第51話
翌朝。
昨日はあれからずっとぐるぐると考え続け、結局ろくに纏まらないまま今に至ってしまった。
あれだけ寝たのに考え事してたら寝落ちしていたのだ。
しかし、もうタイムリミットは目の前まで迫っている。この関係のままこの旅行を終えてしまうと、二人の関係が良くない方向に変わってしまうかもしれない。
だからこの問題はここで解決しておかなければならない。
そんなことを考えてしまう時点で、俺の気持ちは決まっているのだ。
不安はあるが、自覚した以上はその未来に繋がるように精一杯頑張るだけなんだよな。
「おはよー」
目を覚まそうと顔を洗っているといつの間にか侵入してきた由希奈ちゃんが洗面所に顔を出した。
「カギは?」
「圭介が開けてくれた」
「なるほど」
朝起きたらいなかったけど、由希奈ちゃんのところに行っていたのか。この二人は本当に仲が良いな。
俺が抱くような心配や不安はないのだろうか、と思ったけれど、彼らはそれを乗り越えて今があるんだ。
一歩踏み出してしまったから、もう戻れないから、心配も不安も全部ふっ飛ばしているんだ。
俺にそれができるだろうか。
「このあと詩乃をビーチのとこに呼び出しといたから行ってきな?」
「そんな急に」
まだ考えも纏まっていないのに。
「じゃあいつならいいの? 昨日からずっと考えて纏まらないなら今から悩んでも変わらないよ?」
「……う」
図星を突かれ俺は口ごもる。
そんな俺を見てか、圭介さんが洗面所に入ってきて俺の肩にぽんと手を置いた。
「由希奈の言うことも一理あるだろ。そういうときは思い切って飛び込むんだよ。勢いに任せりゃなんとかなるさ」
「……そう、ですかね」
それでもやはり不安は拭えない。
が、二人の言っていることは尤もで、このまま一人で考えてもきっと最善手なんて思いつかない。そもそもそんなものはありはしないのだ。俺は昨日から存在しない答えをずっと探していた。そりゃ見つからないさ。
大事なのは、今の俺にできる最善の選択をすることだ。
となれば、時には勢いも大切か。
「俺、行ってきます」
「おう」
「がんばれー」
二人に見送られ、俺は部屋を出た。
詩乃がいるらしいビーチへと向かう。
その姿が見当たらず、少しの間ビーチを探し回ると、岩場に一人でちょこんと座っていた。
その瞳は水平線のはるか先を眺めている。彼女は今なにを考えているのだろうか。
なにを思って、その景色を見つめているのだろうか。
同じ景色を見れば分かるかな。
そう思って、俺も水平線の彼方を見てみるがもちろんなにも分からない。
そんなんで人の心が分かれば苦労はしない。人間ってのは手探りで相手を知っていき理解し合うのだ。
言わなきゃ分かんないし、言われないと分からない。
「……詩乃」
俺は意を決して、彼女の名前を呼ぶ。
すると、詩乃はびくりと体を揺らし、恐る恐るといった調子でこちらを振り返った。
その表情はどこか怯えているようにも見えた。好きな人にそんな顔を向けられるのは、中々にしんどいものだ。
「えっと、由希奈は?」
由希奈ちゃんに呼び出されていたのに俺が来たのだから驚くのも無理はない。
ていうか、どういう説明をしたんだろうか。
「ごめん。俺がお願いしたんだ」
「……」
「詩乃とちゃんと話したくて」
一瞬、困惑したような表情を見せた詩乃だったがスイッチでも入れたのかにこりと笑って立ち上がる。
「なんですか、ハル様から話がしたいなんて。どきどきしちゃいますね」
さっきまでの憂いた表情を隠すように笑顔の仮面を被る詩乃。そうやって、本音を隠しているのだろう。
でも、俺が知りたいのは詩乃の本音なんだ。
どう伝えればいいんだろう。
どう言えば、彼女を傷つけずに済むんだろう。
「ハル様? どうしました?」
「……えっと」
脳内でごちゃごちゃした考えが纏まらずにならず、俺は言葉を詰まらせる。
そんな俺の様子を見ても、詩乃はにこにこと笑っているだけだ。きっと、彼女は自分の心の底にある本音を知られたくないのだ。
だから笑顔の仮面を被る。
偽りの自分を見せる。
「一昨日のこと」
「一昨日……ええっと、あ、あれですか、夜にゲームをしたことですか? 楽しかったですよね。なんかハル様とゲームしたの久しぶりに感じました」
むむーっとわざとらしく考える素振りを見せた詩乃はなおもにぱーっと笑って見せる。
つらつらと言葉を紡ぐ詩乃と違い、俺は一言一言を探りながら吐き出す。
「そうじゃなくて、その、前の」
「その前?」
瞬間。
詩乃の表情から笑顔が消える。
俺はぞわりと体を震わせた。
だから思わず話題を変えてしまう。
「昨日、ずっと俺を避けてたよな?」
「避けてないですよ? お昼だって呼びに行ったじゃないですかー」
再び笑顔を見せる。
芸能人になると、裏と表を使い分けるシーンが一般人よりもずっと多いのだろう。
そんな日常を繰り返していくうちにこびりついてしまうんだ。本音がまかり通ることの方が少ないから、きっとそんなもの意味ないと胸の奥に閉じ込めてしまうんだ。
もし叶うなら、俺にはそんなことをしてほしくなんてない。
それとも、これまでずっと俺の前で見せていた笹原詩乃は偽りの姿だったのだろうか。
「それも北条さんや宮城に言われてだろ?」
「……」
詩乃の様子に違和感を覚えた二人がそうするように仕向けたという話は聞いた。
つまり、二人がそう促さなければ詩乃は俺と会話することはなかったのだ。
「別に避けてたのはいいんだよ。問題はどうして避けられているのかなんだ。なにかしたなら謝りたい、思うことがあるなら言ってほしい」
「……」
笑顔を消した詩乃が俺から視線を逸らす。太陽に雲がかかりその姿をくらませたようだ。
「その原因は、一昨日の晩にあったことなんじゃないかって」
もしもあれが夢でなくて、それが原因で詩乃が俺を避けているのだとしたら、俺が言っていることはデリカシーのないものだ。
彼女が掘り返されたくない過去を、自己満足のために晒そうとしているのだから。
「なあ、詩乃。あれは夢なんかじゃないんだよな? ほんとのことを話してくれよ。俺はお前の本音が聞きたいんだよ」
「……」
口を噤む詩乃は暫しの沈黙を作る。
俺の気持ちは届かないのか。このまま、お互いの気持ちを伝え合わないまま俺たちの関係は終わってしまうのだろうか。
俺はそんなの嫌だ。
なあ、詩乃。
お前はそれでいいのかよ?
俺とお前が過ごしたこれまでの時間を、全部幻想として過去にするつもりなのかよ?
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