第87話 新しい護衛〔2〕

 ハートの処遇についてだが、考えはあった。


「ちょうどよかった。私に雇われてみないか?」


 私の護衛はクリスとカミラだったが、カミラが今いないのでどうしようかなと考えていた。

 もちろん、他にも護衛はいるのだが、私のようにあちこちいろいろなところに行く護衛としてはちょっと大変かなとか、家族と過ごしたいだろうなとか、でも王都内だとクリス一人でもいいか、ただ街中で大勢に絡まれることもありそうだなとあれこれと考えていて、今に至っている。


 最悪の場合、私の周りに土壁を作って敵からの攻撃を防ぐ、自分だけ小高い土の山を作ってやり過ごす、逆に相手を土壁で埋める、落とし穴に落とすという荒技もあるので徒らに護衛の数を増やす必要もない。


 それに精霊や研究開発のこともあって、あまり秘密を知る人間というのを増やすものでもないと思っていて、固定の護衛の方がいいなと考えている。まあ基本的に秘密というのは誰かに話せばもう秘密ではなくなると言ってもいいのだろう。


 何よりも護衛にはやはり純粋に強さが求められるのであって、クリスとカミラは頭ひとつ抜けている。このレベルの護衛でないと満足できないという気持ちが正直に言えばあった。

 また、ハートが風の精霊と契約しているというのにも興味はあった。



「えっ、バカラ様、いいんですか? 俺、そんなに使えないかもしれませんよ」


 貴族に怯まず立ち向かう気骨もあって、しかし依頼内容に命の危険があると判断したらすぐに引き下がる、こうした気概とプロの判断力がわかる態度には悪い印象は抱かない。

 まあ、感情に任せて貴族に逆らうことがすでに命の危機を招いているから向こう見ずだという判断にはなるだろうが、正直に言えば気に入った。


「使えないのか?」


「いや、そこそこ使えると思います」


「それならいい。では、クリスに任せてみよう。カミラにも見てもらってくれ」


「はい、わかりました」


 ハートがどこまで動ける人間なのかは、やはり護衛として働いている二人に見てもらった方が評価も適切だろう。カミラにも少しばかり負担をかけるが、クリスとは異なる観点で動きなどを見るかもしれない。しばらくは様子見ということにしておく。


「あ、さっきのお金……」


「しばらくは試用期間だが、受け取っておけ」


 そう言って、いくらかの手付金を渡した。

 少しばかり色を付けたのは、ハートが先払いで受け取っていた金は家族のために使ったということを聞いたからだった。小さな妹が病弱で、その薬代というのが深刻らしい。

 後日、キャリアにハートの身辺調査を行わせたが、どうやらそれは事実らしい。



 薬といっても、すでに医学研究者のアーノルドや製薬の研究者たちがこの世界で起こりうる代表的な病気に対するいくつかの効果的な療法は考えられていた。その一つにもちろん投薬治療がある。


 アーノルドたちが人体の構造や機能などを明らかにし、製薬部門ではすでに治験も行っているのだが、医学の成果を踏まえて薬を調整しているし、逆に治験の結果をアーノルドたちが参考にして、互いに協力しながら研究がなされている。一つひとつの成分が人体にどのような影響を与えていくのか、そういうデータが詳細に分析されて蓄積されている。


 他の分野と同じように、アーノルドたちの研究スピードやひらめきからの仮説、推論、その検証などの成果には著しいものがある。私もある程度どういう世界かは推測できていたが、おそらくこの世界の人間ほどのものではないように思う。


 たとえば地球では新薬でも、通常は10年くらいはかかると言われている。もちろんこれ以上長い場合だってある。そしてその全てが成功するわけでもなく、ほんのごく一部だ。

 新薬が出回るまでには、基礎研究や非臨床実験に臨床実験、加えて厳しい審査があって、長い時間がかかるのが普通なのだが、この世界ではその一つひとつの過程が凝縮、短縮しているといえばいいのか、とんとんとんと流れるように進んでいく。

