第99話 学会の立ち上げ〔2〕――動物実験の是非

 もう一つ強く言ったことがある。動物実験についてである。


 この世界では動物実験は行われているし、中には獰猛な魔物を捕らえて行われることもある。すでに雇った研究者たちの中にも実際に行った者が数多くいた。バラード王国以外の国々でもそれは同じだった。人体実験についてはわからない。が、なんとなく過去にはあったような気もする。


 動物の権利や動物愛護という観念は、おそらくこの世界にはまだないか、かなり薄い。

 動物、時には魔物と呼ばれる存在をパートナーとしている人々がいるのだが、冒険者たちに多い。そういう人間にとってはこの種の観念はあるようである。

 ただ、どうやらそういう存在と意思疎通ができている、そんな驚くべき事実もある。


「サディアス、本当に声がわかるのか?」


「はい、バカラ様。全てではないですけど、こいつの言葉はわかりますよ」


 鳥を飼っているサディアスという人間がいて、鳥を相棒として24時間過ごしている男がいる。諜報や偵察をする仕事を与えているが、彼の飼っている鳥、どうやらこれは魔物の類になるのだが、その鳥の言葉を何となく理解できているということである。


 彼は国に属さないある民族出身の人間で、この鳥もかなりの長命であり、生まれた時から一緒に過ごしてきたそうだ。魔物は寿命が長いのが特徴である。サディアスは20代半ばだが、この鳥もそのくらい長生きをしている。ワシに似ている。ワシの平均寿命は40年程度というから、おそらくこの鳥はもっと長生きをするのだろう。


 人の言葉を理解するほどに動物や魔物の知性が高いということなんだろうと思う。

 まあ、動物や魔物のことを知性が高いと言えるほど、人間が賢いのかどうかという根本的な問題はある。


 動物番組を我が家では見ない。妻と娘が嫌うのだ。特に動物に人間が声をあてる場面があると、二人とも嫌な顔をする。「そんなの思い込みじゃん」と娘は言っていた。それが続くので、二人に感化されてしまい、私もいつの日からか、そういう類の番組を観ることをしなくなった。


 地球の場合はともかくとして、意思疎通は魂や魔法の存在と同じくらい、この世界特有のものと言えるのか、それはまだわからない。「待て」「お座り」など条件付けされた言葉の可能性もあるからである。



 地球では動物といえば、野生動物、愛玩動物、畜産動物、実験動物、展示動物の5つの区分が設けられている。

 この世界では、少なくともバラード王国には動物園というものはないので展示動物はなく、したがって4つの区分となるが、魔物を一つの区分とみなせば5つである。ただ、悪趣味なことだが、珍しい魔物を捕まえる見世物屋はあるそうだ。



 田中哲朗の職業でいえば、かつては化粧品メーカーも動物実験をしていた。主に毒性の有無を検査するのである。現在ではほとんど行われていない、と信じたい。


 これは2013年3月にEUにおいて化粧品開発における動物実験の全面禁止の動きがあり、その2年後の2015年に日本の大手の化粧品メーカーもこれに賛同する報道もあったのだが、メーカーによってはそれよりも前から禁止にしていた。

 元々EUでも1980年代から動物実験に対する批判はあったし、禁止しているところもあった。


 なお、ドジャース商会から販売している化粧品関連の商品の中で動物実験を行った物は一つもない。


 ドジャース商会では、主に化粧品を販売しているが、中には薬用化粧品あるいは医薬品に近いものも販売している。これは日本ではあまり考えられないことである。

 ただ、後者の商品を販売するにはそれまでかなり時間をかけているし、販売する際には必ず一人ひとりの客に長い時間をかけて説明を行ったり、パッチテストやプリックテストと呼ばれる特別な検査をしている。


 元々この世界にも化粧品はあったが、よくよく調査をしてみると肌にとても厳しい成分が多く混入されていた。だから、人によっては肌荒れを起こし、その上からさらに別の化粧品を塗布していたと思われる。


 照明はこの世界ではわりと発達しているものであるが、一部のパーティー会場などではやや暗めになっていたのは、おそらく明るい場所では肌荒れが目立ってしまうという配慮なのだろうと推察している。



 さて、化粧品の場合もそうだが、医薬品に関しても動物実験は原則として行っていない。

 しかし、この世界の薬の効果を確認するという意味では動物に薬物を投与した。


 手順としては、最初にこの世界にあった麻酔薬や鎮静剤や鎮痛剤の類の薬を投与して、できる限り痛みのない状態にすることから始めていった。

 「類の薬」というのも微妙な言い方だが、いくつかの薬はある。

 それはハートの妹の件でも確認できたことだが、中には完全に怪しい薬もあったのだが、多くの研究者たちが使用してきた物の中から経験上、薬理学的に効果があると見なされているものを優先的に使っていったのである。こうしてまずは定評のある薬の効果を検証した。

 何人かの薬剤師がいるのだが、とりわけドリーという研究者がこの方面の知識を豊富に持っていた。


 幻覚剤は呪術的な理由から使用されることがあったのだろうし、鎮静剤なども何らかの事情があったのだろう。


 地球の薬の多くは有機化合物であり、人工的に作っているが、この世界では天然の植物由来で単離、精製されていない生薬しょうやくが基本である。

 「単離」とは混合成分から単一の成分を抽出することであるが、この世界のほとんどの薬は単離されていない。ただ、どちらが優れているかという単純な話でもない。


 生薬といえば、娘が昔テレビを観ながら「ケツメイシってどんな石?」と訊いてきたことがあった。これは石ではなくて、けつめいであり、エビスグサという植物の種子のことである。



