第48話
二日目。
目を覚ましても俺の脳には昨日のあの光景がこびりついて離れていなかった。
いやにリアルな感触が手のひらに残っていて、詩乃を見ればそれを思い出してしまう。
水着姿の彼女を見でもすれば、間違いなく俺の中の感情が暴れまわるだろう。
その日は体調が悪いと言って一日部屋で布団にくるまっていた。何度か詩乃が様子を見に来てくれたが、俺は顔を出すこともなく「大丈夫だ」とだけ返す。
昨日、あれから詩乃とゲームを数時間プレイしていたがあのときはここまでではなかった。
一度眠りについたことで思考が整理されたのだろう。そのせいで記憶が鮮明に蘇るようになった。
布団から顔を出すと部屋には誰もいない。外からは僅かに騒ぐ声が聞こえるので、みんなは今日も絶好調に楽しんでいるのだろう。
俺は自分の手のひらを見ながらグーパーと開く。
あのまま、夢が覚めることなく続いていれば俺はどうなっていただろうか。
妖艶な雰囲気の詩乃。
二人きりの部屋で、しかもわりとしっかり防音対策がされている。
そんなところで男女がすることなんて一つだけだろ。
「ああ、くそ」
くしゃくしゃと頭を掻く。
昨日からずっと変な感じだ。北条さんの別荘でするのは気が引けるけど、ここは一度冷静にならなければ何も変わらないな。
俺はティッシュを用意し、己の性欲を処理した。
すうっと自分の中の煩悩が消えてなくなったような気がした。さっきまでのモヤモヤがなくなり、幾分かスッキリした。
「ハル様?」
ガチャリ、とドアを開けて中に入ってきた詩乃が俺の名を呼ぶ。ひょこりと顔を覗かせた詩乃がなんだか妙に可愛らしく見えてしまう。
どきっと心臓が跳ねる。
「な、なんだ?」
俺は平然を装い応える。
「いえ、体調はどうかなと思いまして」
「……あ、ああ、寝たらちょっとマシになったかな」
最初から体調なんて悪くないのでどうしても後ろめたさが残る。俺は誤魔化すように視線を泳がせた。
こちらに歩み寄る詩乃は海からそのまま来たのだろう、水着のままだ。肌色を露出したその姿に俺の心臓はバクバクと高鳴る。
ただ。
昨日のような性欲の爆発は起こらない。性欲の処理って偉大なんだなあ。
「……」
ちょこっと俺の隣に座った詩乃だが、その距離はボール一つ分ほど空いている。
いつもならば遠慮なしにズカズカと距離を詰めてくるのに、と俺は違和感を覚える。
海上がりだから気を遣っているのだろうか。
「お昼からは一緒に遊べますか?」
ちら、とこちらの様子を伺うように上目遣いを向けてくる。
今の調子ならば一緒にいても問題はないよな。
「そうだな。大丈夫だと思うよ」
「ほんとですか? よかったぁ」
俺が言うと、詩乃はほっとしたように息を吐いてから満面の笑みを浮かべた。
彼女の仕草、言動の一つ一つにいちいちドキドキしてしまう。
昨日の夜、夢の中で俺は気づいてしまった。
これまで意識しないようにしていた自分の本当の気持ちに。
俺は詩乃のことが好きなんだ。
詩乃は、俺のことをどう思っているんだろうか。
もしも夢の中の詩乃と同じように思っているのならば、それはどれだけ喜ばしいことだろうか。
けれど。
もしも、彼女がアイドルとしての気持ちを優先することを選べば、俺のこの気持ちが叶うことはない。
どころか、そもそもやっぱり男としての好きではないと言われればこれ以上ないショックを受けるだろう。
『俺、詩乃のことが好きなんだ。だから、俺を選んでくれないか?』
『ごめんなさい。わたしはやっぱりアイドルで、ファンの人たちを裏切ることはできません』
『で、でも……』
『ていうか、よくよく考えてみると好きは好きでも人としての好きでした。配信者としてはこの上なく尊敬してますけど彼氏にするにはちょっと違うかなって』
……ああー。
想像してみると思っていたよりずっとしんどい。三日三晩は飯が喉を通らないだろう。いや、それくらいで済めばラッキーなまである。
こんなん、めっちゃ好きじゃん。
自覚したはいいけど、それはあくまでも俺側の気持ちでしかなくて、恋愛ってのは双方の意思が一致して初めて進展するものなわけだからまだまだ始まったばかりなのだ。
これからどうすればいいんだろ……。
「お昼はみんなでバーベキューするみたいなんで、一緒に行きましょ?」
詩乃に誘われ、俺は立ち上がる。
「ちょっと着替えるから待っててもらっていいか?」
「わかりました。外で待ってるので、終わったら出てきてください」
「お、おう」
バタン、と詩乃が部屋を出ていったことを確認してから俺は部屋着を脱ぐ。
が。
海に入るつもりはないので水着には着替えない。
普段からろくに運動をしない野郎が突然ビーチバレーをしたり海ではしゃいだりすれば当然筋肉痛は襲ってくる。
つまり、気分的な問題ではなくシンプルに肉体的な問題ということだ。
「……いてて」
体を動かす度にあちらこちらに痛みが走る。日頃の運動不足を実感させられ、もう少し体を動かしたほうがいいのかもと思う。思うだけで実行するかは定かではないが。
そんなことより。
さっきの詩乃のリアクションに違和感を覚えていた。
俺が着替えると言ったとき、彼女はすんなりと部屋を出て行った。
これまでの詩乃ならば『そういうことならここでハル様の肉体美を見学していきましょうかね』とか言いそうなものだし、なんなら『ぐへへ、そういうことならお手伝いしますよ』なんてセリフを吐いてもおかしくない。
変な絡みをする気も起きないくらいに疲れているのだろうか。それとも、なにか別の理由があるのか。
「……」
蘇るのは昨日の夢のこと。
もしも。
あれが夢ではなかったとしたら……。
そんなことを考えながら、俺は痛みを耐えつつ服を着替えた。
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