第35話


 総当たり戦初戦。

 コート内は異様な緊張感が支配していた。

 これは遊びであって、遊びでない。


 俺と北条さん。

 対。

 彩花さん、京佳さん。


 ここで負けるようなことがあれば、彩花さんのチームの優勝が現実味を帯びてくる。

 逆に言えば、もしこの試合で勝利を納めることができれば彩花さんは優勝から遠のき、さらに俺が優勝に一歩近づく。


 優勝、か。


 もしそうなったらどんな命令を下そうか。彩花さんの横暴な要望が通るようなラインだし、わりと無茶苦茶な要求でも受け入れられる気がする。


 アイドルを前に何でもお願い聞いてもらえるって悪魔の囁きすぎない?

 煩悩に支配されない男いる?


 いやいや、今はそんなことを考えている場合ではない。

 気を引き締めろ。

 今は何を考えたって取らぬ狸の皮算用だ。一瞬の油断が、慢心が敗北のきっかけとなる。


「先攻後攻はじゃんけんでいいかしら?」


「かまいませんわ。さっさと決めてしまいましょう」


 ネットを挟み、彩花さんと北条さんがじゃんけんを繰り広げる。三度のあいこを経て、北条さんが先攻を勝ち取った。


 短期戦である以上、先攻が有利だ。

 バレーでは得点を決めればもう一度続けてサーブを打つことができるが、今回はどうあれサーブ権は交互に入れ替えることにした。


 先攻のチームがそのままストレートで勝ってしまうという展開を危惧してのことだろう。


 それでも、先攻を取れたのは大きい。スポーツには試合の流れというものがある。勢いに乗れば逆境だって覆せることは数多くの漫画で証明されている。


 まずは俺たちの流れを作るんだ。


「では、あなたがサーブを打ってくださいます?」


「え、俺ですか?」


 てっきりこのまま北条さんが打つものだと思っていたので俺はオウム返しをしてしまう。


「ええ」


 特に理由を話すわけでもなく、北条さんはコートの前のエリアに向かう。そんな彼女にこれ以上のことを言うのは憚られ、俺は大人しくボールを持ってコートの後方ラインに立つ。


