第39話


 銭湯なんかで使われる擬音といえばカポーンだろう。あれは恐らく桶同士がぶつかり、それが響いたときの音を表現しているものだと思っているのだが果たしてどうなのだろう。


 しかし、目の前に広がる大きな浴場でその音はしない。あれは所詮フィクションの中でのみ起こるオノマトペなのだろう。


 あるいは、ここが屋外だからなのか。


「広いですね」


「そうだなー」

 

 夕食はこの別荘で働くメイドさんが腕を振るった豪華なラインナップだった。

 満足するまで堪能した俺たちを次に待ち受けていたのはこの大浴場だ。しかも露天風呂。


 ガラガラと横開きのガラス扉を開けるとすぐにシャワーと蛇口がある。さっさと体と頭をそこで洗ってしまい俺と圭介さんは浴場の方へと向かう。


 銭湯のようにタイルで出来ているのではなく、岩を並べて作られている。

 浴槽はそこ一つだが二人で入るには十分過ぎる広さだ。足を伸ばしても問題ないし、なんなら泳いでも大丈夫。泳がないけど。


「ふあー、いいお湯だ」


「そうですね」


 お湯加減も絶妙だ。

 太陽は沈み空を見上げると夜空が広がっている。海の近くということもあってか、夏だというのに少し肌寒い。が、お湯に浸かっているとそれも気にならない。

 油断しているとずっといてしまいそうだ。


 暫し浸かっているとちょっと熱くなる。せっかくの露天風呂をこれだけで終わらせるのは勿体ないと思い、俺は一度お湯から出て岩場に腰掛ける。

 夜の風が肌を撫でる。程よい冷たさが気持ちいい。


「春吉。いいモン持ってんなぁ」


「いいモン?」


 急に何を言い出すんだろうと圭介さんの方を見ると、彼は俺のある部分に視線を向けていた。

 具体的な部位を言うならば股間だ。


「なに見てんすか!」


 俺は慌てて自分の股間を隠す。


「なに恥ずかしがってんだよ。男同士だろ?」


「男同士でも恥ずかしいでしょ」


「修学旅行とかでチ○コ比べしなかったのか?」


 まじかよ、と圭介さんは目を見開く。そんな驚くことか?

 陽キャはお風呂でお互いのブツを見せ合うのかよやべえな陽キャ。陰キャで良かった。

 

「しませんでしたけど?」


「え、嘘だろ。じゃあ友達と銭湯行ったときは? さすがにチン○比べしただろ?」


「してませんが?」


「お前ら銭湯行って何してんだよ」


「こっちのセリフなんですが?」


 わなわなと唇を震わせながらマジトーンで言うものだから俺のツッコミも強くなってしまう。


「俺なんか一人で銭湯行ったときでも周りのオッサンと○ンコ比べするぞ?」


「まじで何してんだよこの人」


 しまった。

 ついに敬語まで抜けてしまった。


「と、まあ、冗談はさておき」


「冗談……」


 そうは聞こえなかったが。

 一体どれが冗談だったんですかね。


「そんなこと気にしてるとせっかくの露天風呂を楽しめねえぞ? 見てみろ、オレはなにも隠さねえぜ!」


 圭介さんは大の字に体を広げて何も隠さずすべてを曝け出した。最初のときに感じた歳上のお兄さんというイメージはなくなってきた。


 なんというか、親しみやすい同い年って感じだ。もちろんいい意味でだけど。

 俺が気を遣わないでいいように歩み寄ってくれているのかもしれない。ほぼ初対面だというのに気疲れしないのだ。


「……圭介さんのも結構立派では?」


 お湯の中でゆらゆらと揺れる圭介さんのソレを見ながら言う。

 すると圭介さんはニィっと笑って立ち上がる。その手は腰に当てており、タオルで前を隠すこともせずにすべてを曝け出したまま仁王立ちする。

 

「ハッハッハ、言うじゃねえか。それじゃあここで本格的にチンコ比べといきますか!」


「いや、いきませんよ」



 *



 春吉と圭介があれやこれやと二人で盛り上がっている一方その頃、女性用大浴場では夢のような光景が広がっていた。


 男ならば一度は覗いてみたいと夢見るアイドルの湯浴みシーンである。今の時代、水着を下に着けてタオルを巻いた状態の入浴シーンでさえテレビではあまり見れない。


 にも関わらず、今そこに広がっているのは水着どころか一糸まとわぬ姿でいるアイドルたちである。


 先に体を洗い終えた宮城晴香は湯船に一人浸かり、夜空を見上げる。点々と星が散らばっているが、所詮肉眼では視認できないのでチカチカとなにかあるなあ程度にしか思えない。


