第58話 カトリーナの生誕祭〔3〕

 私の隣にいたカーティスに近づいてきた子がいた。マース侯爵家のファラとベルハルトである。

 そのままカーティスと話すのかと思えば、私の前に来たので声をかけた。


「本日はいらしてくださり、ありがとうございます。ソーランド公爵家当主、バカラ・ソーランドです。今日は楽しまれていらっしゃいますか、ファラ・マース様、ベルハルト・マース様」


 ファラに私が挨拶をすると、待ってましたと言わんばかりかどうかはわからないが、挨拶をしてきた。

 原則として最初は上の立場の者から声をかける、そういうのが社交界ルールらしい。

 同じ立場だったらどちらからでもいいが、今回の世話人の場合はこちらから話しかけるのが普通なのかどうかは、相手の動きを見て決めている。


 こういう知識はバカラの記憶があって、振る舞い方も思っている以上に自然に身体が反応するという不思議なことが起きる。

 たまにクリスと剣の稽古をするのだが、田中哲朗の私は剣術なんてものは習ったことはないが、どういう反応をすればいいのか、どう身体を動かせばいいのか、おそらくバカラの身体の記憶みたいなものが働いている。魔法の使い方がスムーズだったのもそれがある。

 オーク公爵時代はどうも怠けていたらしいが、10代の頃は相当訓練したこともわかったし、語学学習などにもかなり力を入れていたようだ。物覚えがいいのも、バカラの身体だからというのも多分にある。


 それにしても、一つだけ言えるのは、2年前にアレンが公爵の私を名指ししたことも、さらにアレンは公爵家といってもそれは当主でありアレン自体はただの15歳の男でしかないことも考えたら、ありえない対応だったといえる。そして、当主ではなく本人がその婚約破棄宣言をすることはもってのほかである。


「こちらこそこのような素敵な宴に呼ばれましたこと、まことに光栄にございます、ソーランド公爵閣下。お初にお目に掛かります、マース侯爵家ドナン・マースの娘、バラード学園騎士科、ファラ・マースでございます」


 おお、騎士だと思った。

 特に赤い瞳の人間に直視されるというのはなかなか迫力がある。


 続いてベルハルトが挨拶をしてきたが、無理に気を張った感じもなく、明るくて元気の良い挨拶だった。妙に場慣れしている。脱力感というか、緊張というのをしない子なのかもしれない。

 表情が緩んでいるというか、悪く言えば軽佻けいちょう浮薄ふはくというか、どこかへらへらとして軽い印象をこちらに与えてくる。


 ただ、ベルハルトはマーティスやアベル王子とは系統は異なるが、やはり見る者には惹かれるものがあるように思う。他の子よりも背丈もしっかりしているし、確かに鍛えられているように見える。


 悪ガキとかワイルドとは違うが……軟派、ああ、ナンパな子だ。ガールハントだ。クルクル族だ……いやいや、私の悪い癖だ。ベルハルトにはこういう風に振る舞っている事情というものがあるのかもしれない。


 このベルハルトは、バーミヤン公爵家の同い年のローラと婚約をしていると聞いている。

 正直あのバーミヤン公爵家かと思ったが、マース侯爵家もぶれない強さを持っている家だ。バーミヤン公爵家はそういう家との結びつきを考えていたのだろう。


 なんとなく公爵閣下という呼ばれ方はむずがゆいので、バカラ様でいいよと言った。私もファラ嬢、ベルハルト殿という言い方にする。

 そういえば、カーティスとファラの関係はあまり聞いたことがない。面識はあるようだ。


「二人は、顔見知りで? 学園内でも会ったことが?」

「はい、カーティス様にはいろいろと助けられています」

「ほう……たとえば?」


 それを言うなとでもいうように、カーティスが少し慌てていた。

 しかし、かまわずファラは答えた。


 ファラが言ったのは、例の学園内で一般学生が脅されたり嫌がらせをされたりしているのを止めている件だった。すでにロータスから報告を受けているのでそれは知っている。


 どうやら、ファラ自身もその義憤からそういうのを見かけたら食い止めているようで、カーティスがわりと率先して処理をしているので、だからいろいろと助けられているということのようだった。

 中にはカーティスと同じように騎士コースの学生が助けたり、身分差に囚われずに逆にやり返すという庶民の力を見せつける気骨のある学生もいるようだ。

 しかし、それはあの腐った学園の連中に報復される可能性が高くて大変怖いことだろうと思うが、そういう学生がいるというのは学園に残されている侠気きょうきとか勇気とか正義というものなのだろう。今の私には何もできないが、この学園の空気は変えてやりたいともどかしく思う。


 マース家は侯爵家なのでそこそこの相手でもひるむことはないようだ。喧嘩も強そうである。

 それに今年は最高学年なのでさらに強気に攻めていくのかもしれない。美人ではっきりした顔立ちだから、こういう子に睨まれたらかなり怖い気がする。


 火の精霊と契約している彼女は、やはり火の魔法で人を傷つけるということに我慢ができない様子である。


「おそらくカーティス様はそのことはおっしゃっていないのでしょうが、私としてはもっと大々的に言ってもいいくらいに思っています」

「はっはっは、だそうだ、カーティス」


 ついにカーティスは溜息をついた。

 ファラはまるで自分のことのように憤りを感じているのかもしれない。恥じることがないのだから、謙虚な気持ちを持つのがそもそもおかしいのである、というように。

 そういえば、カーティスを表立って褒めたことは少ないなと思い至る。


「カーティス、力の強い者が弱い者を一方的になぶるような光景を目にしたら、自らの信念に従って止めなさい。その正しさを貫くことをこれからもやっていくがいい。そういう判断をし、そしてそれを実際にできる息子を持って私は果報者だ」

「父上……」


 二人の時に褒める場合と、家族以外の人間がいる場所で褒める場合とでは本人の受け取り方が異なる。これは叱る時もそうである。もちろん、婚約破棄もそうである。だからこそ、あのような婚約破棄は決して許されることではない。


 私は二人の時には褒めたことはあったが、ファラやベルハルトのような子たちがいる場所では褒めた記憶があまりなかった。

 だから、そういう状況に慣れていないのか、久しぶりにまごついているカーティスを見た気がした。

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