第86話 新しい護衛〔1〕

「あの、ありがとうございます」


 先ほどの啖呵たんかを切った勢いはすでになく、ただただ一人の青年でしかない。


「じゃあ行こうか」


「え、あの」


 そう言って、困惑する青年を引き連れて本邸まで辿り着いて青年と話をすることにした。こういう邸には入ったことがないのだろう、まだ戸惑っているようである。


 やっと落ち着いて青年は事情を説明できるようになった。

 どうやらあの子爵の依頼内容は迷いの森にあるいくつかの貴重な資源を採取するために呼び集められた護衛であるという。迷いの森には確かに魔物がいるが、浅い場所だとそうでもない。

 ただ、実際には森の奥深くまで行くということを直前になって聞き、話が違うということであの子爵に文句を言ったという経緯である。


「だって、奥地にだけは簡単に入るようなことはするな、事前の準備をおろそかにするな、何度もそう聞かされてきました。でも、明らかに準備不足でとてもじゃないけど、安全が保証されるとは限らないっていうか、間違いなくこの仕事からは手を引いた方がいいと判断して……」


「それで、さっきの言い合いか」


「はい、そうです」


 無茶なことをする。迷いの森にはそんなに貴重な資源が眠っているというのか。

 この世界には地球にはない素材が確かにあるが、それを獲得しなければならないほどのものでもないと思っていたが、ソーランド公爵領では見られないものもあるんだろう。

 素材集めという観点から迷いの森を探索するのも一つの手か。何人かの研究者からも迷いの森の調査を嘆願している者がいる。時間がとれたら視察をかねて行ってみよう。


「父上」


 カーティスが部屋に入ってきた。クリスか誰かから話を聞いてやってきたのだろう。


「カーティス? カーティス・ソーランドか? ……あ、カーティス様か」


「君は、ハートか?」


 カーティスの顔を見た青年が驚いた表情で言った。カーティスも同じだった。


 二人はどうやら顔なじみのようである。


 二人から話を聞くと、二人はバラード学園の同級生で、この青年ハートは騎士コースの特待枠の学生だったようだ。卒業後、他の学生やかつてのクリスやカミラと同様にこの街での護衛依頼をずっとこなしてきたのだという。


 それだけ聞くとあまり接点がなさそうだったが、この青年は風の精霊と契約をしている。だから、騎士コースに所属しながら、魔法使いコースの実技でカーティスと一緒に何度か組んだことがあるようだ。また、マース侯爵家のファラとも交流があるという。


 嘆かわしいことだが、例によりあの学園の人間たちに目を付けられていた。

 ただ、他の一般学生たちと異なり、たいていやり返して、時には手を出そうとしたカーティスやファラに「邪魔するな」と言って強く追い返したらしい。


「そうか。なかなかヤンチャなんだな」


「いえ。あの目が嫌なんです。ゴミを見るようなあの目は。貴族が何だっていうんだっての! ……あ、いえ、バカラ様に言ったわけじゃ……」


「いい。私もそう思う」


「ち、父上!」


 カーティスにたしなめられてしまった。まあ、お前の立場ならそうだろう。私も今のはやや軽率な発言だったと思うが、訂正はすまい。


「責務を果たせない者に貴族の資格はなしだ。少なくとも私はそう考えている」


 この国の貴族のタチが悪いのは本当に自然発生的にありうるものなのか、ここまで来ると怪しくなる。どうしてそこまで人を虐げることに抵抗がないのか。隣国のカラルド国にも他の国にも偵察を送っているが、これほどなのは珍しいように思う。


 雑草魂で愚かな貴族たちに立ち向かうのは勇ましいが、それでもそういう侮蔑の目の記憶はいつまでも呪いのようにハートを縛るのだろう。私も不可抗力で思わず屁をこいた時に妻と娘にそういう目で見られた。気持ちはよくわかる。



