第95話 ファッションと命
「そういえば、衣装に関しては特別なご配慮、痛み入ります」
「そうね。まだまだ時間がかかりそう」
何のことかといえば、ファッションについてである。
この世界ではコルセットがあったり、厚底の靴やヒールが社交界では一般的である。この世界というよりはバラード王国周辺の国々がそうであると言った方が正確かもしれない。
安全学や失敗学、あるいは安全工学という事故や災害を回避するために安全性を追求する分野がある。ある事故や災害の要因をヒューマンエラーという個人の資質や能力だけに求めるのではなく、広く環境やシステムの問題や責任として見ていく、そういうことである。
変な例だが、たとえばテストのカンニングがある。
見た側が悪いと考えることが一般的だが、前後左右の席の間隔はどうだったのか、「見られた」側は「見せた」側と言えるのではないか等のように、カンニングという行為を巡って様々な誘発要因を見つけ出していき、この「事故」を未然に防ぐために席の間隔をしっかり取ったり、全て解答欄を埋めて「さあ寝よう」と思う時にも裏返して眠ったりとか、そんな対策が求められる。
まあただ、これも突き詰めたら「私は悪くない」と居直り強盗みたいになってしまうところがある。
他にも有名なのは「逸脱の標準化」と呼ばれる、人間の慣れや心理が導いた最悪の事故が、1986年のスペース・シャトルの大事故や、1999年の東海村JCO臨界事故である。
21世紀になってからも、このタイプの事故は多く見られたものだ。
「ファッションと死」というテーマは、実は地球では長い間人々の中で問題となってきている。「きていた」と過去ではなく、現在も起きている。
長いマフラーが回転する物体に巻きこまれて人の首を絞めたり、19世紀に女性のスカートの膨らみを保つクリノリンというものをつけた女性が機械に巻きこまれたり、そういう事故は多発していたと言われる。
不謹慎だが、死のピタゴラスイッチとでも呼んでもいいのだろうが、何か一つが別の事象に干渉し、誘発し、人の命を奪っていくことはファッションに関わる世界では珍しくない。
もう20年近くなるだろうか、2000年前後だったと思うが、厚底ブーツや厚底サンダルが流行った時期があった。
その一方で自動車の運転操作を誤って死亡事故が起きたことが話題になったことがあった。私もたまに靴を新調して車に乗ると、ブレーキやアクセルの踏み心地が異なることがあったが、靴底が厚かったら困難だろうと思う。
パリコレと呼ばれる、フランスで開催されるファッションの新作発表会がある。ランウェイと呼ばれる細長い通路を往復しながら新作の衣装を見せているが、この通路をキャットウォークとも言う。
イギリスにヴィヴィアン・ウエストウッドというファッションデザイナーがいるのだが、1993年のファッションショーのランウェイで厚底の靴を履いたモデルが転倒するという事故が起きた。
そのモデルとは、この転倒から数年後、日本ではCMでナオミという少女がエステから帰ってきて「ナオミよ」と発した、あのナオミ・キャンベルである。
歩き慣れているプロのモデルでさえ転ける可能性があるのだから、一般人がそういう靴を履いたらどうなるかは容易に想像ができる。
安全性や健康という観点からファッションは捉え直す方が私は良いと思うし、この世界でもおそらく見えていないところで大小様々な事故が起きているのだと思う。
この件については、以前にアリーシャが「お父様、コルセットのことなのですが」と、身体に及ぼす影響について訊ねてきたことがあった。
アリーシャ自身は小さい頃はある種の憧れのようなものを抱いていたようだが、人体の構造を理解した際にコルセットが果たして本当に望ましいものなのかどうか、疑念が湧いてきたそうである。
地球では医療用のコルセットがあるとはいえ、何の問題もない人間が身につけることは私も望ましくないと考えていた。
さすがに
靴に関していえば左右の違いのない靴が多い。つまり、左右が同型の靴である。
左右の足の形が違うのは見ての通りだが、左右兼用の靴というのはそれなりに利便性はあったのだろう。しかし、緩やかなスリッパならともかく、日常的にある程度の距離を歩く場合には健康的ではない。
私も革靴を買うことがあったが、店員はかなり丁寧に足を計測してくれた。
アベル王子の顔はシンメトリーだが、そういう人間は限られている。足も同じことがいえて、左右対称ではなく、骨格の差や癖によって非対称である。だから、靴についても改革したいと思っていた。
ガラスの靴を履くのに必要なことは足を切ることではなくガラスの靴を変えることである。
いろいろと経緯はあるのだが、何度か社交界で当たり前になっているファッションについては意見を述べたことがあった。だが、
私の提言は伝統や文化、またそれらへの意識を変えることである。
一筋縄にはいかないわけだが、こんなにも反発があるとは思ってもみなかった。おそらくスーツからジャージにしなさいとかノーメイクでいなさいと言われるようなものなんだろう。
