第100話 ヒロインの登場

 宰相としての仕事をしていたらもう6年目の10月となった。


 その日、本邸の執務室にいたら一報があった。



「旦那様、光の精霊と契約した者が現れました」


 キャリアからの報告だった。

 ついに、きたか。


 

 キャリアの報告によれば、その契約者はフルール子爵家の令嬢だった。

 サクラ・フルールという。サクラという名前は日本から来たことを示す象徴のようなものだと思う。

 年齢もアリーシャと同じであり、しかも黒髪の少女だという。おそらく彼女がヒロインだというのは間違いないだろう。


 ということは、あとは土の精霊と闇の精霊と契約する貴公子がいるということになる。そちらについてはまだはっきりとはわかっていないが、心当たりはある。


 しかし、黒髪が光というのも……まあそういうものか。

 個人的には黒髪は闇に近いと思うが、日本人の高校生がやってきたという設定に合わせて黒髪であり、ヒロインなんだから闇の精霊というのはふさわしくないという配慮のようなものなのか。でも言われてみれば「黒光り」という言葉もある。


 いずれにせよ、ヒロインがいよいよ登場というわけである。



 登城すると、その話はすでに話題になっていたが、キャリアよりも早くに光の精霊との契約者の情報を掴んでいたようである。


「それでは陛下、事前に打ち合わせていた通りに」


「ふむ、任せたぞ」


 国王と話をして教会との取り決めに従ってバラード学園の魔法使いコースに入学することが決まった。これにはフルール子爵家も承諾している。その場にいた人間たちも王の言葉に従った。ゲス・バーミヤンは不服そうであるが、無視した。


 この時に気づいたが、確か光の精霊との契約はその瞬間から光魔法を使える、という話だったはずだから無理に学園に入れなくてもいいのではないかとも思った。

 すでにそういう取り決めだったので変えられないが、何かの勉強になるかもしれない。カーティスやアリーシャのように他の精霊との契約もありうるだろう。



 今ではゲス・バーミヤンも静かなもので、かつての宰相の勢いはない。会議で度々私が意見を潰しているからである。

 それは周りの提灯ちょうちん持ちだった貴族たちもそうである。ただ、何人かは第一王子派からはもはや距離を置くようになっている。おごる平家は久しからずと言うが、そういうことなのだろう。


 とはいえ、依然として公爵家であるわけで、なかなか手強い。

 私が宰相になるのも異例といえば異例で、まだゲスを引きずり下ろすほどではなかった。アベル王子の評判が高くなってきたことと私が実績を積んできたことがあるとしても、まだ届かない、これは私以外の人間もほとんどそう考えていたんじゃないかと思う。


 ゲスやその父のダイゲスはそれだけの人脈を作ってきたわけだが、だからこそ王の強い決断はスカッとしたけれど、理解しづらいところも実際はある。

 他国への配慮も多分にあろうが、日を追うにつれて、やはり私が宰相になるには時期尚早、そういう感はある。拝命した以上、やるしかないわけだが、ちょいちょい第一王子派がいるのでやりづらい。



 第一王子は静かにしているように見えて、実際には怒り散らしており、私を名指しで批判しているというどうでもいい情報もある。今はそうしておけばいい。自分が王になるとう自覚はあるんだろうか。愚昧な王ほど民を惑わすものはない。しかし、地球の歴史にはそういう王が時に現れるから不条理なものである。


 あのバーミヤン家のアレンもなぜか私やアリーシャたちを目の敵にしている。父親が恥をかかされたとでもいうのだろうか。怒りを抱くのは勝手だが、だいたいこういう人間は怒りの矛先を誤るものである。もう20歳にもなるのに困ったものである。こんなことで済ませようとは思わない。



 一か月ほど前、この第一王子とアレンに王宮内ですれ違ったことがある。

 形ばかりの黙礼をしてやり過ごそうと思ったら、第一王子から声をかけてきた。


「なんだ、貴様。その程度の礼で済ませようというのか。いつもいつも不遜な奴だ。私を誰だと思っているのだ」


 裸の王子様だろう。

 この王子は本当に成長がない。国王からの叱責の言葉の意味を十分に理解できないのだろう。これにはこの馬鹿王子の取り巻き連中が「非はバカラにあり、国王もバカラに騙されているのだ」と、そんな風に言っているようである。愚かなことだ。

 隣にいるアレンがにたにたと笑っている。この男、私の前によく顔を出せるなと感心する。愚者は恥を知らない。


「き、キリル王子、殿下、そ、そのようなことは、ございません」


「お前には話などしておらん。黙れ」


 私の部下のコーディーが言いつくろっている。

 コーディーはまだ20代半ばの人間なのだが、王宮内で私の秘書のような働きをしている男である。

 子爵家の長男でバラード学園では一般学生として在籍していた。

 文官で戦うことはできないが、その分知恵は回って地道な仕事はほぼ完璧にこなしている。が、血気盛んなところもある。どうも身分というか上下関係にはうるさい。

 まあ、この国では当たり前であり、私の方が異常である。ただ、コーディーもこの馬鹿王子にはうんざりしているようである。



「立場や地位というのはその人が何をなし得るかによって決まるものです。そこにふんぞり返っているだけでは誰も評価をしません。あなたはいったい何をしてそこまで自負されておられるのか、今一度振り返ってみるとよいでしょう」


「き、貴様、何を言うか! 王家をないがしろにするつもりか」


 そうだ、とはっきり言ってやりたいくらいだ。

 いったいお前は民のために何をしたというのか。王家を一番ないがしろにしているのは自分自身だろう。


「あなたよりもお若く、しかも万事幅広く目を行き届けている方もいらっしゃいますからな。はは、王家には非常に頼もしい方がおいでだ。今のお立場がいつまでも続くと思われているのなら間違いです」


