第9話 空中戦

「くっ、正気かこの女! 飛べないくせに!!」


 漆黒の夜闇の中、黒い巨大なカラスが空を舞う。


 その翼幅は5メートル余りもあり、体も人間より大きい。伝説のロック鳥かというような巨躯である。


 そして信じがたいことにその脚に絡められたザイル、その先にさらに人間がぶら下がっているのだ。もし落下すれば転落死は免れない。


 右へ左へ、激しく蛇行しながらオオガラスは飛び回る。それでも捕まっている女が振り落とされる気配はない。しっかりとザイルの端を腕に巻き付け、両手でがっしりと掴んでいる。口には敵にとどめを刺すべくサバイバルナイフを噛み締めて。


 驚くべきことにこの女は偶然のいたずらによって凶鳥に巻き上げられたのではない。明確に殺意を持って。逃がさぬという覚悟を持って。この悪魔を追い詰めている最中なのだ。


 年が明けて数ヶ月経ったこの時期。晴丘市は夜でも気温が零下を下回ることはないものの、しかしそれでも上空の空気は刺すように冷たく、切りつけるように厳しい。


 もしやすると彼女の身を包んでいる魔法少女の衣装がそういった厳しい雰囲気を跳ね除ける「魔力」のような物を備えているのかもしれないが、それでも凶鳥「フローキ」自身、この光景が信じられなかった。


 地上から離れてしまえば、追ってくるとは思っていなかった。ここは安全圏であると思っていた。仮に飛行能力や狙撃能力を備えた魔法少女がいたとすれば、それにさえ気を付けていればいいと。


 振り落とすことは不可能だと考えたフローキは、近くにあった手ごろな高層ビルに向かって飛ぶ。


 あわや壁面に真っ向から衝突するかと思われるほどの位置で全力で翼をはばたかせ、急上昇。慣性力に任せてメイをビルに叩きつけようとしたのだが。


 しかしメイはこれにも落ち着いて対処。両足を前に出して壁面に着地。


 だが当然その両足の力だけで衝突の威力を殺せるはずがない。そこまで読んでのフローキの作戦だったのだが。


 彼女は壁面に対してつま先からぶつけ、横倒しになりながら脛を当てる。そこから尻、背中、肩の順に転がるように接地して威力を殺す。


 垂直にそそり立つビルの壁面に対して五接地転回法を敢行してその威力を殺したのだ。


 さらにそのまま回転して立ち上がり、というのには語弊があるが、垂直にビルの壁面を走る、はしる。


「なにっ!!」

「なんだあっ!?」


 社会人にとってはまだそれほど遅い時間ではない。ビルの中にいて残業していた者達は確かに見たのだ。ビルの外に飛ぶ巨大な黒い影を。そしてそれを追うようにビルの壁面を駆け抜け、窓ガラスを踏み割り進む、魔法少女の姿を。


「化け物かこの女!!」


 さすがに距離を詰めるほどの速度ではないものの、フローキはその異様な身体能力の高さと対応能力の高さ、そして何より覚悟の深さに恐怖を覚えた。


「くそっ! この俺が! 四天王のこの俺が! しかも空中戦で追い詰められるなど!!」


 ぐい、とザイルが引かれる。


 恐怖。


 確かに、自分よりもはるかに小さいこの女に、言いようもない恐怖を覚えたのだ。少しずつザイルを通してのメイと自分の距離が縮まっている気がする。その恐怖に耐えることができずにフローキは短慮を起こした。


「着地の出来ない場所なら……ッ!!」


 次なる策。フローキは少し離れた場所にあった、まだ鉄骨だけの建築途中のビルに突き進んだ。


 たしかに、壁面がまだない鉄骨だけの建物ならば、することは出来ない。上手く鉄骨に叩きつけることができれば一撃での激突死も狙える。


 人は苦しい時、それが希望的観測であっても安易な決着を求めたがる。そこへちょうど建築途中のビルを見つけたのだ。フローキはこれぞ勝機とばかりにそこへメイを叩きつけようとした。


「所詮鳥頭ね」


 しかしメイはザイルの長さを調節して鉄骨を避ける。さらにフローキの方はというと、ザイルが鉄骨に止められて、今度はさっきのように急上昇で逃げることができず、かろうじて鉄骨に着地することで自身が叩きつけられるのを避けた。


 そう、着地してしまったのだ。その両脚で。


「ご苦労様」


 ビルの中に放り込まれたはずの女の声。


 メイは鉄骨を支点としてザイルを掴んだまま円運動、回転して恐るべき速度でフローキのいる場所に突っ込んできたのだ。


 そして、フローキの唯一の武器、かぎ爪はまだビルにしたまま。その右手にはナイフが握られている。


 その喉笛にナイフが突き立てられた。


「かっ……」


 フローキの口から鮮血が吹き出る。


 結果として見ればメイの圧勝。しかし全体として見れば薄氷を踏む様な戦いであった。


 もしビルへの着地が失敗していたら。鉄骨に叩きつけられていたら。フローキが短慮を起こさずにこの寒空の中持久戦に持ち込んでいたら。もちろんその場合の策も考えていたかもしれないし、どんな状況でも対応できるような能力を持っているのかもしれないが、しかしそれでも無茶な戦い方だったと言える。今この場で、ここまで執拗に追わなければならないほどの理由があったのか。


 体を支えていたフローキの足の力が弱まり、ぐらりと体が揺れる。メイは一歩後ろに飛んで鉄骨の上に着地した。


「なぜそこまで……危険を冒して……」


 フローキの今際の際の言葉にメイはふん、と鼻を鳴らす。


「あんたみたいな化け物を一分一秒でも放置していれば、それだけ犠牲になる人間が一人でも二人でも増えるでしょうが」



――――――――――――――――



「とにかく、メイ先生は飛行能力もないのに一人で四天王を倒しに行っちゃったのよ。助けに行かなきゃ。見殺しにするつもり?」


「もう手遅れよ。ルビィの探知能力で四天王の位置を追えるかもしれないけど、今頃とっくに転落死よ」


 アスカが焦燥感にはやる表情で説得するが、しかしマリエの方はもう戦意が無いように見える。実際他の二人も空中戦という彼我の戦力差の明かな状況でまだメイが生存しているとは思えないのであったが。


「同じ魔法少女として恥ずかしいと思わないの? メイ先生は圧倒的不利な状況でも戦いを挑んだっていうのに! せめて何か助けになれば……」


「『同じ魔法少女』……? アレが?」


 実際何もかもが違い過ぎる。一方は魔法少女、そしてもう一方は公園でスト□ングゼロを一気飲みし、婚活の八つ当たりに四天王をボコるアラサー女。少なくとも「少女」ではない。


 マリエは小さくため息をついてから辺りを見回し、静かな声で話し始める。


「それよりこっちの心配をした方がいいんじゃないの?」


 「心配」とはどういうことか。敵の気配はしない。ルビィの鋭敏な感覚もそれを捉えてはいないようではあるが、マリエにはに足るものがあったのだ。


「敵がこの期に及んで戦力の逐次投入みたいなアホをやらかすやつらならいいんだけど?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る