 これは製薬に限らず、他の食品や日用品の研究者たちにもいえる。勘が鋭い、と言ってもいいかもしれない。


 最初の1、2年ではまだ完全には判断しづらいところがあったが、現在では体感として地球の20年30年を数か月から1年で進めている、そういう印象を受ける。


 ヒロインの活動が学園生活の3年間、あるいはもっと前からの4年間だとすると、おそらく1、2年以内に、早ければ数か月以内に地球のものを生み出していったと考えるべきである。生み出したからといってすぐに販売はできないから、世に出るにはもう少し時間はかかるだろうが、それでも1年あったらたいていは商品化できるのだろう。

 ソーランド公爵領での商品開発も当初の目標から3年や4年とかけているものがほとんどない。


 田中哲朗が長らく従事していた、美容関連の分野だとそれがよくわかる。

 試作段階での試作品の一つひとつがもう販売してもいいのではないかと思うくらいに質や効果が高いものが多く、副作用反応も少ないか、ほぼノーリスクである。

 1年目から始めて今は6年目だが、年々研究者や開発者が指数関数的に成長して、勘が鋭くなったり能力が高まってきている、そう思う。

 まあ、それでも命に関わるような薬や身体に直に塗る化粧品の場合はかなり慎重に進めている方である。



 さて、この世界にも薬はあるのだが、製薬部門の人間たちと話をしてみたら、多くの場合効果は怪しく、いわゆるプラシーボ効果のようなものなのではないか、つまり偽薬ではないかと考えている。

 もちろん、プラシーボ効果も一つの効果であり、その全てが否定されるわけではないのは地球でも同じである。病は気からと言われるように、特に心や精神に関わる病気の場合には他の場合に比べて高い効果が発現すると言われている。


 だが、やはりそれだけでは根本的な治療とはいえないし、効果にも限界がある。

 そしておそらくこの世界の薬師や薬剤師も悪気があるわけではなく、代々受け継がれてきている製法を守り、薬を売っているのではないかと思う。


 ただ、狂犬病の件もあったので、まだ密かに効果のある薬の研究が続けられているかもしれず、それについてはアンテナを張って調査を続けている。実際、新薬の研究をしている人間たちがある程度いることもわかっている。おそらくまだ世には出ていないが必要な薬が開発されている可能性は大いにあると思う。

 この世界独自の薬もあるので、本当に偽薬かどうかの判断も慎重にならざるをえない。



 どういう結果になるかはわからないが、ハートには一度妹をアーノルドに診てもらってはどうかと提案をしておいた。アーノルドたちがいきなり解剖なんてことはするわけはないだろうが、他のチームと共同で診てくれると思う。さまざまな病に対する効果的な治療がこれからも進んでいけばよいと思う。



 その後のことであるが、ハートと手合わせしたクリスやカミラの助言や見立てなどから、正式に私の護衛としてハートが務めることになった。ちょっとだけカミラは手厳しかったが、ハートへの二人の評価は概ね悪くなかった。



 バラード学園では毎年の5月に武闘会があって、学生たち同士が勝負をする行事がある。剣術、体術、魔法等、何でもありの勝負である。

 その多くは騎士コースや魔法使いコースの学生なのだが、調査したところ、ハートは毎年参加をして優勝こそ逃していたが、準々決勝までは確実に競り勝ってきていたようだった。騎士コースの学生たちは強制参加のようである。


「結構、良い賞金が出るんですよ」


 ハートの言葉通り、金一封と何らかの賞品が用意されているものであり、その賞品もなかなか入手のしづらいものなので、ハートはこれをも換金していたという。この大会にはカーティスは出なかったが、もし出ていたらどうなっていただろうかと夢想する。


 腐ってもバラード学園、そして騎士コースや魔法使いコースの中にもやはり一定数はそれなりに強者がいるようである。

 なお、ハートが在籍していた3年間の優勝はマース侯爵家のファラであった。男女混合のトーナメント戦である。

 だから、ハートの実力はそれなりにあるといえる。


 私くらいの立場だと、たとえば名もあり身分もある護衛たちや学園の騎士コースのエリートたちが護衛に付くらしいが、バカラ時代からこうだったのだから、別に気にすることはなかった。


 そして、いろいろと悩んだらしいがハートは妹をアーノルドたちに見せることを決断した。早く元気になってほしいと思う。

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