 そう言い捨てて、もう振り返らずにその場を去った。

 何か後ろの方で言っているが、無視してやった。顔も見たくないし、声も聞きたくもない。いつか更生する日が来るものなのだろうか、未来は暗い。


 反面、アベル王子の声望も聞こえてくるが、醜聞とはおよそ遠いところにいる。帝王学はもとより、多方面の素養を身につけているという。語学もその一つのようだ。

 馬鹿王子もアベル王子の急速な台頭に脅かされているのだろう。その時にどういう行動を取るかで人の真価が問われる。

 ただ、この馬鹿王子は責任を転嫁するだろう。それが続く限り、この人間に一切の成長の芽はない。



 さて、カーサイト公爵家のザマス・カーサイトは光の精霊の契約者の話を耳に入れると、どこか忌々しそうな表情をしていた。嫌み、皮肉屋のザマスだが、教会とはそりが合わないように見える。



 カーサイト公爵家の初級ポーションはあれからも売れずにいた。

 生産も中断しているようだ。中級、上級、マナポーションについては生産をしているという話は聞いているが、上級ポーションとマナポーションはほとんど作れていないという話を聞いた。材料が不足しているのだろう。


 考えてみたら、ポーションを売るカーサイト公爵家と光の精霊と契約した聖女を祀る教会とは仲が良いとは言えない。あの毒薬ポーションを呑まずとも聖女の治癒魔法で回復できるわけで、ありがたがられるだろう。


 ただ、客や信者の奪い合いといっても、中級、上級ポーションレベルでの争いになるだろうから、そんなに利権争いという感じにも見えない。そういう単純な話でもないのだろうか。

 ドジャース商会のポーションは、中級、上級ではないので教会との衝突は避けられている。聖女がいたとしても初級ポーションで治せるような傷を癒すとは思えない。もし、中級、上級ポーションレベルを作った場合は覚悟をしなければならないだろう。


 ソーランド領の医学研究は少なからずポーションの流通にも影響があるはずだと思うのだが、医学研究を軽視していたのか、それ以上に教会と仲違いをしているのか、その事情はわからないが、あのザマスが国王とともに賛同したのは判然としない。


 他にも気になるのは、一日にどのくらいの治癒魔法を使えるのかはわからないが、聖女の魔法も無限ではないはずだから、マナポーションと呼ばれるものを呑んでずっと魔法を使い続けていたこともあったのだろうか。だとしたら拷問ごうもんである。その時代にはマナポーションがまだなかったと思いたい。



 これからヒロインとアリーシャとの関係はどういう関係になるのだろう。


 一応同級生ということになるが、二人が一緒にいることは別に変なものでもないのだろう。そのヒロインがアリーシャの婚約者であるアベル王子に色目を使うようなことがあったら関係に亀裂があるだろうが、それがなければ身分は違えどただの公爵令嬢と子爵令嬢という関係である。もちろん、「ただの」といっても二人の身分差は大きい。


 私はヒロインは侯爵家、伯爵家あたりの子なのではないかと予想したのだが、そうではなくて肩すかしをくらった感じだ。

 仮にも主人公ならもっと身分が上だと思っていた。まあ子爵といっても庶民に比べたらお貴族様に間違いはないが、少し意外である。

 学園で嫌がらせされるのは庶民だけではなく、たまに子爵、男爵家の人間にも行われる。なんとも酷い話である。


 そのヒロインも、アベル王子以外のシーサス、ベルハルト、あるいはカーティスに接近をしていくんだろうか。

 シーサスとベルハルトはわからないが、アベル王子とカーティスがそんなに簡単に心を開くとは思えない。シーサスやベルハルトにしてもそもそも婚約者のいる人間にちょっかいを出すものなんだろうか。


 私が学園に通うわけではないので、学園内での二人の交流については知るのに自ずと限界がある。学園に務めているカーティスやカレン先生に「あの子爵令嬢に注意しろ」というのもかなり無理があるし、二人には何のことかわからないだろう。


 そんなことを考えながら、フルール子爵家を調査し続けていたが、特に何も問題のない、平和な家だった。

 子爵も夫人も、ヒロインも、その弟も性格にねじれがあるだとか、嫌がらせをするだとか、借金があるだとか、そういう話は一切ない。派閥も中立派である。フルール領の運営はお世辞にも順調とはいえないが、領民からの信望はある。


 一つ気になる情報があるとすれば、サクラ・フルールは生来身体が弱く、外出することは稀だということだった。それが数か月前から起き上がれるようになるほどに元気になったということである。

 ヒロインがこの世界にやってきた時なのか、光の精霊との契約をした時なのか、いずれかどちらかの場合においてヒロインの身体が快調になったと考えるべきなのだろうと思う。


 そして、ヒロインがアリ商会に出入りをしているのか、アリ商会がフルール子爵家に出入りしているのかは不明だが、どうやら両者に接点や関係がすでにあるようだ。

 ということは、ヒロインは今頃研究者を集めたり、材料を集めたりして何かを作ろうとしているのかもしれない。



 光の精霊との契約者の報告を受けた数週間後のことだった。

 ケビンから「珍しいものがありますぜ」と言われて商品を持ってきた。アリ商会に行って買ってきたもののようだ。

 ケビンの顔が引き締まっているというか、面白そうだという顔になっている。ドジャース商会を立ち上げた時に見た顔だ。


 ケビンが部屋に入ってきた時からすでにその匂いはしていた。

 もう何年も嗅いでいない、どこか懐かしい香りがするなと思った。



 カレーだった。

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