 護衛依頼はその危険度に対して驚くほどに報酬が少ない。足下を見られているというのか、馬鹿馬鹿しいほどだった。

 クリスやカミラは貴族出身だったからある程度の蓄えがあるとはいえ、やはり生活するにしても苦労が多いと聞く。


 プロのアスリートと同じように、一生涯を通じてできるような職業でもない。

 たとえば、かつて甲子園を賑わせた球児が高校卒業後に球団に所属してもチャンスを活かし切れなかったり負傷により、5年も保たずに戦力外通告をされることだってある。

 海外でもアメフトやバスケの選手たちが引退した後、5年以内の自己破産率は高いという。セカンドライフと言っても、悠々自適とはいえない。

 スポーツにもよるが、やはり30歳くらいが一つの目安のように思う。



 護衛も仕事内容によるが、肉体の関係から長くてもやはり40半ば過ぎであって、50、60歳くらいで護衛というのはなかなか難しいように思う。仮に年老いてもできるといっても、その席を若者から奪うと今度は若者の席がなくなる。年齢バランスを維持するのは大変なことだ。


 私の勤めていた会社にはボディーガードではなく警備員がいたが、若い人間は稀だったように思う。もし暴漢に襲われたらさすがにやられるか逃げるだろうと思われた。娘の通っていた高校にもそういう職業の人がいたが、やはり年配の方だったように思う。


 おそらく、この世界でも要人警護という護衛ではなく、建物の管理や危険度の低い警備というのが騎士コース出身の人間が年を取ってからできる仕事ではないかと思う。

 ただ、案外この世界の人間は年をとっても身体が丈夫な感じに見えるし、もし魔法が使えるとしたらもう少し伸びるのかもしれない。


 それでも現役中はもとより引退後の生活も保証されているわけじゃないから、ある程度節約をして老後に備える必要だってある。すでに雇っている護衛たちの中にも、将来に備えて切り詰めている者たちが多くいる。自分の生活がいつまでも今のままではないと考えているからだろう。

 護衛の備品は支給品ではなく自腹だから、そのメンテナンス費用や維持費だってある。武器も消耗品である。

 この世界でも仕事の重要度、特に命に関わるような労働と賃金との関係がいびつであるというのはなかなかせつないものがある。



「バカラ様、本来はこんなことを言うのもおかしいのですが……」


「なんだ、お前たち。みんなして何かあったのか?」


 護衛たちに限らないが、私が雇っている者の中には、料理長のオーランや土研究者のレイトたちのところに行って、料理や農業について学んでいる者たちがいる。みなで申し合わせたかのように私に直談判で学ばせてほしいと願い出ることがあった。

 そのため、市販用の教科書の貸し出しも自由にしているが、そういうのを読み込んで勉強をしている者たちもいる。あまりにも希望者が多かったので、みなに買うことにした。


 カレン先生にも相談をして文字の読み書きを習っているという話も聞いた。

 今はカレン先生も学園に勤めているので時間がとれないので、1、2名ほど雇って空いた時間に勉強をみてもらっている。たまにアリーシャも教えることがあるという。


「お嬢様に教えていただくなど、恐れ多いことです」


「どうして? みなさま私たちに仕えてくれているのでしょう? 手の空いた人間が教えるのがソーランドの教えです。学ぶ者がいる以上、それに手を貸したいと思うのは私の本懐です。気にしないでいいの」


 そんな教えがあったのかと思ったものだが、かえって変な緊張感があってそれはそれで身になっているようである。そのアリーシャを見て、カーティスも顔を覗かせているようである。


 第二の人生ではないが、別の職業を考える人間がいても不思議ではない。

 学び直しというが、そもそも学んでいないのだからこの世界ではあまり通用しない。大人になってからも学べる場があればいいが、このことは学校建設時からの課題である。漫然と学ぶ子どもたちに比べて、ある種の危機感があるのでずいぶんと学ぶのが早いようである。


 年金制度なんてものがあるわけではないから、貯蓄がなくなったら後は悲惨な生活しかない。縁故があればまだいいが、護衛たちの中には家を飛び出して、他国からやってきた者たちもいる。


 そういう者たちでも、たとえば大怪我をして身体が動かなくなったとしても、静かに生を終えられるような社会、そういう社会を作ることができるだろうか。医療や福祉の問題は深刻である。

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