4-1話 此花姫香 ――縮まらない距離――

 姫香は千葉県の水害被災地にいた。4日前の台風で河川が氾濫し、数百戸の家が床上浸水の被害にあった。その復旧作業にボランティアサークル〝まごころ〟として参加したのだ。部長の純子を筆頭に6名のメンバーが同じ家の清掃作業に入っていた。


 一度濁流に沈んだ住宅は自然の、そう表現すると聞こえはいいが、ヘドロと腐葉土の臭いがした。浮かぶような家具や日用品は散在し、そうでない物は泥におおわれている。それらを建物の外に搬出した後、室内を洗浄する必要があった。


 目の前を泥だらけのたたみを抱えた比呂彦が外に出ていく。濡れた畳を運ぶのは体育会系の男子でも楽ではない。それを彼は、熊手のような道具を畳裏に突きさし、それを取手のようにしてひとりで悠々と運んでいた。


「すごい……」


 柱にへばりついた泥を落とす手を止め、女性のような華奢きゃしゃな彼の背中を目だけで追った。


「本当だね。人は見かけによらない」


 隣の柱を洗っていた純子が、姫香の視線を追っていた。


「部長、住吉君って特待生だって知ってました?」


「エッ、そうなの?」


 彼女も比呂彦のことをよく知らないようだった。


「先月のデモの時、彼が下宿している家の人に教えてもらったんです」


「エッ、下宿に行ったの?」


 彼女が目を丸くした。


「いえ、そうじゃなくて、下宿先の息子がデモに来ていたんです。そこで少し……」


 途中で抜け出したことが後ろめたくて言葉を濁した。


「なるほどねぇ」


 姫香を見る彼女の視線が笑っていた。


「なんですか?」


「ヒメが年下好きとは知らなかったわ。それで山元やまもと君のアプローチを拒んだのね」


 彼女がいう山元は、ミスター東都といわれるほどのイケメン男子だ。純子と同じゼミということもあって親しくなり、交際してほしいと言われたが断っていた。


「そういうわけじゃ……。私、男性一般が苦手なんです」


「まさか?」


 彼女が丸くした目を瞬かせる。


「あ、いえ、だからといって同性愛というのでもないんです」


 声を潜めた。


「いいのよ、ヒメ。私なら口が堅いから、正直に話しなさい」


 そんな話をしていると背後の大人から「手が止まっているぞ」と注意された。


「すみません!」


 大きな声で謝って作業を再開する。


「無理をしないでくださいね。暑いですから」


 その家の持ち主が、恐縮したように言った。

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