 晴香からすれば星などどうでもよく、夜空を見上げながらこうしてお風呂に入っていること自体が幸福なのだ。


「広いお風呂だよね」


 すると、次に体を洗い終えたであろう牧園由希奈が感心の声を漏らしながら湯船に足を浸ける。

 彼女としては少しお湯が熱かったのか、それとも少し驚いただけかはわからないが、ぴくりとお湯につけた足を一度引き、恐る恐るといった調子でもう一度入る。


 体が熱さに慣れたのか、肩まで浸かった由希奈は「ふひぃ〜」と間の抜けた声をこぼす。


 晴香はちらと由希奈の方を見やる。

 今日一日炎天下の中にいたというのに日焼けの欠片も見えない白い肌。けれど病的というわけでもない健康的なものだ。

 彩花や麻莉亜のように胸が大きかったりするわけではないが、その分スレンダーで足が長い。

 彼女が水着グラビアよりもファッション誌でのグラビアが多いのはそちらの方が彼女のスタイルが映えるからだ。


「なに?」


 晴香の視線に気づいた由希奈が不思議そうに訊いてくる。

 今日一日遊んだとはいえ相手はアイドルだ。どうしても気後れしてしまう。


「あ、いや、スタイルいいなぁと思って」


 笑いながら誤魔化すように言う。


「そりゃ、それなりに努力してるからね」


 すると、由希奈はふふんと自慢気に鼻を鳴らす。

 もちろん、何の努力もなしにあんな体型を維持できるとは思っていない。気になるのはその努力の量だが訊くのはそれはそれで恐ろしい。


「仕事だし、やっぱ気にしますよね」


「別に仕事は関係ないって。トレーニングとかしてればあんまり太ることはないしね。由希奈としては、圭ちゃんに可愛いって思ってもらえることが全てなの」


 うふふ、と恍惚な表情を浮かべる。

 その様子はどこか春吉のことを話す詩乃と重なった。部分部分は異なるものの、好きな人のことを思うところは同じだ。

 あと、ちょっと変態染みてるところとか。


「アイドルが彼氏作るとか引く?」


「いえ、そんなことは」


 引く、というわけではない。

 しかし驚くのも事実だ。暗黙の了解的な意味でアイドルは恋人を作らないものだとばかり思っていたから。


 だから最初に由希奈と圭介を見たときは言葉も出なかった晴香だが、今ではそれも納得している。


 由希奈は圭介のことが好き。彼女はアイドルである前に一人の女の子だということだ。

 アイドル失格だと言われればそれまでだが、明かされない方がいい真実やついたほうがいい嘘というのはきっとある。


 そして、これがそれに分類されるのだろう。


 そうなると、晴香としては気になることが一つある。


「あっつ! ちょっとお湯熱くない?」


「露天なんだし、これくらいがいいんじゃないかしら」


 由希奈のようにお湯の熱さに驚きながらも入浴する詩乃と彩花に視線を移す。


 詩乃の春吉に対する気持ちはきっと特別なものだ。それは傍から見れば明らかに恋心というものなのだが、なにぶんお互いに恋愛経験がないからかそれをハッキリと認識していない。


 それに加えてアイドルと一般人という関係から、春吉サイドに後ろめたさのようなものが生まれている。


 そういう、ごちゃごちゃした事情が二人の関係の進展を阻んでいるが、近くにその事情などお構いなしにラブラブするカップルがいるとなると、意識はどう変わるのか。


「ねえねえ、詩乃」

 

 熱さに耐えるように表情を歪ませる詩乃の名前を由希奈が呼ぶ。返事こそなかったものの、詩乃はちらと由希奈の方に視線を向けた。


「わざわざ部屋交代までしてハルくんと同じ部屋になったってことはもしかして襲ったりしちゃうの?」


 その唐突でその上核心を突くような由希奈の質問に、晴香も彩花も、何ならまだ洗い場にいる麻莉亜や京佳でさえも一瞬動きを止める。


 牧園由希奈。

 空気が読めないのか、あるいはそもそも読むつもりがないのか。

 いずれにしても誰もが気にしながらも、訊こうとしなかったそれを詩乃に突きつけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る