第7話 臥薪嘗胆

 そして、話は現在に戻る。


 案の定、娘の言葉通りにパーティーでアリーシャはアレンから婚約破棄を宣言された。


(娘が目の前で婚約破棄をされるというのは、こんな気持ちなのか!!)


 怒りに狂いそうになったのは、それは私、田中哲朗がアリーシャに娘を重ねたからなのか、それとも私の中にあるバカラの記憶がそうさせているのか、それはわからない。

 しかし、どちらにせよ、この怒りは本物である。

 田中哲朗の人生の中でも、これほどまでのむごい仕打ちを目の当たりにしたことなどなかった。


 アレンは隣に立っているバーバラという女の子と交際をしているとまでは言っていない。

 相手の不義を指摘するのだ、そんなことはないと言いたいのかもしれないが、じゃあなぜアレンの横に恋人のように立っていたのか。そしてなぜ周りの者はアレンが自分のことは棚上げしていると気づかないのか。指摘しないのか。


 その訴えの内容もアリーシャが他の男と密会していることをとがめているようだった。それは婚約をしてから続いてきたという。ここには暗に私も黙認していたとなじる響きがあった。

 まだ9歳のアリーシャがそんな不貞を働くはずがないし、そんな男も存在しない。

 しかし、それを今ここで示すこともできないし、示したとしてもそれが認められるとも思えない空気がある。

 だから、この場は一刻も早く退散する方がいいと思った。


 9歳のアリーシャは会場から出る時にも毅然きぜんとしていた。立ち居振る舞いは感情に左右されず洗練されていた。

 その姿は目の前のアレンやバーバラと比較するまでもない。もちろんあのキリルというクソガキ王子もだ。


 田中哲朗の身からすれば、アリーシャは孫のような年齢の子だと言っても間違いではない。

 そんな子が帰りの馬車に乗り込んだ後に、一言「お父様」とニコッと笑い、親を安心させるために短い言葉を発し、その途中で肩が震えてきたのを抑えきれずに私に見られまいと顔をさりげなくそらして、それでも殊勝に振る舞って「申し訳ございません」と言い終えた。

 これが9歳の子だというのか。


 いったい、何の罪があってこの子がこうまで傷つかねばならないのか。

 こんな理不尽なことはない。何が道化だ、何が踏み台だ。こんな無道が許されていいはずがない。

 ガバガバな設定の隙間にこんな哀れな子が生まれるというのであれば、その設定を逆手に取って、是非とも幸せにしてやらなければこちらの気も晴れない。

 そして、必ずやアリーシャを蔑み、傷つけた輩を一人残らず逃がしはしない。

 私の中で田中哲朗とバカラが手をカッチリと組んだかのようである。


 しかし、今はまずは娘を落ち着かせることだ。傷ついているのは、間違いなくこの子なのだから。


「アリーシャ、今申し訳ないと言ったが、お前は何も悪くない。お前のどこにも非はない。それは私にはわかる。だから、自分に非があるようなことを言うのはやめなさい。誰かをかばって自分で自分を偽るようなことはしなくていいんだ」


 その言葉をどう受け取ったかは定かではない。

 自宅に着いてから、そのまま自室に戻っていくアリーシャの姿がせつなかった。

 アリーシャは少なくとも私の前では最後まで涙ひとつ流さなかった。


「ロータス」


 はい、と言うと私は自室に呼んで、これからのことを話し合った。


 この子が受けた苦しみをこのままにするつもりはない。

 思い出すとまた胸の奥がムカムカしてくる。怒りに身体が震えてくる。

 親の立場としても、公爵の立場としても、田中哲朗という第三者の立場としても、それは許せないことだ。

 しかし、一方的な報復を見せてしまっては相手の思うつぼだ。慎重に、しかし確実に目にものを見せてやらなければいけない。


 覚えている限り、川上さんと娘の話を書き出していった。


 どうしてあの時に真剣に聞いていなかったのかと今になって後悔したが、まだ忘れていない有益な情報がいくつかあるはずだ。

 一つひとつを時系列に並べ、これから起きていくことや対策を立てていく。ただ、こちらの方はほとんど忘れてしまった。ヒロインの名前すら忘れてしまっている。


 幸いにして、ヒロインがこの世界にもたらした知識についてはかなりの部分覚えている。

 この知識は必ずやこの国にとっては、いや世界にとっては必要となる貴重なものだ。


 ヒロインには悪いと思うが、これを利用せずにはいられない。同じ地球人のよしみとして許してほしい。

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