第101話 アリ商会の反撃

 カレーはアリ商会としてはかなり久しぶりのヒット商品となっていった。

 最初は物珍しげに見る者がいたが、やはりあの香りというのが食欲を促すようである。私もその気持ちはわかる。


 しかも、いくつかの店でカレーパンなども販売しており、それも人気となった。私も買ったが美味かった。

 このカレーの波及は石けんが出た時と同じような人気の上がり具合だった。王都民から待ってましたと言わんばかりの反応である。どうした王都民よと思ったものだった。

 王都内を歩いていると、食堂などからしばしば匂いが漂っていた。料理長のオーランも「これは!」と新大陸を発見したかのような反応だった。


 その後、カレースパイスという形もあったし、カレールーという調理のしやすいように加工された商品も出ていた。水の分量さえ間違えなければ、まず調理の失敗がないのがカレーである。これはすぐに商品化されていた。


 米についてはドジャース商会が販売していたが、いわばナンのようなものと一緒に食べることもアリ商会は紹介しており、カレーライスが特別に人気があったというわけではない。

 こういう商品は不思議なもので、最初に出たイメージが元祖となっていく。この世界ではカレーはナンと一緒に食べるのが普通だ、という認識になったように思う。それもまた誤りではないのだろう。


 ルーという形式は私も考えなかったわけでもなかったが、カレーが出来てからの話だと思っていたが、ビーフシチューやホワイトシチューのルーもアリ商会では販売を始めた。

 ちょうど季節も12月になっていたので、シチューのようなものは寒い日にはわりと人気があったようだ。

 しかも、当然ながら美味しい。

 短期間にいろいろと試作をしたのだろう、日本のものと比べても遜色はない。開発班の姿が想像できる。

 薬や化粧品などと違って、食品は短い時間でいろいろな種類を作れてすぐに商品化ができることが多い。それにしても商品化が早い。


 バハラ商会は新しい事業に及び腰というか、左うちわでの経営という感じだった。

 だが、アリ商会はドジャース商会と同じようにどうやら勝算があると感じたら、一挙にやる商会のようだ。すぐに販売するのも自信の表れなのだろう。


 もちろん、カレーやシチューの発見は、ドジャース商会を脅かすものではない。お互い手広くやっているといっても、総合的にはドジャース商会の方がはるかに優位である。

 だが、ケビンはそうは考えていないようで、バハラ商会の時と同じように火がついた。商人魂に火がついたと言える。やっと好敵手の候補を見つけたかのようである。


 「のんびりしていると呑まれますよ」とまで言ったのだから、暢気のんきに構えていてはよろしくないという判断だ。

 アリ商会のあの時の青年が相手だとしたら、しかももっとやり手だったとしたら、確かにケビンの言うように悠長に待っていてはいけないのかもしれない。



 それはそうと、もし私がドジャース商会を立ち上げていなかったら、やはりケビンはどこかの商会にいたわけで、それもソーランド公爵領で商いをしていたのだと思う。

 だから、ゲームの中でアリ商会とヒロインが結びついた時に存在していた有力なライバル商会はおそらくバハラ商会だったわけで、今のこの世界ではドジャース商会なのだろう。

 ヒロインがアリ商会ではなくバハラ商会と結びついたかと言われると、ヒロインなのだから拝金主義のバハラ商会と手を組むとは思えない。


 ゲームの中でアリ商会がこの2、3年でバハラ商会を倒すかどうかはわからないが、かなりの商会になるほどにおそらく成長をしていったと思う。それこそ今のドジャース商会と大きく異ならない程度に影響力を持っていただろう。そこでは石けんや醤油やスイーツなどを販売していたはずだったのだから、そうなのだろう。


 だが、現実はそのバハラ商会よりもかなり厄介なドジャース商会がライバルである。アリ商会の苦労はゲームの時のバハラ商会を相手にするようなものではないはずである。

 しかも、拝金主義の商会とは違って、勝負運が強く手堅く詰めていくケビンが率いるドジャース商会である。


 ただ、肌荒れトラブルの一連の事件でバハラ商会が解体した店などをアリ商会は既に得ている。

 これはゲームの時よりも作れる品物は圧倒的に減りつつも、バハラ商会を吸収しているアリ商会はゲームの時よりも大きい商会になっているということである。

 たぶん、そうなんじゃないかと思う。

 

