6-2話

 倫子が比呂彦と出会ったのは3年前、海で遭難した夫の通夜だった。それは彼の田舎の大きな寺で行われた。阿弥陀如来あみだにょらいの前に横たわるはずの遺体はなく、太平洋を背に微笑む夫の遺影と潮に濡れてしわくちゃになったノートが、彼がそこで生きた証だった。


 倫子は泣かず、通夜の儀式を終えた。泣けなかったのは遺体がなかったからか、あるいは、義理の両親や親族がずらりと並んでいるからか、あるいは、子供たちを不安にさせたくなかったからか……。いずれにしても、悲しみを感じることはなかったし、涙もこぼれなかった。そんな自分がとても冷たい人間だと思った。


 儀式が済んで参列者が帰った後、残ったのは倫子と年老いた義理の両親。子供たちは本堂が不気味だと言って父親の実家に帰った。そこには従弟がいるから気晴らしにもなるだろう、と倫子は許した。


 深夜のことだ。息子を失った悲しみと儀式に疲れた義理の両親は座布団を並べて眠ってしまっていた。


 微笑む遺影と語り合っていると、どこか遠くで柱時計が、ボーン・ボーン、と鳴った。


 ――ボーン・ボーン・ボーン・ボーン……、一つ二つとその数を数えたのは偶然だった。それが鳴りやんだ時、自分は疲れている、と思った。数えた数が13だったからだ。


 13回? そんなことがあるはずない。……自分の中の理性が言った。目の前で線香の煙が揺らいだ。それで誰かが入って来たのだとわかった。


 振り返ると、そこに見覚えのある顔があった。爆発したようなもじゃもじゃの白い髪。くりくりとした二つの瞳。鼻の下にタワシのような髭。科学者がはおる白衣の腹は膨らんでいて中年太りだとわかる。


「アインシュタイン博士?」


 倫子の身体は、彼を見つめたまま固まった。


Halloやあ


 彼はドイツ語で応じ、赤い舌をぺろりと出した。それから祭壇で微笑む死者をいたむように「残念だった」と日本語で言った。


「博士……」


 声と共に涙がこぼれた。それまで耐えていたせきが切れたようだった。それに戸惑ったのか、アインシュタイン博士に似た老人の顔がゆがんだ。


「こんな時に申し訳ないが……。おそらく数年のうちにオキナガタラシヒメが復活するじゃろう。その時、世界は世紀末を迎える……」


「エッ?」


 涙がピタリと止まった。彼が何を話しているのか理解できない。話しているのは日本語なのに……。


「オキナ……、なんです?」


「オキナガタラシヒメじゃよ」


「オキナガタラシヒメ……。それは名前ですか?」


「宗像博士、君は日本人じゃろう? オキナガタラシヒメを知らないのか……」彼が肩を落とした。「……神功皇后じゃよ」

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