第33話 一年の成果〔3〕

 学校についてはソーランド公爵家が主体になって改革を行っていることは公然の事実であるので、私も学校に行って見学することがあった。「あ、オークだ」などと私には聞こえないと子どもたちは思っているのだろうが、不思議と悪口というのは聞こえてくるものだ。


 その際にいわば校長先生のように訓話をすることがあった。また、日本でもよくあるおとぎ話や昔話、勧善懲悪物をリメイクして話をすることもある。


 人や物事を正義と悪とに、綺麗に二分できるほど世界は単純ではないが、どういうものが悪になりうるのか、どういう行動が正義だと言えるのか、そのことを考えるきっかけがあってもいいだろう。

 不正は許さない、人をおとしめない、大勢で一人をいじめない、そんな話をした。


 他にも、「私はオーク公爵だ」と自虐的に言うと、その瞬間にどっと笑いが起こる。子どもの反応は早い。


 しかし、と続ける。


 ハゲている人にハゲ、太っている人をデブと呼ぶのはそれは事実の指摘である。それはそうだと思う。


 子どもたちのことはさておき、一般に幼稚な思考の持ち主は、本人の努力ではどうしようもない事実を残酷に突きつけて相手が傷つくのを見て自らの快楽とする。

 この世に生まれ落ちてから瞳の色や髪の毛の色や質はある程度定まっているように、それはもって生まれたものである。

 したがって、事実の指摘は本来それ以上でもそれ以下でもない。


 問題は「ハゲ」や「デブ」という言葉自体にすでに社会で流通している否定的な意味合いがあり、そうと知りつつ使うことである。それはもはや事実の指摘に留まらない。

 「オーク」という言葉にはどのような意味合いがあるだろうか、などと話をする。


 真剣な話をすると子どもたちにもしんどいだろう。

 だから、最後には「このオークの身体がどうなるか、絶対見てくれよな!」と言うと、緊張が緩んで、笑っていいのか笑ってはいけないのかよくわからないけど、最終的には笑い出して、一人が笑うと雨後うごたけのこのようにあちこちで笑いが起きてくる。

 話の内容も大切だが、終わり方もそれと同等に配慮が必要だろうと思う。


 私のことをよく知らない子なんかは、私を見かけると「オークさん」と呼び、中には「オクサンオクサン」と呼ぶ子がいる。無邪気なものである。私はオクサン・ソーランドだと思っているのだろう。

 この言葉の響きにはすでに「オーク」が持つ意味合いはほとんど感じられないが、いつか自分が使っていた言葉の由来に想像を働かせていってほしいと思う。


 ところで、デブというのは本人の努力不足、だから軽蔑する、という考え方は確かに日本にもあった。しかし、持病のために薬の服用で太ってしまう人たちもいる。それは努力不足なのだろうか?


 それにしてもバカラはどうしてこんな身体になってしまったのだろう。それについては誰も知らない。


 他にも子どもたちには、「いかり」という感情は駄目ではない、とも言った。

 手前味噌てまえみそというか、自分を棚上げしているので口幅くちはばったいけれど、人は何に対して怒るのか、それは自分の小さなメンツを保つためなのか、社会の正義のためなのか、愛する人を傷つけられたからなのか、いろいろとある。


 人の真の姿はその人が車のハンドルを握る時、泥酔した時、そして何に怒りを覚えるか、許しがたいものに直面したその態度を示す時に垣間見かいまみえると言われることがある。


 目の前の具体的な相手ではなく、抽象的な相手、そして抽象的な怒りの感情、つまりは人々を理不尽に追い込んでいくようなあらゆる物、人、制度、歴史を憎んで、改善していこうという力の源が怒りである。そういう怒りはとても大切なことだと思う。


 小さな子が井戸に落ちそうになったら「危ない」と思って助けたい心を持つものだが、みながみなそうとは限らない。

 しかし、多くの人はある行動をどう考えるのか、つまり「普通」とはどういうものなのか、更に言えば「常識」とは何かについて話をする。

 もちろん常識が非常識である文脈はあるし、常識が邪魔をすることもある。

 それでも、そもそも常識とは何かをある程度理解しておかないと、人の行動の原理の説明がつかないし、話し合うことだって容易ではない。


 なかなか子どもたちに使う言葉は難しく、反応も悪いことが多い。

 まだまだ講師の先生たちの話し方に比べると稚拙である。でも、自分の言葉でいつの日にかわかってもらえるように伝えたいと思う。

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