マリア王妃は、私の意図を汲んでくれた上で、少しずつファッションをずらしていっている。協力してもらっているのだった。王族が
王室は地球の言葉を使えばインフルエンサーである。
さて、本来であれば従来の衣服に替わるような新しい身体のデザインやモデル、並びにその衣服を同時に提示しなければならないのだろうと思うが、この分野についてはなかなか手が回らないでいる。
ドジャース商会がこうした方面にあまり手を出していないのも強気に出られない理由でもある。
それでも何かしらの運動は必要だと思うので、草の根運動みたいに身近な人間と話をして理解をしてもらえるように少しずつ展開をしている。
「いらっしゃい」
王都には奇妙な店が何店舗かあるのだが、王宮から戻る道に魔道具屋という不思議な店がある。
王都に住み始めてから定期的に通っている。もう20回くらい通っただろうか。
店主は年齢不詳の婆さんで、魔女と言われても不思議ではない。黒いローブを身に纏った姿はまさしくそういう印象を受ける。
最初に来た時に話しかけたのだが、一切無視された。
なんだこの婆さんは?と思ったものだったが、陳列されてある商品がこの世界では珍しいものばかりで、しかしその機能ははっきりとわからない。
だから、「これはどういう商品なんだ?」と訊いたが、うんともすんとも言わず、ただ店に座っているだけである。売ってもくれなかった。
それが、たしか5回目だっただろうか、その時初めて「何かお探しかい?」と声を発したので、この婆さんが置物じゃなかったのだと妙に安心してしまった。
いったい商売をする気があるのか、経営は成り立っているのか、疑問だったが、街の評判では何回か通えば話してくれるという不思議な店だった。
それから何度か会話をしたのだが、商品の説明を訊いてもさっぱりわからない。
説明がわからないというより、どういう原理で動くのかがわからない商品ばかりだったからだ。
たとえば、羽がないのに風が出たり、何もないのに火が出たりする。電気で動くのかと思ったが、そういうものでもないようだ。なぜ無から有が生まれるのか、疑問ばかりが残る。
「秘密じゃよ」と、商品開発に関わる一切の秘密は教えてくれない。
「婆さん、まだ生きてたんだな」
「ひひひ、おかげさまでな」
この店に来る時にはいつもハートだけを連れてきていたのだが、クリスと一緒にやってきた時にクリスが言った。
「クリスは知ってたのか?」
「はい。この店は何でも屋なんです。まあ魔道具屋とも言われています」
何でも、魔法の素をエネルギーにして動く道具、それが魔道具だという。貴族街に近い場所なので、ハートは知らなかったのだろう。
魔道具の存在については知っていたが、その仕組みがわからない以上手は出さなかった。調べるにしても解析に時間がかかりそうだし、商売にはならないように思えたから放っておいた。どこかインチキ商品だと思っていたところはある。
しかし、今は商品開発が緩やかなのでようやく魔道具というものを本格的に調べてみようという気になったが、その原理がやはりわからない。魔道具職人という人間もいるようだが、王都内にいるのかは情報がない。それに作るのにも時間がかかるという。
クリスによれば、販売だけではなく、魔物の素材などを高く買い取ってくれる店のようである。
クリスが20代の時に見つけたので、もしかするとバカラの学生時代にはまだなかったのかもしれない。魔物の素材自体は特殊な効果のあるものがあって、その効果を巧みに発現させたのが魔道具である、ということになろうか。
それで何度か通い詰めて、いくつかの商品を買った日に、婆さんが思い出したように「そうじゃ」と言って小さな袋を取り出した。
「何度も通ってくれた礼じゃ。これをやろう」
「これは……種か?」
「ああ、そうじゃ」
小さな袋には5粒の種が入っていた。ひまわりの種のようなものだったが、ひまわりではないだろう。
「何の植物なんだ?」
「それは秘密じゃ。まあ、植えてみるといい。もしかしたら花を咲かせられるかもしれんのう。咲くまでは長いじゃろうが、一度咲いたらいつまでも咲き続けるんじゃ。どんな色の花が咲くかのう」
なんだか危ない種のように思えたが、種と魔法とを合成する、そういう技術でもあるということだろうか。
持ち帰って、土研究者のレイトや他にも植物研究者たちに話を訊いたのだが、誰も知らない種だという。
それで庭に5粒の種を土に入れたら、次の日にはなんと芽を出した。5粒すべてである。まるで何かのアニメ映画みたいである。
「成長が早いな」
「普通の種じゃないですね」
レイトに一日で芽を出す花の種のことを訊いたのだが、心当たりはないようだった。
ただ、一人の研究者が魔法の種ならあるいは、と言っていたので話を詳しく訊くと、特別な製法で種自体を作る人々がいて、そういう種は通常では考えられない成長をする、そんな話である。
「害はないんだろうな?」
「おそらく」
店主の婆さんといい、店の商品といい、魔法の種といい、どこまでも謎に包まれているが、どういう花を咲かせるのか、注視していきたい。
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