第52話
彼女は沈黙を続ける。
険しい表情のまま視線を横に逸らし、口を噤んでしまっている。
もうダメなのか。
俺たちの関係はこのまま終わってしまうのか。
俺は気持ちが折れかけ、楽しい未来を諦めかけた。
「……そうですよ」
しかし。
ようやく詩乃が口を開いた。
それも、俺の言葉を肯定する言葉を吐いて、だ。
一瞬、なんのことだか分からないくらいの間があったが、その肯定はきっとあの日の夜の出来事が夢ではないという意味のものだ。
「詩乃」
「あまりこっちを見ないでください」
うわーっとパニクったように表情をくしゃりと歪め、真っ赤になった顔を両手で隠す。
「ええそうですよ! わたしは自分から迫ったくせにいざとなったらビビって逃げるようななんちゃって肉食系女子なんですよ!」
「別にそこまでは言ってないぞ!? とりあえず混乱するの止めようか!」
テンパってあわあわする詩乃を落ち着かせる。ようやく認めてくれたというのにこんな状態じゃ真面目に話もできない。
少しの間、詩乃が落ち着くのを待つ。ようやく冷静さを取り戻したところで、俺たちは岩場に二人並んで腰掛けた。
これが夕陽が沈む景色を前にしていればロマンチックな絵面にでもなるのだろうが、朝日はしっかり空に昇っており世界を照らしている。
それでも、なんとなくいい雰囲気なのではないだろうか。と、俺は的外れなことを考えてしまった。
「それで、えっと」
ことがことなだけに発言にも気を遣ってしまう。変なことを口走ればデリカシーがないと罵られる。それだけならまだいい、ようやくここまできたのに詩乃にまた逃げられたらたまったもんじゃない。
「一昨日の夜のことだけど」
「……はい」
「どうしてあんなことを?」
結局デリカシーのない訊き方になってしまった。無理だよ、だってどうしてもこうなってしまうんだもん。
「えっとですね」
詩乃は脳内の考えを言葉にしようと唸る。乾いた唇を湿らせ、ゆっくりと口を開く彼女の顔はどこか憂鬱げだ。
「わたしはハル様との関係についてずっと考えていました。自分の中にあるこの気持ちはなんなんだろうって、この旅行中もずっと向き合ってた」
俺と同じだ。
俺も詩乃との関係についてずっと考えていた。結局、答えは出なくて、その代わりにシンプルなことに気がついたわけだけれど。
「きっと、特別なんだと思うんです。少なくとも、他の人に向けている好きとは違くて。だから、ああそうなんだ、これはそういうものなんだって思ったんです」
「……」
んん?
あれ、今の告白ですか?
何気なく口にしてたけど、俺大事なことスルーしちゃったくない?
そんなことを考えていると詩乃はさらに言葉を続けていく。おかげで言及するタイミングを完全に逃してしまう。
まあ、今じゃないんだろうけどさ。
「けど、ならどうすればいいのかなって悩んでたときに由希奈の話を聞いて」
「由希奈ちゃん?」
「由希奈と彼氏さんの馴れ初めを」
ああ。
それは俺も軽くだけど圭介さんから聞いたな。
いろいろあったけど最終的に肉食獣の由希奈ちゃんががおーってなったんだっけ。
「それで、そうすればなにか変わるかもって思って……それで、思い切って」
あんなことをしたわけか。
なんというか、あのときの詩乃を思い返すとやっぱりいろいろと違和感が浮かび上がる。
慣れないことをすると、ああなってしまうのだろう。
「覚悟してたはずなのに、ハル様がわたしに触れたとき、なんだか怖くなっちゃって……それで」
「避けていた、と」
こくり、と詩乃は頷く。
が、俺には気になることが残っていたので訊いておくことにしよう。
「けどあの日、普通にゲームはしてたじゃないか。あれはどういうことなんだよ?」
「ええっと」
バツが悪そうに声を出す詩乃。
「たまたまなんですけど、ハル様がいい感じに気絶してくれたので夢オチという形を取ることにして、そのあとは一旦いつも通りに接しました。けど寝て起きたら感情がぐちゃぐちゃになってて堪らず……」
おおよそ、予想通りということか。
そういう意味では、やはり詩乃は分かりやすい方なんだろう。
「ごめんなさい。わたしの勝手で迷惑をかけてしまいました」
「いや、それはいいんだけど。理由も分からず避けられてたから困惑はしたけど、そういうことなら、まあよかったよ」
とりあえずは詩乃が俺を避けていたという問題に関しては解決ということでいいだろう。
けれども、これで終わりではない。
「ところでなんだけど」
バクバクと心臓が激しく動く。
とりあえず詩乃の方の気持ちには整理がついただろうし、一段落って感じなんだろうけど。
俺は自分の気持ちをちゃんと伝えないと。
詩乃もちゃんと言葉にしたのだから。自分の中の知られたくない気持ちというやつを。
「な、なんですか?」
俺の緊張が伝播したのか、詩乃もどこかぎこちない返事をしてくる。
ちらと彼女を見ると僅かに頬が赤くなっている。それはこの暑さが原因ではない、はずだ。
「あの日の夜に、俺は自分の気持ちに気づいてしまった。これまでずっと見て見ぬふりをしていた気持ちだ」
「……は、はい」
言うぞ。
言うぞ。
言え。
言うんだ。
「……」
言葉が出ない。
みんなこんなこと普通にやっているのだろうか。すげえなあ。これまでこんな経験のない俺には相当に難しいことだ。
「ハル……春吉くん」
わざわざ言い直す詩乃。
そういえばあの日の夜も、詩乃は俺のことをハル様とは呼んでいなかったな。
「聞かせて? あなたの気持ち。わたし、ちゃんと言葉にしてくれるまで待つから」
じいっと。
俺の目を見つめる詩乃の瞳は真っ直ぐに真剣で、そこから彼女のいろんな感情が流れ込んでくるようだ。
それが俺の背中を押してくれる。
緊張で真っ白になっている脳内の言葉を整理してくれた。
「好きなんだ。いつからか分からないけど、気づけば詩乃のこと、特別に思ってた。これからも、ずっと一緒にいたいって思ったんだ」
途切れ途切れになりながら、それでも俺は自分の気持ちを言葉にした。
返事がない。
うつむいていた俺は恐る恐る詩乃の顔を見る。
「……嬉しい」
満面の笑みを浮かべた詩乃は次第に溢れ出る涙をこぼす。
「大好きな人に大好きって思ってもらえるのって、こんなにも嬉しいことなんだね」
瞬間。
詩乃はぎゅっと俺に抱きついてきた。
その行動に一瞬だけあわあわと取り乱した俺だったが、覚悟を決めて彼女を抱きしめる。
長い長い三日間だったような気がする。
楽しいことがいっぱいあって、戸惑うこともあって、ケンカじゃないけどすれ違うこともあった。
辛いこともあったけれど、最後にはこうして二人で笑っている。
ならばそれでいいのではないだろうか。
こうして、三日間の旅行は終わった。
まさか、俺と詩乃の関係が大きく変わることになるなんて、始まるときには思ってもいなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます