第28話 学校を作ろう〔2〕

 講師の確保はカレン先生と相談しながら、各地にいる教育者を捜し求めて、なんとか無理のない体勢を作り上げることができた。

 奇妙なことだが、黒板もチョークもこの世界には存在している。


 時間を午前と午後の組に分かれるので、一校に200人が流れ込むということはない。

 それでも100人という子どもたちが来る。一人の講師が見るわけではない。

 一人の講師が見るのはだいたい20~30人程度が限界だと思う。それが4~5つの教室で行われるわけである。


 問題は教科書である。

 この世界には本もあって新聞もある。

 ただ、一般的には教科書はないらしい。カレン先生のような人たちは自分でオリジナルテキストを作る人がいるらしいが、それも数が少ない。


 教科書がなければなかなか不都合なこともあるだろう。

 だから、講師たちに会議を持たせて、小学校ではどのような内容を教えるのか、それをどういう順番で教えるのか、図やイラストが必要というならどのようなものが適切か、それらを決定させて、最終的に教科書を作ることができた。


 このように教育内容を共有するというのは必要なことだと思う。

 これは子どもたちのためでもあるし、講師たちのことでもある。

 たとえば、突然行けなくなる、休むことがあった場合、独自の授業をしていたら誰も替わりが務まらない。誰かが欠けても、そこを補えるようなシステムにしなければ、みんなが不幸になってしまう。


 あるいは、教え方のポイントや子どもたちがしばしばつまずく所、何を重要だと思うのか、それはなぜそう言えるのか、そのあたりのことも共有できるのが利点である。

 講師と一括りにしているが、それぞれの固有の知識や体験というのは異なる。互いの教え方を見せ合うという機会すら、おそらくこの世界にはないんじゃないかと思う。そういう意味で良い刺激になればと思う。一人で抱えてきた悩みもきっと一つくらいあるだろう。


 私は気づけなかったが、講師たちの話で問題になったことがあって、たとえば6歳と11歳では開きがある。

 よって、小学校といってもせめて2つに分けた方がいいということで、低学年と高学年の二つに分けることになった。

 低学年の場合は講師は2人以上にした。きめ細かい教育は必要だろう。

 さすが数多くの子どもたちを教えてきた人たちだとこちらが恥じ入る気持ちである。


 今年度については講師の確保だけでも最低でも50人くらいは必要となるが、多いに越したことはない。将来的には学校数を増やすのだから、年間を通じて講師は探し求めていった。


 また、給食センターも作ることにした。

 遠くから通ってきて、昼飯も抜きで授業を受けるというのもかわいそうなことだ。

 2カ所ないし3カ所設置して、そこから昼食時に学校に送られて、各自で配膳をして昼食を無料で食べられるようにしたのだった。

 もちろん、給食狙いでやってくる子がいたっていい。


 ここには、料理長のオーランに頼んでいくつか開発をしていた新しい料理を試作として出す狙いもある。オーランに鍛えられた料理人たちを放出する。

 子どもの舌は正直だ。その反応をまずは知りたい。


 それに給食にはバランスの良い料理とは何かというのを考える食育の意味もある。栄養の偏りは健康を左右する。あるいは、今食べているものはどこの地域で作られているのか、そんなことだって給食を教材として考えることができるわけだ。

 なお、大量生産している石けんもこの小学校で初めて使うことになる。


 学業だけではなく、手洗いやうがいなどの意味も各学校の講師には配慮するようにお願いした。これまでの生活習慣を子どもたちを通じて変えていく必要もあるだろう。


 通常、教育というのはカリキュラムと呼ばれる教育課程に沿って行われる。読み書きや算盤、国語や理科というのがこれにあたる。


 一方で、隠れたカリキュラムと呼ばれるものも学校には存在するようだ。

 規範意識や行動規範、振る舞い方や社会的な常識など、生活指導とも関わってくる。

 あいさつ、感謝の言葉、手洗い、うがい、ゴミがあったら拾うなど、こういう一つひとつが自然に子どもたちに内面化されていくというわけである。


 この話をある研修で聞いた時にはそういうことまで考えているのかと思ったが、確かに自分が今行っている習慣というものの多くは小学生の時に学んだような気がする。

 この「ような気がする」というのが、「学んだ。」と明確に断定できないところに、この隠れたカリキュラムの力と恐ろしさがあるのだと思う。


 逆に考えれば、この隠れたカリキュラムを内面化しなかった子がどういう末路になるのかも容易に想像ができる。


 教育という営みは本当にいろいろな配慮がなければ成り立たないのだと思ったものだった。当時お世話になった先生たちもそんなことを考えていたのかと思うと、悪ガキで申し訳ないと謝りたい気持ちである。

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