第93話 聖女の価値
ところで、聖女の代わりにポーションがあるはずである。
カーサイト公爵家のものは危ない薬だが、それでも中級ポーション、上級ポーションが存在するので、聖女を獲得することにどんなメリットがあるのだろうか。
つまり、国や教会がなぜそれほどまでに聖女を囲い込むかというと、傷ではなく病気の治療の観点から重宝している、という意見がある。
中級、上級ポーションなどではできないのが、病気の治療である。
どこまでの効果があるのかわからないが、光魔法には病気を治癒する効果がある。正確には浄化と傷の治療と病気の治療が渾然とした一つの奇跡のような魔法である。
それが根治かどうかはわからないが、病巣などを正常な働きに変えていくようだ。これはいくつかの証言がある。
ただ、この世界の医学水準から判断すればどのような病なのかが明らかではないはずなのに病気が治るというのも不思議といえば不思議である。
見過ごせない事実だが、その光魔法によっても症状が改善しなかった例もある。
一時的に苦しみから解放したが、やはり何らかの異変があって亡くなった。このような事実もあるから、万能とは言いづらいと思う。こんなことは敬虔な信者には言えない。
それでも不治の病と呼ばれるいくつかの病が聖女の光魔法で治る見込みがあるのならば、囲い込みたいという欲望はあるだろうし、そういう聖女を利用して宗教活動を行うということは考えられる。この世界にやってきて、私もそういう力が欲しいと切に願った時が何回もあった。
国の重鎮などに治療を施せば、教会としても支援者を得る結果になるのだろう。
あまり公にはなっておらず、一部の人間しか知らないことだが、国家や教会が聖女を囲い込んでいた初期の時代には、実際にそういうことが行われていたようである。想像するに忍びないものがある。
嫌な話だが、逆に敵国の重鎮を治療させないために聖女を隠すということだってあるように思う。
通常、精霊と契約した場合は亡くなるまで契約なのだが、この光の精霊については他の精霊と同じように亡くなるまでの契約の者もいるが、ある時に契約が解除にでもなったかのように魔法が使えなくなる事例も報告されている。
「光の精霊はそうだね、嫌なんじゃないかな、うん」
モグラの証言では、精霊の方から解除をする、そういうことのようだ。これは他の精霊にも言えるようであるが、滅多なことではそういうのはないらしい。
いずれにせよ、病気の治癒という点に関して、国家と教会との大きな対立と欲望をめぐる人間たちの争いがある、と私は見ている。もちろん、あの地獄の毒薬ポーションの世話になりたくないという切実な事情もあるかもしれない。
私が一番に危惧していたのはこのバラード王国に光の精霊と契約した者が現れた場合の扱われ方だった。
少なくともゲームの中には光の精霊と契約した者がいると考えるべきだし、もしその子が国家と教会の両方から脅されるようなことがあれば、看過できない。
ヒロインがどの精霊と契約するかはまだわからないが、もしヒロインが光の精霊と契約したら、それこそ利用価値が高いとみなされる恐れがある。
私と同様に地球の知識を有している可能性も高いし、しかも高校生だというのだから、そんな子が国と教会との板挟み状態になるというのは忍びない。もちろん、ヒロイン以外の子が光の精霊と契約した場合にも同じことが言える。
蓋然性が高い気がするので、それを見過ごすというのはやはり良くない。
それを回避するために対策を立てる必要がある。
したがって、宰相の仕事として一番に力を入れていたのはこの光の精霊と契約した人間の扱いの改善だった。
今後もしバラード王国に光の精霊と契約した人間が現れた場合、この国としては学園に通わせながら魔法の修練をさせる方針を採用するべきだろう。これは国王とも意見を交わして、国王もその方針がよいと納得していた。もし現れたとしても、乱暴なことにはならないという建前だが、言質をとっておいた方が良い。
本人にとって平和であり自由であると思う。もしかしたら教会に入った方が幸せだというのなら本人の選択に任せればいいが、よほどの変わり者でない限りはその可能性は低い。
そういうわけで、光の精霊との契約者の扱い方を教会に認めさせるために、いろいろと東奔西走してなんとかそれをこなすことができた。
これには隣国のカラルド国の王家から派遣してくれた人間が間に入って取り持ってくれた。さすがに教会もバラード王国とカラルド国相手に争う可能性は低い。カラルド国にはバラード王国以外にも親交のある国はいくつもある。こうして教会を牽制することができる。
ゲームの中では宰相はゲス・バーミヤンだったのだろうが、ゲームでのヒロインの扱いはおそらくこうした牽制が一切ないものだったのだろうと思う。ヒロインは危ない立場にいたのではないだろうか。
