第59話


 男女の恋愛物語だった。

 男は教師、女は男の元生徒。

 在籍中に教師に猛アプローチをしかけ、女の熱意に負けた教師は周りには秘密にして付き合うことにした。


 教師と生徒。

 それはある種、禁断の恋愛と言えるだろう。


 もちろん、そのまま何事もなく二人の幸せな時間が続くはずもなく、様々な困難が二人を待ち受けていた。

 それでも愛の力で全てを乗り越え、最終的には幸せな未来を掴み取るのだが。


 本編が終わり、ふわっと劇場の明かりが灯るとざわざわと人が出口の方へと向かっていく。

 俺たちは念のために人の数が少なくなるまで席で待っていた。


「感動でしたねー」


 余韻に浸るようにしみじみと呟く詩乃に俺は頷く。

 正直、こういうタイプの映画はこれまで敬遠していたのだが、いざ観てみるとこれが意外と面白かった。


 これまで観たことないが故の新鮮さがあったのかもしれないが。


「そうだな。思ってたよりずっと面白かったよ」


「ずびび」


 結構しっかりめに泣いている詩乃がハンカチで涙を拭いながら鼻をすする。


 これじゃどっちにしてもすぐには出れなかったな。


 周りに人がいなくなったところで詩乃の様子も落ち着いたので俺たちも劇場を出る。


「手を繋いでも?」


 劇場を出たところでそんなことを言ってくる詩乃。


「ああ、ごめん。俺から繋ぐべきだったよな。こういうの慣れてなくて」


 こういうことをナチュラルにできる人たちがいわゆるモテ男というやつなんだろうな。


 同じミスをしないよう、今度はこちらから手を繋ぎにいこう。


「いえいえ。わたしがしたかっただけなので」


 言いながら、詩乃は俺の手を握る。それだけでなく、指と指の間に己の指を絡めてくる。

 世間で言う恋人繋ぎというやつだ。

 普通に繋ぐのとは少し違っていて、なんだかこそばゆい。


「敬語は相変わらず抜けないな」


 だから照れ隠しにそんなことを言ってしまう。


 本来の話をすると詩乃の方が歳上なんだよな。歳下の俺が敬語を使っていないのも変な話だ。


「あはは、意識はしてるんですけどやっぱりつい出ちゃうんですよ。最近は別にこれでもいっかーって思うようにはなってきたんですけど」


「そうなの?」


「はい。大事なのは話し方ではなく気持ちなので。それに、ハルくんという呼び方は唯一無二ですしね?」


「……う、うん。そだね」


 俺は濁した返事をしてしまう。

 詩乃は上機嫌な様子で俺の微妙なリアクションには気づいていないっぽいので助かった。


「そ、それで、次はどうする?」


 変に勘付かれる前に話題を変えよう。


「少し小腹が空きませんか?」


 昼過ぎに集合したわけだが、映画を挟めば普通に小腹は空く。言われて、俺のお腹もぐうと鳴る。


「そうだな」


「美味しいケーキがあるお店を教えてもらったんです。行きましょ?」


「ああ」


 そんな詩乃の提案で喫茶店に向かうことにした。

 街の中を歩くこと十五分。中心から少し離れたことで人の数は幾分かマシになった。


 外観はどちらかと言うとレトロな感じだ。静かな雰囲気が中から漏れ出ている。

 中に入るとすぐに店員がやってきて、席まで案内してくれる。


 落ち着いたクラシックが店内のBGMとして流されている。店内にいるお客も騒がしくはせず、読書をしたり小声で話したりしていた。


「結構落ち着いた店だな」


「大人な感じしません? ちょっと騒ぎたい若者は他のお店に行くのでこの雰囲気が保たれてるんです」


 気持ちいつもより静かめな声を意識して会話する。

 確かにこの雰囲気の中でべらべらと大声での会話はできない。学生とかは二度目の来店はしないだろう。


「へえ」


「おすすめはショートケーキです」


 メニューを広げながら詩乃が言う。

 ショートケーキの他にもチョコレートケーキやモンブランなど、種類も様々置いてある。


「じゃあショートケーキにしようかな」


 特別好きなケーキもないのでおすすめと言うのならばそれに乗ることにしよう。


「詩乃は?」


「ハルくんは他に気になるケーキありますか?」


 言われて、改めてメニューを見返す。


「……ミルクレープとか」


「じゃあそれにします。シェアしましょ」


「あ、うす」


 にっこり笑いながらそんなことを言われれば照れてしまう。俺はつい照れ隠しにそっけない返事をしてしまった。


 そんな俺の性分はすでに理解しているようで、詩乃は特に気にした様子はない。


 注文を済まし少しするとケーキとドリンクが運ばれてきた。俺の前にカフェラテ、詩乃の前には紅茶が置かれる。


「ささ、どうぞ」


 食べて食べてと詩乃が急かしてくるので俺は早速ショートケーキを一口食べる。


 ふわっとしたスポンジ生地の間に配置されたいちごが程よい酸味を出してくれる。それがクリームの甘さをさらに際立てていた。

 どこにでもありそうなオーソドックスなショートケーキだが、そのこだわりが細部まで伺える。


 確かにこれは美味い。


「んまい」


「でしょでしょ? わたしのお気に入りなんです」


 にぱーっと笑いながら詩乃も自分の前に置かれたミルクレープを一口食べた。


「ミルクレープも一口どうぞ」


「え」


「おすすめはショートケーキですけど、ここのケーキはどれも美味しいんです。ぜひ、味わってください」


 詩乃はミルクレープを一口サイズに切って、それをフォークで差してこちらに向ける。


 え、ちょっと待ってこれあれじゃねえの? 恋人同士がとりあえずやるっていう、いわゆる……。


「はい、あーん」


 恥っず。

 ある程度の仕切りもあるし、周りの人はこっちのことなんて気にもしていないことは百も承知だけどそれでもたまらなく恥ずかしい。


「ほら、ハルくん。あーん、してください」


「……やらなきゃダメか?」


「ダメです」


「……」


 言い出したら聞かないもんなあ。

 それに、俺と詩乃は恋人なんだしこれくらいは変じゃないだろう。


「あむ」


 俺は恐る恐る詩乃の差し出したミルクレープを口にする。

 何層にも重ねられたクレープ生地が薄さからは想像できない弾力を発揮している。

 いちごの他にもキウイなどが入っており甘さが引き立てられている。


「うまい」


 これは別のケーキの味も気になってくるな。

 今度用事でこっちの方に来たら寄ろう。


「それじゃあ、ショートケーキを一口もらってもいいですか?」


 もじもじしながら、詩乃は上目遣いを向けてくる。

 これで皿を差し出せば確実にむくれるのは分かり切っている。今のセリフを訳すと「それじゃあ、わたしにもあーんしてもらっていいですか?」である。


「分かったよ」


 めちゃくちゃ恥ずかしいけど、詩乃が喜ぶならば頑張ろう。

 俺はショートケーキを一口サイズにして詩乃に向ける。


「あーん」


 詩乃は目を瞑り、口をぱくりと開ける。俺はそこにショートケーキを持っていくのだが、なんかこの詩乃の絵面が非常に変な気分を駆り立ててくる。


 別に変なことはないのに。


 ないはずなのに。


 なんだこの感情は。


「むぐむぐ。あぁー、やっぱり美味です」


 幸せそうに頬を緩める詩乃。

 できることなら恥ずかしいから避けたいところだが、彼女のこんな顔を見ると、それくらいなら我慢するかと思わされてしまう。


 恋愛というのは実に恐ろしいものである。

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