第41話



「春吉って彼女とかいんのか?」


「いませんよ」


 女子風呂の方から、内容までは聞こえないが楽しそうに談笑している声が聞こえてくる。


 それを聞いていると、この壁の向こう側ではアイドルたちが一糸まとわぬ姿を無防備に晒しているのか、と思春期男子的な妄想を膨らませてしまう。


 それはいかんと頭を振って妄想を吹き飛ばしていると、圭介が相変わらず突然な質問を投げてきた。


「詩乃ちゃんとは?」


「そういうんじゃないです。彼女はただのゲーム仲間というか」


「ゲーム仲間?」


 そういえば話す機会もなかったから俺と詩乃の関係も知らないのか。

 俺は簡単なこれまでの経緯を圭介さんに話す。ふーん、とか、へえー、とか適当な相槌を打ちながら最後まで聞いてくれた。


「好きじゃねえの?」


「好きか嫌いかで答えるならもちろん好きですけど」


「彼女にしたいとかいう好きじゃないとか言うのか?」


「……」


 圭介さんの言葉に俺は答えを詰まらせた。


 ふとした部分を可愛いと思い、話していると楽しいと感じ、一緒にいると落ち着いて、顔を見ると安心する。


 分かってる。


 この気持ちに名前があることは。


 けれど、その名前をラベリングしてしまうのが怖くて、知らないふりを続けている。


 この気持ちを自覚すると、これまでのように彼女と接することができないような気がして。


「オレはさ」


 俺が黙っていると圭介さんが話し出す。俺は顔を上げて圭介さんを見た。


「アイドルとか興味なかったんだよ。まあ、今でもあるかって言われたらないんだけど」


「そうなんですか?」


「由希奈のグループだから応援してるだけさ。体育祭とかで友達応援するのと似たような感覚なのかもね」


 仮に友達が相手チームであっても個人的に応援することはある、みたいなやつか。

 俺は友達に恵まれていないのでそういった経験もないのだが。


「あれ、じゃあどうやって由希奈ちゃんと知り合ったんですか?」


「街中で前歩いてた人がハンカチ落としたんだよ。それがたまたま由希奈だった」


「へえ」


 そんな漫画みたいな出会い本当にあるんだな。その結果、こうしてお付き合いにまで発展しているのだから、それはまさしく運命の出会いと言える。


「ハンカチを渡したらお礼をするって聞かないから仕方なくコーヒー奢ってもらって。そのときに連絡先を交換したら頻繁に連絡が来るようになったんだ。前向きな彼女にオレは徐々に惹かれていった」


 まるで夜空のスクリーンに当時の光景が映し出されているように、圭介さんは空を見上げながら話す。


「由希奈がオレに好意を抱いていたのは明らかだったし、思い切って告白するかって思っていたときに、あいつがアイドルだってことを知った」


「それまでは知らなかったんですか?」


「ああ。まだ今ほどの人気アイドルってわけじゃなかったのもあるのかもしれないけど、オレがそういうのに疎かったってのが大きいかもな」


 今ではテレビや雑誌、あらゆるメディアで取り上げられる彼女たちだが、もちろんそうでなかった時代もある。

 まして、アイドルに興味なければ言われなければ分からないこともあるか。


「由希奈がアイドルで、あいつには何千何万、もっとそれ以上のファンがいる。そう考えると自分の考えが間違っているような気がして、告白ができなかった」


 圭介さんにもそういう悩みと向き合っていた時期はあるのか。

 イケメンでイケイケな人だからお構いなしに付き合い始めたものだとばかり思っていた。


「それでも由希奈からデートの誘いとかはあって、あいつといるのはシンプルに楽しかったから友達としてならいいかって思って遊びはしてた。けど、ついにしびれを切らしたのか由希奈の方から告白してきたんだよ」


「それでオッケーを?」


 しかし圭介さんはかぶりを振る。


「由希奈の方から告白してきたんだから別にいっかって思ったよ。けどやっぱりどうしても後ろめたさがあって、オレはそれを由希奈に話した。自分の気持ちを全部洗いざらい吐き出した」


「そしたら?」


「泣いて帰っていったよ」


 けろっとした調子で言う。

 それ結構な問題なのでは? と思うのは俺だけだろうか。


「そっから一週間は連絡なかったな。一応オレからもメッセを送ったりもした。けど既読はついても返事はなくて、それが続いてたある日、突然会いたいと連絡がきたんだ。オレの言葉で彼女が傷ついたのなら謝らないとと思って彼女の呼び出しに応じた」

 

「はあ」


「言われたように由希奈の待つカラオケに行った。怒られるのも覚悟だった。けど、そのときのあいつは不機嫌とは程遠いほど上機嫌でさ、さすがに混乱したよ」


 それは確かに混乱するな。

 戸惑うというか、もはや怖いまである。


「もしかしたらこの前のことはなかったことにして、友達として接しようとしてくれてるのかなと思ってさ。だったらオレから掘り返すのも悪いと思ってその日は普通にカラオケを楽しんだ。二時間くらいか、歌って騒いで、ああこのままうやむやにして曖昧な関係を続けるんだなって思ってたんだけど」


「けど?」


「襲われた」


 当時のことを思い出して呆れているのか、乾いた笑いを見せながら圭介さんは話す。


「襲われたっていうのは……その、そういうことですか?」


「そういうことだよ。まさか初めての経験がカラオケになるとは思ってなかった」


 それが何歳のときかは分からないが、この人そのときが初体験だったのかな。

 意外だ。

 もっと遊んでそうなのに。


「やることやったあとにさ、あいつ泣きながら叫ぶんだよ。体を震わせながら、ずっとずっと。そのときに気づいたんだ、オレが気にするべきなのは世間の目とかファンの気持ちとかじゃなくて、由希奈の気持ちだったんだって」


「由希奈ちゃんの、気持ち……ですか」


「ああ。それと、オレ自身の気持ちだな。それに気づいたからオレは由希奈の気持ちを受け入れた。もちろん、世間の目だって気にするしファンの気持ちを蔑ろにするつもりはなくて、いろいろ考えながら付き合った」


 今でこそあんな感じの二人だけど、そこに至るまでには様々な困難や悩みがあったんだ。


 それはまさしく、俺が直面している問題でもある。詩乃の気持ちがどうなのかは、俺には分からないけれど。


「つまんない話だったな。けどさ、ちゃんと知っててほしかったんだよ。本当に大事にするべきことがなんなのかってやつをさ」


「大事にするべきこと……」


「最後に決めるのはお前だよ。間違ってると思うなら付き合うべきじゃない。でも周りのいろんなもん気にして誰かを悲しませるようなことはしちゃいけない」


「……はい」


「さて、と」


 少ししんみりしてしまった空気をリセットするように、短く言って圭介さんは立ち上がる。


「それじゃ、そろそろ女子風呂覗くか」


「脈絡ないな!」


「何言ってんだよ。こういうときは鉄板だろ? お前、チンコ比べもせず、覗きもしないでこれまで風呂で何してたんだよ」


「お風呂を堪能してたんだよ!」


 うっし行くか! と気合いを入れる圭介さんを止めるのに少しかかった。数分の格闘の末、なんとか諦めてくれたところで俺たちは風呂を出た。


「……」

 

 どこまでが本気で、どこまでが冗談だったんだろうか。


 ガチガチに鍛えられた細マッチョな圭介さんの体を横目に、俺はそんなことを思った。

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