 1804年頃、ドイツのゼルチュルナ-がアヘンからモルヒネを単離したのが、生薬からその薬効のある本体を切り離した例として有名である。

 このようなモルヒネのことを「アルカロイド」と呼び、植物塩基とも表現されるが、窒素原子を含んでいるために水に溶かすとアルカリ性を示すところからこのように名付けられたと言われているが、中性や酸性もある。

 こうして地球ではアルカロイド成分を単離する研究が盛んとなっていき、ニコチンやコカインなどが単離されていった。


 この世界には単離する技術があるのかわからないが、エキスとして抽出された薬がある。エキスは、水やアルコールなどの溶媒に含有成分を溶かして、凝縮したものである。

 水魔法を操作して、成分を溶かしやすい液体を生み出す、この世界ではこれが一般的だろうと思う。ポーション作りにはこの工程がある。


 大部分は生薬である。

 薬の発見は通常セレンディピティー、すなわち偶然の発見だと言われるが、おそらくこの世界でもそうなのだろう。

 過去に毒性の強い動植物を食べた犠牲者たちがいたからこそ発見できたことでもあるのだと思う。


 いろいろと怪しい薬はなしにして、鎮痛剤や鎮静剤の効果が定まっている薬を実験動物に使っていった。


 その実験動物も、事故で絶命寸前であったり、何らかの病気によって苦しんでいると考えられる動物ばかりを利用していった。そんな動物は都合よく現れるものではないので確保に苦労はしたが、必要のある苦労だったと思う。

 製薬部門が他よりも遅れているのはこのような事情もある。


 こうして、痛みの緩和が認められるであろう状態を作り上げることができたし、この世界の薬の効果が確認ができた。

 そして、同じく人間でももはや回復の見込みがなく、しかも痛みによって苦しんでいる人間には本人の、時には家族からの同意を得て、微量の鎮痛剤などを投与していった。実験動物に使ったものをそのまま人間に対して使うことはできないので、こうした薬も過去に人間に投与されたことのある薬である。


 どのような動物に、何を、どのくらいの分量を投与したのか、その結果はどうなのか、それはどのような環境下なのか、これらが基本的なデータとなるのだが、もちろん1回だけやったらよいわけでもなく、追試をする必要もある。

 それでも、瀕死の生き物だけを対象にしているので、データとしては心許ないのも事実である。


 ただ、明らかに毒性のないものについては研究者同士が注射を打ち合っていたりする。

 研修医は研修医同士で最初に互いに注射を打つ練習をして、両腕に注射跡があるという話を聞いたことがある。警察に職務質問でもされたらさぞかし大変なことだろう。



 動物実験は医学や動物学、薬学という特殊な分野においてのみ認めて、しかもその際にはどういう狙いがあるのか、代替法はないのか、苦痛を緩和させるようにしているか、そういう計画を入念に練ってから、時間をかけて裁可する、これらを全ての学会での共通の取り決めにする、そういうことを考えたこともあった。


 しかし、明らかに健康な動物を対象に実験をするということは、私の倫理が邪魔をする。家で飼っていた柴犬のゴン太の顔が邪魔をする。

 地球では動物愛護論や動物倫理学もあって反対運動もあるが、動物実験は依然として行われていた。

 そして、この世界の倫理ではまだ動物への権利はほとんど認められてない。

 それでもいまだに結論が出せていない。地球での倫理を持ち込むのは今さらだが、この件ほど頭を悩ませている問題はない。

 畜産動物はよくて実験動物が駄目な理由を明快に述べることができないでいる。



 研究者の中から「他国ではやっています」という怨嗟えんさに近い声が聞こえてくる。

 なんとか踏みとどまってもらって、理論面の研究の蓄積を今は図り、理解をするように言っているが、いつまでもこのままということにはいかないだろう。いつか、それも早い段階で決断を下さなければならない。

 一応、防止策として、一人が研究をするのではなく、やはり複数やチームでの研究が一番良いだろうと思う。



 地球での事例を紹介できないのは辛いし、地球でも解決されていなかった倫理の問題なので、すぐに乗り越えられるとは思っていないが、常にこの倫理観を問い直していくことを、それぞれの学会員にはそれが一つの参加資格でもあることを認識させている。

 この結末がどういうことになるのかはわからないが、しかし私やヒロインがいなくてもこの世界の人間が必ず直面する深刻な問題群である。諦めるのはまだ早い。


 いろいろと課題はあるが、それぞれの学会では編纂物も着実に出来ており、国内外で広く読まれることになった。これまでの経験からすると、おそらく1年2年という短い期間であっても、更なる発展を遂げるだろうと思う。

 こうしてバラード王国が学際王国として有名になっていった。


 バラード王国ではこの大陸で広く使われる公用語を用いているが、この公用語を学ぶ者たちが他国で多く見られるようになったという。言語や翻訳の問題は知の吸収や発信と大きく結びつくのである。

 逆にバカラやカレン先生、アリーシャが学んでいる言語は、かなりマイナーな言語もある。まあ、バカラはともかくアリーシャにはそれなりの考えがあるようだ。



「バカラよ、いっそのこと王でも名乗ってみるか?」


 二人きりの時にとんでもないことを国王が言い出したことがあった。ソーランド公爵領をソーランド国にするということである。


「陛下、お戯れはおやめください。冗談でもおっしゃってはなりません」


 そうか、と王は不敵な笑みを浮かべていたが、この王の真意は果たしてどこにあるのだろうか。

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