第103話 アリ商会のノルン

 積もっていた雪がうっすらと溶け始めていた日にいつものように王都内を散歩していたら、王都民が集まる広場でサッカーをしている集団がいた。遠目からもよくわかる。赤髪のベルハルトである。

 サッカーコートのように広いわけではなく、その4分の1以下の広さで5対5くらいでミニゲームをしているようだ。


「若いっていいですね」


「おいおい、クリスも若いだろう」


 30代半ばのクリスには真冬に外で駆けることはまあ少ないだろう。

 雪解けでピッチの状態が悪いのか、足下は泥まみれである。が、本人たちは気にせずに汗を流して走って蹴って遊び回っている。雨が降ろうが雪が降ろうが彼らは走り続けるのだろう。ただし、雷の時には止める、そういうルールはあるようだ。

 ヒロインは、というかアリ商会はスポーツの宣伝をする時にかなりルールは説明していたらしい。確かに日本でも雷の場合は試合も中止するといつか聞いたことがあった。

 

 その中でも私が感心したのは、サッカーだったらヘディング、つまり頭にボールを故意に当てるやり方について注意喚起をしていたことだった。


 サッカー経験者は長期間にわたる脳への振動によってその後深刻なものに変わる。認知症などの発症率が高いと言われている。これはボクシングやラグビーなども同じである。

 そのため、あのイギリスでは12歳以下には意図的なヘディングを禁止するルールを試験的に設けた。私がこの世界に来る前に話題になったので、おそらく日本でも同じようにルールが変更していくのだろうと思う。


 一昔前までは痴呆症と言われていたが、今では認知症、こういう症状はこの世界でも見られる。ただ日本に比べると少ない印象は受ける。

 おそらくポーションでは脳へのダメージは回復しないのではないかと思うが、この解明には今しばらくの時間がかかる。脳の働きや主な機能が知られるようになったのもまだここ数年である。



「あの赤髪の彼、良い動きですね」


「お前も混ざってやってみるか?」


「いや、俺がやったら圧勝ですよ」


 ハートもベルハルトの運動神経の良さはわかるのだろう。

 ベルハルトはじゃじゃ馬カトリーナの生誕祭で見たことがきっかけで、何度か王都内で見かけることがあった。たいてい女性の集団に交じっていた。

 それについては本人の問題だから何とも言えないが、婚約者のローラとは定期的に顔を合わせる程度だと伝え聞いている。定期的といっても週に1回、月に1回ではなく、頻度は低いようである。

 バーミヤン公爵家がああいうことになったが、マース侯爵家のベルハルトと縁を切るということでもないのだろう。腐っても公爵家である。

 庶民とも気にせずに遊んでいるのはベルハルトの性格なのだろう。



「あら、お客さんじゃないですか。お久しぶりです」


「おお、君か。懐かしいな。半年前くらいだったか」


「はい、その節はどうもありがとうございます」


 アリ商会であった緑色の髪の毛の青年である。今日は販売員というよりはスポーティーな格好になっている。

 こうしてみると、やはり見目麗しい青年だと思う。女性にもモテるなんじゃないか。


「アリ商会もなかなか良いものを出しているじゃないか。なあ、ノルン」


 自分の名前が言い当てられたことには全く驚いていない。


「はい、おかげさまで手堅く商売をさせていただいています、バカラ宰相様」


「やはり、知っていたか」


「もちろん、こう見えても情報をおろそかにできない性分なものでして」


 前にアリ商会に行ってからハートを雇用することになったが、ハートの身辺調査とともにこのアリ商会の青年のことも調べていた。これはキャリアの娘のシノンが気を利かせてキャリアに相談して追加で調査をしたのだった。

 その時にわかったことに、この青年がアリ商会の責任者の息子ノルンであることがわかった。歳の頃は20歳くらいである。そのノルンは本人も言っているがかなりの情報通で顔も広い。アリ商会の今の責任者をいずれ継ぐことになるのだろう。


「おそらく、旦那様のことも知っていたのではないでしょうか?」


 キャリアがこう言ってきた。


「そうか。言われてみれば、しつこく質問をしてきたな」


 あの時は単に商魂がたくましいだけかと思ったが、私がバカラだと知った上でいろいろな情報を聞き出していたのかもしれない。どこで私の顔を見たのかはわからない。

 もしかすると護衛を連れて王都内を視察しているということが情報で流れたのかもしれない。あの時に訊ねた香辛料の利用方法の情報も偽っていたのだろう。なお、ノルンはバラード学園には通っていなかったようである。



「カレーは良い商品だったな。まだまだいろいろな組み合わせができるだろう」


「はい。考案者もそう言っていました。カレー以外もですが」


 「考案者」と口に出した言葉にはこちらを試しているように見える。どこか余裕の笑みを浮かべていたので、少しだけやり返した。


「それは、さる子爵令嬢様かな。このサッカーも音楽もそうだろう」


「!? いやあ、そこまでご存じだとは、お見それしました。ですが……」


「ああ、わかっている。このことは誰にも言っていないし、言いふらしてもいないし、そのつもりもない」


「ありがとうございます。お噂通り、バカラ・ソーランド様はそういうことはなさらないと私は見ております」


 これにはノルンも驚きを隠せていない。

 ヒロインが作ったことは秘匿されているのだろう。私も今ここにいるクリスやハートやキャリアくらいにしか話していないし、この者たちは他言しないだろう。情報が価値を持つと知っている者たちだ。