というのも、教会にもいろいろな派閥があってやはり不満のある人間も多かったのである。
私たちにきっと知られるとわかっていて当てつけのように「バラード王国は聖女様を独り占めするつもりだ」と非難する声を挙げたものもいた。教会も一枚岩ではないようである。もう十年も聖女を擁立していないからしびれを切らしている人間がいる。
特に何も思わなかった者もいるが、その場合は聖女なるものが都合よく現れるわけがないと諦めているのかもしれない。
ただ、教皇は60代の人間なのだが、彼は思うところがあるようで、他の教会の人間がいないわずかな機会に私にだけ聞こえるような声で「メフィスト大司教にはご注意を」と教えてくれた。
教会は教皇の下に何名かの大司教がいるのだが、その大司教の中でも優位にいるのがこのメフィスト大司教であり、彼はバラード王国の王都にいる。
50代くらいのでっぷりと太った男で、とても聖職者には見えなかったが、さぞかし美味い物でも食べているのだろう。
4年ほど前にソーランド公爵領での医学研究のお伺いを立てた時に、教会の人間で一番渋っていたのはこの男である。
その時にはこのメフィストと当時の宰相ゲス・バーミヤンが異を唱えたが、メフィストへは教皇が「関与しない」という消極的な立場で説得し、ゲスへは国王とカーサイト公爵家のザマスが対応した、ということになる。
メフィストはたぶん積極的に反対ではなく、自分を外して何かを決められることが嫌なタイプの、めんどくさい人間なんだろうと思う。
こういう経緯があるので、教皇自身は実は医学や医療への理解があったと言えるわけで、聖女を盲信するという人間ではないようではあった。詳しい事情は判然としないが、そんなに悪い人間の印象は受けなかった。
ただ、悪い人間ではないことが安全だということもないだろう。それに私の見る目なんて、と最近では反省しっぱなしである。
今回のやりとりでも、教皇はこちらの要求を認めていた。
前回と違って私自身が宰相であるし、カラルド国もいるし、またこの2、3年でカラルド国以外とも友好的な関係を国王が築いてきた背景もあり、メフィストは苦虫を食いつぶしたような表情を浮かべていたが、最後には了承した。
教皇の懸念は、おそらく何らかの確証があっての警告だと思うので、王都の教会内部へも警戒することにした。
あるいはメフィストの方が実は善人で教皇が実は、という可能性もあるが、メフィストの言動を見る限りではこっちの方がゲスと同じ臭いがする。こちらの方がきな臭いと思う。
ソーランド領の時もそうだったが、王都に来てからアポロ教会に行ってお祈りをすることがある。
もちろん、メフィストのいない教会であり、王都にはいくつか教会があるが、一番豪華な教会へは向かわずに、少し離れた場所にある寂しさのある教会に行っている。
「バカラ様、いつもありがとうございます」
「いやいや、もし何かお困りのことがあればいつでも」
大司教のメフィストとは異なって、ここの教会の司祭や助祭は痩せた感じの人間が多いのだが、孤児院を兼ねている教会である。スラム街に行く人間もいるが、こういう教会に捨てられる子たちもいる。なかなか教会の資金繰りというのも難しいようで気持ちばかりの寄付をしている。
王都民向けに定期的に科学教室を開いているのだが、そこで作った石けんなどもあげている。
それにしても、同じ王都にある教会といってもこれだけの差があるというのは異様だと思う。
私は神を信じてはいないが、洗礼とか啓示というものにはどこか憧れのようなものがある。矛盾しているかもしれないが、昔からそういう思いがある。
いつの頃からか、祈るという行為に意味を見出したこととも関係があるのかもしれない。切実な祈りには救いがあってほしいと思う。
さて、カトリーナ王女もそうだが、クラウド王子たちカラルド国の支援や協力があって、光の精霊との契約者の件については大いに助けられた。
その御礼にいくつか渡したものがある。
その一つにまだ市場には出していない『人を動かす珠玉の言葉たち』の最新刊を贈ったら、ひどく喜ばれてしまった。
カラルド国王が臣下や国民に話す良い言葉がないので、あの本を参考にしているようだ。王も人間というわけだ。
ただ、以前に私がそういう本を買って読んですぐにいろいろなことにかこつけて娘に対して名言をしたり顔で解説していたら、妻に「安易なビジネス本の名言なんか使っちゃって」と皮肉られたことがある。
王にはくれぐれも引用には注意をするように、とは言わなかった。
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