「……」


 ちなみにバレー経験はほとんどない。体育で何度かしたことあるけど、あんなの結局バレー部が活躍して終わるし。

 まして、俺のような特別運動神経がいいわけでも陰キャは極力邪魔にならないよう最低限の登場で済ませてしまう。


 そもそもサーブが相手コートに入ってくれるのかという疑問がある。イメージ的にはジャンプサーブが強いけどあれは素人には無理だろうし。

 一番確率の高いアンダーサーブで無難に入れるか。


 俺はボールを軽く投げ、下から掬い上げるように振った腕でボールを相手コートに放つ。

 危うい軌道ではあったけれど、かろうじてコートの中に入ってくれそうだ。


「京佳ちゃん!」


「は、はい!」


 アンダーサーブはジャンプサーブほどのスピードも勢いもない。つまり、落下地点を容易に想像でき、そこに回り込むことも容易いのだ。


 京佳さんは落下地点に入り、レシーブでボールを上げる。それを彩花さんがトスで繋ぎ、京佳さんがタイミングを合わせてジャンプする。


「来ますわよ!」


「は、はい!」


 素人か疑うアタックを打ってくる京佳さん。場所もしっかりと狙ったのか、俺たちは反応することができなかった。


 一点があちらに入る。

 それだけでなく、サーブ権も相手に移ってしまう。


 もしここでさらに追加点を取られるようなことがあれば、この試合の流れは完全に相手に掌握されることになる。


 それは阻止しなければ。


「行くわよ」


 ボールを持った彩花さんがまるで獲物を狙う雌豹のような表情を見せる。その瞬間にぞわり、と背中に悪寒が走った。


 彩花さんはボールを前方向高くに投げる。

 そして軽く助走をつける程度に走り出す。


 嘘だろ。

 ちょっと待ってくれ。


「ジャンプサーブ!?」


 俺が声を上げた次の瞬間、ボールは俺たちのコートの地面に叩きつけられていた。


 ……嘘だろ。


 彩花さんの胸、めちゃくちゃ揺れてやがった。

 そりゃあれだけのものをお持ちで激しい動きをすれば揺れるだろうけど。水着は下着に比べても固定する力は弱いから仕方ないけど。


 視線が吸い寄せられていた。


 その結果、気づけば相手に点を取られている。

 くそ、男の本能を刺激してくるとか、卑怯な手を使ってきやがる。


「……やりますわね」


「そう、ですね」


 冗談はさておき、冗談なのかどうかもさておき、それを抜きにしても正直反応できたかは危うい。


 これで相手は二点。

 対してこちらは未だ無得点。


「次で取り返しますわよ」


 ボールが北条さんに渡る。

 彼女が相手の勢いを絶ってくれることを信じよう。

 大丈夫だ、ボールを構えるその風格はまさにプロバレー選手そのもの。


 風を感じているように目を瞑っていた北条さんがカッと目を開く。


 そして、ボールを天高くに放り投げる。


「これはッ!」


 ジャンプサーブ!?

 まさか北条さんも打てるというのか。


 高くに上がったボールがやがて落ちてくる。それに合わせて北条さんがタタタと軽やかな走りを見せた。


 そして、足に力を込めて思いっきりジャンプする。砂浜で通常よりも飛びにくいこの状況でも関係なく華麗なジャンプを見せてくれた。


 そして、同時に彩花さんに負けず劣らずの胸の揺れを見せつけてくる。さすがはグラビアペアだ。プレイとは全然関係ないところで俺の視線を釘付けにしやがる。


「……っ」


 俺が胸に視線を奪われてしまった瞬間、俺は思いも寄らない光景を目の当たりにした。


 スカ。


 と。


 空を切る北条さんの手。


 無惨にも地面に着地するボール。


「え」


 この人ジャンプサーブ失敗した。


 いや、確かに難しいから失敗する可能性はあるだろうけど。


「おかしいですわね。理論上では問題なく打てるはずでしたのに」


「北条さん、バレー経験は?」


「ありませんわ」


「ないの!?」


 さっきのオーラは何だったんだよ。

 顎に手を当て、むむむと難しい顔をする北条さんに何と言えばいいのか分からず俺はぐぬぬと唸ってしまう。


「サーブは二回失敗したら終わりよー?」


 あちらのコートから彩花さんが言ってくる。そういえばそんなルールもあったな。


「次こそは」


「次もジャンプサーブするんですか!?」


「もちろんです」


「経験ないのにですか?」


「そうですが?」


 何言ってんだお前みたいな顔をしてくるけど、その自信どこから湧いてきてるの?


「なんでそこまでジャンプサーブにこだわるんですか。とりあえず相手コートに入れることを考えた方が……」


「彩花さんがあそこまで華麗なサーブを見せたのです。北条の人間として負けるわけにはいきません」


 言いながら、スタンバイする北条さん。構えがもうジャンプサーブのそれだった。


「いや、多分彩花さんは経験者ですよ!」


「関係ありませんわッ!」


「あるよ!」


 俺の制止などお構いなしに北条さんはさっきと同じように高くボールを放る。

 それに合わせて綺麗なジャンプを見せる。大きな胸を張り、背中をしならせ、まるで半月のように体を曲げる。


 これはまさか……イケるか?


「……っ!」


 歯を食いしばり、勢いよく腕を振り下ろす。


 果たして……!

 

 スカ。


「ダメじゃん!」


 なんだよこの金髪巨乳女、まさかあんな格好いいこと言っておきながら俺に勝たせるつもりないのか?


「どうしてッ」


 むきーっと怒りを顕にする。

 あれは本気の悔しがり方だ。負けず嫌いが最悪の方向に働いているだけだ。


「残念でした」


 その後も特に何かあるわけでもなく、普通にストレートで負けた。


 今のところ特に何かが懸かっているわけでもない北条さんがすげえ悔しがっていた。


 大変だな、北条の人間って。

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