 どこで知ったのか、それが気になるという表情をしている。言っても信用してはくれまい。それが宰相だ、とだけ言った。


「君もサッカーをするのか?」


「はい。今試作しているユニフォームってやつの動きを確かめたくて」


「それがユニフォームか。そうだな、そういうものがあるとまたスポーツは面白いだろう」


 アリ商会は服などもてがけている商会である。こういうのもあった方がよかろう。商品は自分で使ってみないと気が済まない、そういうタイプなのだろう。


「やっぱり俺も混ざってきていいですか?」


 ハートがそわそわしているようである。なんだ、やっぱりやりたかったんじゃないか。


「おい、護衛中だぞ」


「まあ、いいじゃないか。だが、ハート、やるからには勝て」


「はい」


 クリスの小言はもっともである。

 宰相を残してサッカーをしたいとは首覚悟で言うようなものである。まあ、そんなことで私は怒りはしないし、遊びたい時は遊べばいい。ただ、あとでキャリアからハートは叱られるだろう。

 護衛といってもさすがにそんなに頻繁に仕事があるわけではないし、そういう場所に足を踏み入れない限りは危険は少ない方だと思う。ただ、ここ数か月は嫌な薬が王都内で流行っている。この調査をかねて私も気になる場所は訪れているが、手がかりは掴めていない。


 ノルンは「これ試作ですけど」と言って、ノルンが今着ているような動きやすい服を用意していた。今遊んでいる子たちにも試してもらうために何着か持ってきていたのだろう。ハートはそれに着替えて、サッカーへと向かって行った。


 この時にベルハルトが私に気づいたが、ぺこりと礼をしてきて、みな試合に戻って行った。すぐに輪の中に入り込めるのも一つの才能だ。互いの情報がなくても一緒に遊べる。遊戯とはそういうものなのだろうと思う。軟派な子だと思っていたが、こうして運動をすると顔が変わる。


「それにしてもドジャース商会の頭脳とも呼ばれるバカラ様が、こんなに親しい方だとは思いませんでしたよ。前の宰相様は、その、アレでしたし」


 ゲスの評判は王都民には最低である。


「実は狡猾かもしれんぞ。まあ、そうだな。ドジャース商会の頭脳か」


 アイディアしか出していないから、私一人の力だけで出来上がったと思うほどに傲慢ではない。

 功績は私一人、あるいはソーランド公爵家のものとして世間は見ているが、開発者や情理を尽くして販売をした者たちも等しく功績がある。だから商品がヒットしたらまず一番にすることはその関係者たちに特別な報酬を出すことである。


 成果主義はもちこんでいないが、それでも成果として認められたらそれなりの報酬を支払う。それは1年目から変わっていない。さすがに誰が開発の中心かを明らかにすることはあまり良くないのでその人物名を挙げて広く褒め称えることはできず、このような報酬という形をとっている。


「今一番の商会ですからね。商品も面白いものばかりで。もう王都一だから安心ですよね」


「そんな狭い世界で商売をするつもりなんて毛頭ないぞ、私も、今の商会の責任者も」


「えっ?」


 ノルンはこれには意外という顔をした。


「世界は広い。いくらでも広げていける。そして、美味しいものも便利なものも必要としている人間は数多くいる。今は高値だが、ゆくゆくは安価にしたい。私はこのバラード王国だけが舞台ではないと考えているし、あってはならないと思っている。なんだ、君はもしかして王都だけでこぢんまりと商売をしたいのか? 私は君はそういう狭い世界だけで満足するような人間ではないと思ったのだが、見込み違いか」


「……」


 ずっと余裕のありそうな顔を浮かべていたノルンが、この時ばかりは急に真剣な顔つきになる。これが商売人としての彼の顔なのだろう。

 この王都だけでも十分に商売をしていけるだろうと思う。

 ただ、私の言葉がどこまで届いたかわからないが、ケビンのライバルとして成長してほしいし、世界を広く持ってほしい。


 それからはハートたちに混ざってノルンが一緒に遊ぶのを見学したり、バスケットゴールに私も3ポイントシュートを決めようと思ってボールを投げたりしていた。届かなかった。アリーシャくらいの年齢の男の子が私を笑って、ふわっとボールを投げて綺麗に決めていた。


 この世界でもスーパースターのような選手がいつか生まれるのならば、そういうのもいいなと思いながら若者たちのスポーツを眺めていた。

 まあ、スポーツも熱くなりすぎるとファンが暴徒化してしまうから、プロ団体ができてしまった時は考えた方がいいのだろう。同僚の父親は応援していた野球チームが負けると茶碗を投げていたそうだ。

 勝負が公式な大会になってしまったら賭け事にも気を遣わなければなるまい。


 ハートがゴールを決めてヨッシャーと大声で喜びを表現している。そのハートとノルンがハイタッチをしている。ノルンのナイスアシストがあったのだろう。いったいどこで覚えたのか、ハートとノルンがカズダンスらしきものをしている。



「やはり、彼が……」


「バカラ様、何かおっしゃいましたか?」


 怪訝そうな顔をしてクリスが訊いてきた。


「いや、一人言だ」


 おそらく、彼なのだろう。

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