第4話 バカラ公爵という人間

 メガネを外してベッドライトを消して横になる。

 そして、目が覚めたらまったく違うベッドに横になっていた。


「なんだぁ!」

 

 ばっと起き上がると、頭の中に渾沌としたものがうごめいている。

 田中哲朗としての記憶と、別の人間との記憶がやがて一つに折り合いをつけるように混ざり合っていく。

 膨大な情報量と置換に1時間は頭を抱えていたが、夜が明ける頃にはそれが鎮まった。ただ、この人間の全てがわかったわけじゃない感覚がある。


「私はバカラ、いや田中哲朗……のはずだが……この記憶は……私の……ものだ」


 起き上がって姿見鏡の前に立つ。ああ、記憶の通りの姿だ。


 私はバカラ・ソーランド公爵、33歳。

 不運にも両親は馬車で崖から転落して命を落とし、若くして私は今の領地と地位を受け継いだ。

 妻は娘アリーシャを生んでから亡くなり、後妻をとることもなく過ごしていた。

 公爵家には男子が必要だということで、アリーシャよりも数歳上の子を養子にした。カーティスは15歳、アリーシャは9歳である。これも記憶と違わない。


「ここは、バラード王国、だよな? まさかあのゲームか……」


 川上さんと娘が言っていた悪役令嬢はアリーシャ・ソーランドだったはずだ。

 だとしたら、私がゲームの中に入ったというのか?

 それが事実であるかのように、二人が話していた物語の内容とバカラの記憶が一致する。


 田中哲朗はバカラの見た夢だ、その可能性も考えたが、田中哲朗の50年以上の人生がかくもはかない夢だと断定することができない。

 自分の中にあるバカラ公爵の姿を思い出してみる。

 

 田中哲朗の側からバカラを評価すると、その地位を利用してきたというよりは、地位に安住しているだけの人間である。

 新たな事業に手をつけることもなく、親やその親の事業をそのまま引き継いでいるだけで、現場まかせで総責任者という立場をとっていなかった。

 ただ、その人選には慎重だった。

 要するに、お飾りとでもいえる人間で、保守的にして自ら動かない怠惰たいだな人間である。

 まだはっきりとしない記憶もあるが、外部との関わりはあまりなかったようだ。


「しかもこの身体だ。これは大変なことだぞ」


 怠惰なのは自分の身体に対しても言えて、鏡に映る33歳の男は服がはち切れそうになるほどでっぷりとしている腹が目立ち、腕も脚も同じである。

 そして社交で一番重要な顔にもタルンタルンでタプタプの脂肪が豊満に付き、目は頬の肉で自然と細目になり、髪にも潤いがなく、微妙にもち肌くらいが褒められた点である。ただ、その唯一の点も滑稽こっけいさを生み出すに過ぎない。


 そういえば、陰で「オーク公爵」と呼ばれている報告を受けていた。

 それも無理のない話だ。この容姿ならそうだと思う。無駄に背が高いのも相手に恐怖心を与えるな。清潔さが微塵もない。こんなの営業では一発でアウトだ。


 娘のアリーシャからもそのことはやんわりと注意され、息子のカーティスは言わないものの醜いものを見る目で私を見ていたことを思い出す。


 これが夢なら醒めてほしいが、起きて数時間経ってもその兆しはない。もしこれが現実だというのなら、ここで生きていかなければならない。

 ぷよぷよとした腹の肉をいまいましくつまむと、先は長そうだと思った。

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