第60話


 秋に訪れる大きな学校行事といえば文化祭だろう。

 うちの学校もそんな時期がやってきた。


 ホームルームではクラスの催し物をどうするかという議題で盛り上がっている。


 演劇をしたいと言う生徒がいれば、ベタにメイド喫茶を提案する男子もいる。

 それに対抗しようと執事喫茶がいいと女子が手を挙げればお化け屋敷がいいという声も上がる。


 そんな話し合いを、俺はただぼーっと眺めているだけだった。


 俺一人の意見が採用されるはずもないし、そもそもしたいことなんて何もない。

 なにになろうとも裏方になることは確定だし、面倒事を押し付けられることに変わりはない。


 だから、なんでもいい。


 文化祭という一つのイベントを最高の思い出として記憶に残せるのは学校を心の底から楽しんでいるような奴であり、俺のようにそうでない生徒は言っていないだけでだいたいこんなモチベーションだ。


 うちにはアイドルの久那小春がいる。


 なににしても話題になることは間違いないだろう。

 メイド喫茶なんてしようものならばお客さんは殺到するだろうな。そうなると久那さんへの負担が大きすぎるだろうけど。


 まあ。


 彼女自身が楽しんでいるようなので、俺がとやかく言うことでもない。


「あたし、あんまり文化祭とかに参加したことないから楽しみだなあ」


 ホームルームが終わり、放課後になった。


 久那さんと俺は従兄妹という噂が広まったのか、こうして話していても絡まれなくなったのは大きい。


 けれど、その代わりに失ったものも多いような気はするが。


「仕事で参加できなかったとか?」


「まあ、そんな感じかな」


「今回もそうなるのでは?」


 彼女たちの人気は上がっていく一方だ。昨年より今年、今年より来年という感じで。


「今年は大丈夫っぽいんだよね。そもそもを言うと、一応学生ということで学業を優先させてもらっているわけだし」


 そんなことを言いながらこれまで参加できていなかったのだろうに。

 彼女が参加しようがしまいが、俺に大きな影響はないんだけど。


「久那さん、ちょっといい?」


 俺と話している久那さんに話しかけてきたのはクラス委員であり文化祭実行委員も兼任しているっぽい。


 黒縁の大きな眼鏡を掛けたおさげ髪の女子生徒だ。見るからに真面目な雰囲気をしている。


 名前は知らない。


「どうしたの?」


「文化祭のことでちょっと相談があって」


 そんな感じで呼び出された久那さんを見送り、俺は再び一人になる。特にすることもないので帰り支度を始めた。


 校内には生徒がまだまだ残っている。

 部活動に勤しむ生徒もいれば、ただ友達と駄弁っているだけの生徒もいる。

 放課後の時間の使い方は人それぞれであるが、文化祭が近づくにつれて居残る生徒が増えていくんだろうな。


 そんなことを思うと同時に、その景気の一部に自分がなれないことを何となく察する。


 学校を出て一人歩いているとポケットの中に入れてあったスマホが震える。


 震え続けるところから考えるに着信だろう。

 こんな時間に電話がかかってくるのは珍しいことだ。親か、あるいは最近ならば詩乃か。


 スマホの画面を確認すると予想通り相手は詩乃だった。


「もしもし?」


『あ、ハルくんですか? はろはろー、あなたの彼女の詩乃ですよー?』


 酔ってんのかな、と心配になるようなテンションだった。

 しかし彼女はまだお酒の飲める年齢ではないのでこれはシラフである。


「どうしたの、そのテンション」


『可愛いかなと思いまして』


「可愛いけれども」


『あ、ほんとですか? じゃあこれからも時々これでいきますね?』


「いや、それは遠慮しとく」


 電話に出た瞬間にあんなハイテンションぶつけられると心臓に悪い。


「そんなことより」


『そ、そんなことよりて……』


 がくりとうなだれる姿が目に浮かぶような声のトーンで詩乃が呟く。


「こんな時間にどうした?」


『ああ、いえ。仕事が終わって時間があったので声を聞きたくなりまして。迷惑でしたか?』


「迷惑だ、なんて言わないの分かっててそんなこと訊いてくるなよ」


『うへへ。ハルくんは優しいですしね。でもほんとに大丈夫でしたか?』


「ああ。ちょうど家に帰ってる最中だったから」


 詩乃はよくこうして隙間時間に電話をくれる。

 アイドルだし多忙だろうということもあり、こちらからメールをすることはあっても電話をすることはあまりない。

 やはり遠慮してしまうのだ。


 だから、こうして電話をくれるのは嬉しい限りだ。

 俺だって、できることなら声を聞きたいしいっぱい話したい。


『そういえばハルくんの学校ももうすぐ文化祭なのでは?』


「もうすぐって言ってもまだ先だけどな。ちょうど今日、その話題がホームルームで上がったよ」


『いいですよね、文化祭。わたしにはもう訪れることのない青春の一ページですよ』


「詩乃は文化祭でいい思い出あるのか?」


 どちらかと言うと詩乃も俺寄りの人種だったような気がするのだが、であれば文化祭など到底楽しめたものじゃないはずだ。


『ないですよ。基本的に誰もいない教室でゲームしてたので』


 予想通りの答えが返ってくる。

 そんなド陰キャがどうしてアイドルになったのだろうか。

 謎である。


「そのわりには発言がポジティブだな」


『憧れはありますので』


 分かるけども。

 創作の中の文化祭はどれも楽しそうだ。高校生になるまでは俺もあんな感じで楽しい時間を過ごせるものだと思っていた。


 実際はこれだ。


『ハルくんと文化祭を回れたらきっと楽しいでしょうね』


「……そうだな。まあ、そんなことしたら周りが騒ぎになるだろうけど」


 詩乃と二人で文化祭を回れたら確かに楽しくなるだろう。

 憂鬱でしかない文化祭というイベントも少しは楽しみになる。


 が、それは夢物語だ。


 実際に詩乃と二人並んで文化祭を楽しもうものなら一瞬にしてファンに拉致られリンチに遭うだろう。


 写真でも撮られればニュースにもなる。


 それは詩乃のアイドル活動に悪影響を与えるということだ。俺はそんなことを望んではいない。


『残念ですね』


「まあ、仕方ないよ。アイドルと付き合うっていうのはきっとこういうことなんだろうし。俺はこうして隙間時間に電話できるだけでも楽しいからさ」


『ハルくん……。わたしもです! もっともっと時間を見つけてお電話しますね!』


 それからも時間が許す限り、俺たちは些細な話題で盛り上がり続けた。

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