参考に選ばれているのではないかと思う。広い空間を使うスポーツもあるが、手軽にできるスポーツもある。


 ボールはこの世界にはあるのだが、ボールというよりはお手玉のようなものに近い。

 跳ねるボールは、少なくとも私の知る限りはなかった。これまで興味がなかったから見落としていただけかもしれない。フィットネスクラブを参考にして器具は作ったのに、こういう方面には気づけなかったとは迂闊だった。


 もちろん、スポーツ用品の一つひとつを作るのに時間はかかるが、良い職人を見つけたのだろう。出荷量も多くなってきた。

 素材も変わっている。

 魔物素材を用いているものがあって、ナイロンやプラスチックのような感触のものもある。当然のことながらナイロンやプラスチックのような高分子化合物があるはずない。ある特定の魔物が生み出す素材なのだが、体内で作られるのだそうだ。どういう構造なのか、知りたいものである。いずれにせよ、アリ商会はそういう素材の入手ルートも持っている。



 王都内の広場で休日に若者を中心に遊んでいる光景が見られるようになった。

 ここにはアリ商会の人間も混ざっており、デモンストレーションのようなものだったのだろう。一度だけ、あの時に出会った緑色の髪の毛の青年も見かけたことがある。

 それに参加をする子どもたちが出てきて、アリ商会のスポーツ用品が注目されることになった。

 そして、これは王宮内の兵士たちにも広がっていき、王宮内でも休憩時間に兵たちがボールを蹴っている姿が何度も確認された。

 さらに、ソーランド公爵領の学校でもボールを購入して外で遊ぶ子が増えた。

 これは公爵領主としてアリ商会から購入したものである。ライバル商店だといっても、このくらいはしてもいいし、子どもたちが外でボールを追いかけっこするのも見てみたかったという思いもあった。



 このスポーツ用品に意識が向かわなかったのは、娘や川上さんの言葉にヒロインが開発したものとして名前が挙がっていなかったというのもある。

 室内の遊戯や食品や日用品ばかりで、こうしたスポーツ関係の用語が一つでも出ていたら印象に残って記憶にもあったように思うが、それがないということはヒロインは開発していなかったと当時の私は考えていたように思う。もしかしたら、この世界に来たヒロインは高校で部活をしていた子なのかもしれない。



 これは直接は関係のないことだが、この頃にはソーランド公爵領の工場が一つの見本とされていて、すべてが明らかにされるわけではないが、どういう風に商品が出来ていくのかということが知られるようになった。


 一人ひとりが最初から最後まで製品を作るのではなく、分業制にしたり互換部品を作ったりする、たとえばこういう例である。互換性のある部品という発想はこの世界にはあまり見られないようである。どこか一部が壊れたら、もう捨てるしかないということである。

 地球ではアメリカ南北戦争の北部のスプリングフィールド銃が知られており、南部のエンフィールド銃は輸入していたものであり、北部が優勢だったのはこのような事情とも関係があると言われている。



 まあ、従業員もみながみなずっと勤めているわけではない。

 当然、企業秘密の中でもトップシークレットを知る人間は少数であり、そういう人間は離れることはないが、それ以外の人間が仕事を辞めてからいろいろな情報が出回ってしまうのは避けられようのないことである。


 おそらくアリ商会や他の商会もドジャース商会のやり方を真似ていくことがあったのだと思う。それはもう食い止めるのはできないだろうし、すべきでもないようにも思っていたのは確かなことだった。

 最低限できたことは技術者の流出だが、まあ人の口には戸は立てられぬものであり、だからこそレシピ登録制度はありがたいといえる。

 アリ商会の様々な製品の出荷スピードが異様に早かったのは、単に開発者や職人の質や量の問題だけではなく、工場システムの運用があったように思う。



 ただ、こちらが押されているわけではない。

 アリ商会が賑わうとドジャース商会の商品も売れていく。

 カレーに対するライスのようなもので、これもナンやパンから米という組み合わせをする人が増えてきた。そして、漬け物類、たとえば福神漬けはドジャース商会では売っていたので、こちらも付け合わせで売れた。


 スポーツ中の怪我でポーション需要も高まったし、日焼け止めクリームなども注目されるようになった。

 日焼け止めクリームは私は結構大事だと思って個人的に力を入れていたのだが、意外と売れなかった。

 なぜか売れるようになって、その理由を調べたら、外で活動をする人が増えたから、というのが一番の理由だった。


 この世界の人たちは日焼けをあまりしない傾向があったが、ただそれは見た目はあまり変わらないだけで、炎天下にずっといたら首元がひりひりするという症状は見られた。

 これもポーションでかなりの程度回復するのだが、高価なポーションよりは安価な日焼け止めクリームの方が経済的だったので、こちらが売れ始めた。


 逆に、アリ商会の方はそういう手法は採らなかったというか、ドジャース商会がメインで売っているものを補充、補足するような商品を作らないのは少し意外だなと思った。

 ただ、たとえば熱中症を防ぐための塩分をチャージするタブレット類は出していた。


 体内の塩分濃度が下がることの弊害については、アーノルドたちの医学研究の成果により広く知られるようになって対策、たとえば塩を舐めるとか、塩を溶かした水を補給するとか、そういう対策はあった。だが、これに関連する商品はまだ作ってなかった。

 スポーツが流行りだしてから私が気づいて開発をし始めようとしていたところ、アリ商会からそのような商品が販売された。やられたと思ったし、取り寄せて調べても問題のない商品だったので、開発部門は縮小することになった。



「久しぶりに来るな」


 アリ商会に再び足を踏み入れた。

 半年前だというのにずいぶんと陳列している商品が変わったように見える。ただ、初めてやってきた人間でもそれがどういう商品なのか、すぐにわかるように説明書きがある。

 日本にいた時もそうだったが、ただ商品を眺めているだけだったのに、やたらと声をかけてくる店員は正直苦手だった。電化製品などの場合が多かった。それよりも商品の詳細な説明が書かれてある方が好きである。

 アリ商会はどちらかというとそういうタイプの店なのかもしれない。ただ、訊ねたら何でも答えてくれるので客を放置というわけでもない。いろいろな売り方を実践しているのだろう。


 それにしてもいろいろなボールがある。本邸で退屈している何人かの者たち用に買ってみてもいいかもしれない。空気入れまであるというのは恐れ入ったが、確かにこれがないとふにゃふにゃになってしまう。そのあたりのこともわかった上で販売しているのだろう。



 このスポーツ用品に関連して、この後に時間はかかったが実はアリ商会からは世界で初の自転車が出てきた。しかもマウンテンバイクのようなしっかりした自転車だった。

 この発想は私には全くなく、さすがにヒロインと技術者たちに脱帽してしまった。

 やはり、ゲームのヒロインが開発したと思われるものに私は囚われ過ぎていたのだろう。


 その日は揚げたてのカレーパンを買ってきてやけ食いをしてしまった。悔しいほどに美味かった。



「蕾か?」


 前に魔道具屋の婆さんからもらった種から芽が出ていた。

 はじめは毎日確認をしていたのだが、何の変化もないので毎日見なくなった。だから、いつ生長したのかわからないが、その内の一つが蕾を付けるまでになった。真冬だというのにおかしな花である。

 蕾の色から想像すると、これは緑色の花になりそうである。

 あまり馴染みはないが緑色の花びらの花もあるのだろう。他の4つの芽はまだはっきりとわからない。


 庭だと見過ごすことがあるので、全てを鉢植えに移し替えて毎日目に入るような場所に置いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る