第40話
牧園由希奈から唐突な質問を突きつけられた詩乃は一瞬だけ固まる。それによりその場の空気が張り詰めたような気がした。
しかし。
それも一瞬だけで、詩乃は何でもないように答えてみせた。
「襲わないよ。多分」
「……多分、ねえ」
言い切ったかと思えば曖昧な言葉を付け足す詩乃に彩花が訝った視線を向ける。
「麻莉亜さんが言ってたよ。この別荘の部屋って防音性高いんだって」
「そうなんだ」
「うん。思いっきり叫んでも暴れても周りの部屋に迷惑がかからないの。そんなこと言われたらヤることヤるしかなくない?」
結果的に詩乃の提案により圭介と同じ部屋になった由希奈。昼間からあの様子だったので予想はできるが、どうやら彼女はやる気満々らしい。
「ほら、あの子ってまさしく草食系代表みたいな感じじゃん」
「そんなことない……よ」
そんなことあるリアクションの詩乃。春吉を知る人間ならば由希奈の偏見には納得させられてしまう。
「それに加えて相手がアイドルってなれば気後れもするだろうしね。あの陽キャパリピイケメンの圭ちゃんでさえ由希奈へのアプローチに躊躇ってたんだよ?」
「そ、そうなの?」
「それはちょっと意外です」
驚く詩乃と晴香。
圭介は見た目からして女慣れしていそうな感じがあり、実際に接してみるとそれが事実であることを思わされる。
容姿もどこかの男性アイドルかと勘違いするくらいには整っていて、それでいて気さくで優しく、欠点を上げることの方が難しいような男だ。
さぞかし学生時代はモテたであろう圭介でさえ、やはりアイドルと一線を超えるのは躊躇ったのか。
「そうそう。だから由希奈が無理やりに襲ったの」
その光景はわりとすんなり想像できてしまった。そんな由希奈の態度に圭介も本気で向き合うことを決意したのだろう。
「由希奈たちが恋愛しようとしたらそれくらいしないと。よほど常識的でない肉食系男子じゃないと進展はしないよ」
「……」
由希奈に言われ、詩乃は真面目に考える。
「鵜呑みにしないでいいのよ、詩乃。別にそういうことをしないといけないわけじゃないんだから」
「……うん。そうだね」
とは言うものの、詩乃はどこか上の空だ。由希奈の言うことにも一理あるとでも思ったのかもしれない。
が、それでも彼女の中にあるアイドルとしての良識がそれを否定しているのか。
「彩花さんってば、詩乃に脱処女先越されるから焦ってるんだ?」
にたにたと楽しそうに彩花に標的を変える由希奈。
「そんなんじゃないわよ」
「処女であることは否定しないんだね」
「否定しても信じないでしょ」
呆れたように吐き捨てる彩花。
妹である晴香としてもそこは少し気になるところだが、晴香の知る限りではアイドルになってからも、アイドルになる以前も、彩花は誰かとお付き合いをするということはなかったはずだ。
「どうしてもっていうなら、圭ちゃんと三人で楽しんでもいいけど?」
「しないわよ。ていうか、そういうのは彼女として許されるわけ?」
「んんー、他の女なら許さないけど彩花さんなら許すよ。ていうか、由希奈的には彩花さんのそのナイスバディをめちゃくちゃにしたいし、彩花さんがめちゃくちゃに乱れてる姿も見てみたいかなぁ」
いやらしく舌なめずりを見せる由希奈。レズビアン的な趣味は彼女にはないだろうが、そういった勘違いをしてしまうような迫力があった。
「あたしは見たくないような……」
どこに姉の乱れた姿を見たい妹がいるだろうか。
「今夜待ってますね?」
「行かないわよ」
冗談混じりに言う由希奈に冷たく返す。そう言われることなど分かりきっていただろうに、由希奈はちぇーっと唇を尖らせる。
「麻莉亜さんは彼氏いたことあるの?」
ようやく体を洗い終えた麻莉亜と京佳が浴場へとやって来た。
由希奈の早々のセクハラ質問にも麻莉亜は澄ました表情を崩さない。
「いえ。北条の人間として、生涯愛する相手は一人と決めていますので」
「ええー、なんかもったいなくない?」
「それはあなたの価値観な話でしょう?」
「そだけどさぁ」
「彩花さんもそうなのでしょう?」
「え、ええ、まあね」
絶対違うやん、と誰もが思うリアクションを見せる彩花。容姿も文句なしでスタイル抜群、性格も難無しの彩花が彼氏を作ろうとすれば引く手あまただろう。
それでも作らないのは、彼女がアイドルであろうとするからなのか。
「麻莉亜さんってどういう男の人かタイプなの?」
「そうですわね。考えたことはありませんが、しっかりしていて誠実であることは最低条件かしら」
「もうちょいなんかないの? じゃあ、ハルくんと圭ちゃんならどっちがタイプ?」
比べる対象もうちょっと他になかったのか、と思ったのは晴香だけではないだろう。
百人に訊けば九十九人は圭介と答えることだろう。
「そうですね。強いてどちらかを選ぶのであれば、九澄さんでしょうか」
「ええっ!? 麻莉亜がまさかのライバル!?」
「強いてどちらかを選ぶのであればと言ったはずですが!?」
詩乃の答えに慌てた詩乃に冷静なツッコミを入れる麻莉亜。
「しっかりしているかはともかく、彼が誠実であることは伝わります。あなたにそのつもりがあるのかが大切ですが、彼を選ぶこと自体に問題はないと思いますわよ」
「やっぱりライバル……?」
詩乃があわあわと狼狽えていると、その様子を見た麻莉亜はおかしそうにくすりと笑う。
「そうですわね。あなたがいつまでも迷っているようなら、私がいただいてしまうのも悪くないのかも」
「ええーっ!」
ざばんと湯船から勢いよく立ち上がる詩乃。それを見てくすくすと笑う麻莉亜にすすっと近づいたのは彩花だ。
「本気?」
「もちろん冗談ですわ」
澄ました顔で言う。
だろうけど、と彩花は思うものの。
「なんであんなこと言ったわけ? あんたは詩乃と春吉くんのことどう思ってるわけ?」
「当人同士の問題としか思っていませんわ。もちろんアイドルとしては間違っていることも重々理解はしているつもりです。が、それが理由で本当の気持ちを押し潰すというのはいささか愚かなことなのでは、とは思っています」
「……どうして?」
険しい顔をして彩花は尋ねる。麻莉亜はその質問にわずかに表情を翳らせた。
そして自嘲気味に笑いながら言う。
「この世の全ての人間が、あらゆる決定権を握っているわけではないのです。だとすれば、言えるのに言わないでいるなんておかしいことだと思いませんか?」
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