 もしそうだとすると、アリ商会が広がるスピードが早いのかどうか、これはまだわからない。ドジャース商会だってアリ商会と同様にバハラ商会の一部を呑み込んでいるわけだから、強敵である。


 しかし、今の私は宰相の職に就いているので、なかなかこれまでのように自由にドジャース商会で商品開発というのは難しい。もちろん、開発はするが、宰相である自分が広告塔になってしまっては良くないだろう。

 それにしてもこんなことならあの時、あのアリ商会でカレーの原材料を買い占めておけばカレーを作ることができたのに、そう思ったがもうそれは変わらない。やはりヒロインだけではなくすでにカレー研究をしている人間が王都内にいたのだろう。研究者の調査を新たにし直すべきだった。

 惜しいことだが、これからのことを考えていくしかない。



 ドジャース商会にはもう一つ頭を抱えている問題があった。


「また、逃げられちまいました」


 ケビンが申し訳なさそうに言った。


「そうか……。いや、こちらこそすまないな。私のわがままに付き合わせているようで」


「いえ、こっちも全く警戒してなかったのが悪いんです」



 前にゲス・バーミヤンと議論をしたスラム街対策として、まずは真っ当に働きたいと願う人間をドジャース商会で雇っているのだが、すぐに逃げ出したり、商品を持ち逃げすることが頻発していた。これはソーランド領でも起きていたことだった。

 スラム街出身ということでなかなか他の商会に協力を仰ぐことも難しく、ひとまずはドジャース商会でと思ったが、時間がかかりそうである。

 救いなのは、それでも辞めずに懸命に働いている者たちが一定数いることだろうか。



 王都のスラム街には一度視察へ行った。

 スラム街にある壁の一部が破損しており、補強をしたいと考えていたからである。

 スラム街の元締めはミーナという白髪の50代の女性だった。

 この人物が実質的にスラム街を支配しているので、一度会っておいた方がいいということで会うことにしたのだった。



「なんだい、宰相様まで来て。どうせ一時的に何かやってるってだけだろう?」


 私の中での50代にしては若く見えるなという印象で、ただそれなりの修羅場を経験してきたのだろう、胆力はありそうである。

 キャリアの情報ではこのミーナという人間は義賊まがいのことをしているという噂がある。

 あくどい貴族から盗みを働いてその銭を各家庭に投げ入れるなんてことはないんだろうが、犯罪行為は見過ごすことはできない。

 しかし、それも噂であり、実際にそうであるかはわからない。ただ、義理人情に厚い人間だという話はある。


「き、き、貴様、い、いったいこの方を、どなただと」


「コーディー、止めよ」


「し、しかし……」


「よい」


 コーディーが憤りを隠せないようである。この男にはそんなところがある。


「あんたらはそうやっていつも一方的さ」


 ミーナが軽蔑の眼差しをして言った。


「そうだな。一方的だし、独善的だし、そっちの意向なんて構いはしないわけだ」


「なんだい、喧嘩を売ってるのかい」


「ほう、買ってくれるのか?」


 ミーナの周りにいた人間たちの警戒心が増していく。

 こちらにはクリスとハート、そして王宮から連れてきている人間が同じように警戒をした。

 

「あんたのところの鼠は知っているよ」


 そう言うと、ミーナの後ろから一人の青年が現れた。

 キャリアの配下の人間である。数年前からスラム街で生活をさせている人間である。幸いにして暴力を振るわれてはいないようである。


「そうか。そっちの鼠も知っているぞ」


 私が言うと、後ろから同じく10代の少女が現れた。互いにスパイを送り込んでいたわけである。早い段階でスパイだとわかっていたが、キャリアと相談をして泳がせておいた。

 もちろん、こちらもスパイに手荒なことはしていない。


「話し合いだなんて手ぬるいことをして、そんなんでこっちが納得すると思ってんのかい。まあ、あんたが頭でも下げるってんなら考えてみてもいいけどねぇ」


 不敵な笑みを浮かべてミーナはこちらを試すように言う。周りの人間たちも笑っている。その行為はこの国の貴族が一番嫌うことだ。


「はは、なんだそんなことでいいのか。だったら頭を下げようじゃないか」


「ば、バカラ様! おやめください!」


 部下のコーディーやクリスたちの声を無視して、私はミーナに頭を下げた。


「へぇ、今時の宰相ってのは私らみたいな人間にも頭を下げるほど軽い存在なんだねぇ」


 そう強気に言いながらもどことなく先ほどまでの余裕が感じられない。まさか宰相が頭を下げるとは本当に思ってもいなかったのだろう。こんなことで今さら自尊心が傷つけられるわけではない。どれだけ妻と娘に謝ってきたと思っているんだ。


