第58話
「おーい、はーるくーん!」
それは夏の暑さも過ぎ去り、秋の訪れを感じさせる肌寒さを覚えるような日のこと。
忙しい日々を乗り越え、ついに一日オフの日ができた詩乃と会うことになり、俺は電車に乗ること三十分、都会の方に出てきていた。
待たせるわけにはいかないと思い、三十分前に集合場所に来たところ二十五分前に詩乃がやって来た。
はやく来といてマジでよかった。
「お前、あんまり大きい声出すなよ。バラたら大変だぞ」
「大丈夫ですよう。堂々としてると意外と誰も気づきません」
「そうか?」
と、周りを見てみるが確かにほとんどの人はこちらを見ていない。
見ている人もいるが、なんだあのバカップルは程度にしか思っていないのかすぐにどこかへ消えていく。
ほんと、思っているより周りに興味ないんだな。
まあ、詩乃は深めに帽子を被っているしメガネも掛けている。合流時に外したがマスクもしているので対策はバッチリだ。
これであまりはしゃいだりしなければまずバレないだろう。
「ハルくん、早いね?」
「こっちのセリフなんだが?」
「わたしを待たせてはいけないとか考えて早めに来るだろうなと思って早めに来てみました」
「お見事としか言いようがない」
詩乃はカッターシャツにカーディガン、スカートと遠目ならば制服かと見紛うような格好をしている。
最近の流行りはこういうのなのだろうか。いや、詩乃は何着ても可愛いけども。
「どうしました?」
「いや、制服みたいだなって」
「ああ。これはカムフラージュだよ。これならイチャイチャしてても最悪仲のいい兄妹くらいに見えるでしょ?」
見えるか?
「それはいいのかよ。兄妹に見られるみたいな」
「わたしたちが分かっているので大丈夫です。わたしはハルくんのなんですか?」
「……彼女」
「そうです。彼女です。だからいいんです」
にへら、と表情をこれでもかと歪ませる詩乃。
「ささ、それでは行きましょう。せっかくの一日オフ! 全力でデートを楽しみますよー!」
「そうだな」
こうして一日が始まる。
久しぶりにこうして顔を合わせると、やっぱり詩乃のことが好きなんだと再認識させられる。
もちろん電話では毎日会話しているし、メッセージも交わしているが、こうして実際に会うのが一番効果的だ。
「今日はどこに行くんだ?」
「んー、あんまり考えてないんですけど。久しぶりなので目一杯ハルくん成分をチャージしたいです」
「それはつまり?」
「イチャイチャしたい」
言いながら、詩乃が腕に抱きついてきた。俺は咄嗟に離れようとしたが、自分の反射を抑えた。
恋人なのだ。
これくらい普通だよな。
「どうですか。腕に感じるお胸の感触は?」
「そんなに感じない」
「ちゃんとそれなりにあるのに!? 見せましょうか? 脱ぎましょうか!?」
「いやいい。嘘だから。ちゃんと感じてるから」
俺と詩乃は付き合い始めた。
思いを告げ、告げられ、お互いの気持ちを受け取り、今の関係になった。
これまでの関係を友達とした場合、やはり恋人になればいろいろと変わっていく。
いつかは俺も詩乃とそういう行為だってすることになる、はずだ。
けれど。
あの日の夜のことがなくなったわけではない。
俺は一度、詩乃に拒絶されている。
嫌悪感というよりは恐怖心からくる拒絶であることは分かっている。
けど。
あのことが脳裏に蘇り、どうしても積極的になれない。
どうやら、無意識のうちにトラウマになっているようだ。
「興奮したらいつでも言ってね」
こんな発言も、これまでならば冗談だと分かりきっているから適当にあしらうことができたが、今は違う。
どこまで本気なのか分からない。
俺はそんなモヤモヤを誤魔化すように視線を逸らした。
そのとき、ふと視線に入ったのはCutieKissの面々が映ったポスターだった。
もちろんそこには詩乃もいる。
思えば、俺はそこに映るすべての人と面識を持ったのだ。誰もが目にしたいであろう水着姿なんかも見ちゃったりして。
その上、詩乃は恋人だ。
不思議というか、変な感じはする。
同時に優越感もあるのだが。
もちろん、後ろめたさも少なからずあるのだが。
「どうですか。みんなの憧れるアイドルを独り占めしてる気分は」
「反応に困るからそういうこと言わないで」
「最高だぜうっひょー! でいいんですよ?」
そうは思えないから困ってんだよ。
「あ、これ」
そんな話をしていると詩乃がなにかを見つけて足を止める。
なにかと見てみると、映画のポスターだった。
この建物の上には映画館があり、上映中の話題の作品をここでアピールしているのだろう。
「気になるのか?」
「はい。前々から気になってて」
「じゃあ観るか?」
「え、でもハルくん興味ないでしょ?」
見たところ、明らかにラブロマンス的な内容っぽい。
アニメ映画かアクション映画しか劇場に足を運ばない俺からすれば確かに興味はない。
しかし。
「彼女の気になる映画がどんななのかは気になるんだよ」
「きゃー、ハルくん好き!」
ぎゅっと思いっきり抱きつかれた。
あれだな。
しっかり当たってるな。うん、ちゃんと詩乃にもあるんだな、お胸さん。
そんなわけで俺たちは映画を観ることになった。
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