「そうか。だったら自慢をするといい。自分は宰相に頭を下げさせた偉い人間なんだと、みなに言いふらせばいい。なんだったら私から宣伝してやろうか? スラム街のミーナに頭を下げた宰相だと他国まで知れ渡るようにしてもいいぞ。それで満足するのだろう」


「あんたには貴族としての誇りはないのかい?」


「誇りで全てを守れるなら誇ってやるさ。ただそれだけではお前たちを守ってやることもできない。これは国王陛下も切望されていることだ。お前たちも我が国の民である。手を取るのはお前たちの自由だ。このスラム街を今後どういうものにしていきたいのか、今一度考えるがいい」


 そう言うと私は席を立った。私が今の宰相だからこそ頭を下げる行為に意味がある。


「壁だけは補強させてもらうぞ」


 ミーナは何も言わなかったが、まあ後ろから攻撃してくることもないだろう。


 こうしてスラム街の補強工事を手早く済ませていると、「あー宰相だ」と言いながら指をさして子どもたちが私のことを見てきた。宰相の意味もおそらく知らないだろう。

 私の土魔法が珍しいのか、興味津々に見学していた。子どもたちが利用している砂場があったのだが、どうも土の質が良くなかったので、土魔法で土を入れ替えておいた。



「なかなか難しいものだな」


 王宮からついてきた人間はみな帰して、今日はもう直帰することにした。クリスとハートしか今はいない。ミーナに捕まっていたキャリアの部下はすでに互いに解放して、キャリアの元に帰らせた。


「ソーランド領とはやはり違う闇がありますからね」


 クリスの言うように、ソーランド領のスラム街はまだ領民としての意識が残っていたところがあったし、ソーランド領の人間たちもスラム街の人間に対して一定の理解があるようだった。人とのつながりがまだ見えていた。

 王都のスラム街はそういうところが少なく、交渉は難しいように思える。

 まあ、そういうつながりをしがらみと読み替えたら、そういう社会の方が暮らしやすいと思う人間もいると思う。みながみな、つながりとか絆なんてものに価値を見出しているとは思わない。

 それでも、どちらかの社会を選択できるような人たちが増えてほしいと思う。



 そう思いながら王都の街並みをいつものようにクリスと、そして新たな護衛のハートと歩いていたら、聞き覚えのあるメロディーがどこかの店から流れてきた。


「あの曲は?」


「ああ、あれは最近流行ってるっていう音楽ですよ。ちょっと前から流れてますね。どっかの誰かが楽譜?っていうんですかね、そういうのを売ってて、それを買った人がいろんな楽器で演奏するんです」


 ハートが説明をしてくれた。

 吟遊詩人ではないが、飲み屋なんかにはピアノが置いてあって演奏があったり、道ばたでも演奏をすることがある。ストリートミュージシャンというやつだろう。王都に来て私も何人かをみかけたことがある。


 そうか、音楽か。それは盲点だった。これはクリスマスソングだ! 


 外から店を覗くと、王宮の楽隊らしき若い子が楽器を演奏していた。

 おそらくこれはヒロインの影響だろう。

 日本でもシーズンになるとよく流れていた。

 そしてハートが言ったその楽譜というのはアリ商会が売っているんじゃないのか。確かアリ商会も楽器類の扱いがあった。その線から攻めていっているのか。文化を売るということか、そういうことだな。


「ふっ、面白いな」


「えっ、何がですか?」


 私の口調に慣れているクリスはまたかという顔をしたが、ハートには何のことかわからなかったようだ。

 ちょうどちらちらと舞い散る粉雪が王都の空に見える。久しぶりに聞いた曲とあいって、なかなか幻想的な気分に浸れた気がした。


 この世界で初めて迎えたクリスマスイブだった。

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