第29話


 揺れる車内。

 車窓から外を見やれば、目まぐるしく景色が変わっていく。あまりの気まずさに視線を逸らしていた俺は意を決して再び向き直る。


「……」


 宮城彩花さんがやはり俺を見ている。

 まるでアサガオの観察でもするような興味なさげな顔で、しかし俺から視線は外さないでいる。


 そういえば以前、宮城が姉である彩花さんが俺のことを訊いてきたとか言っていたような気がする。

 それが関係あるのか?

 彼女は俺のなにかを気にしているのか?


 話しかけるべきか、あるいは否か。

 そもそも俺ごときの人間がアイドルに話しかけてもいいものか?

 何か話そうものなら「庶民であるあんた如きがなに?」とか言われないだろうか。


 ていうか、お前らが仲を取り持てよ。

 なんでこっち放ったらかしで盛り上がってんだよ。


 俺は恨めしい思いを込めて隣で盛り上がる詩乃と宮城を睨む。


 そのときだった。


「ねえ」


 暫くの無言をようやく破ったのは宮城さんだった。ぽつりと俺に向けられたであろう言葉に「あ、はい」とびくびくしながら応える。


「そんなビクビクしないでよ。取って食おうってわけじゃないんだし」


「そ、そですね」


 そう思ってしまうほどのオーラというか、威圧感のようなものは放っていたのだが。


「私、あなたのことなんて呼べばいいのかしら? 一応、詩乃からいろいろと聞いてはいるのだけれど」


「あ、自己紹介が遅れました。詩乃さんとよくゲームをさせていただいております、九澄春吉といいます。どうぞ、お好きに呼んでください」


 しまった。

 自己紹介とかちゃんとするんだった。芸能界は挨拶とかしっかりしないといけないとかなんとか言われてるって聞いたことがあるようなないようなもう分からないけどとにかく俺がやらかしたことだけは何となく分かる。


 俺がテンパりながら早口に言うと、宮城さんはぷっとおかしそうに吹き出した。


「そんなかしこまらなくてもいいわよ。これから一緒に楽しもうっていうんだし。それじゃあ春吉くんって呼んでもいいかしら?」


「も、もちろんです。恐悦至極です」


「私のことは彩花でいいわ。晴香もいるし、名字だとややこしいでしょ」


「分かりました。そうさせてもらいます」


「ちょっと移動しない? ここじゃ隣がうるさくてゆっくりお話もできないし」


 隣では詩乃と宮城が相変わらずの盛り上がりを見せており、こちらの会話になど耳を傾けている様子はない。

 俺は静かにこくりと頷き、二つほど離れた席に移動した。


 夏休みにも関わらず、たまたまこの時間の利用者が少なかったのか車内に人の姿はほとんどなかった。


 ちらほらと人はいるが、あっちはあっちでこれから旅行に行くのか盛り上がっている様子。なので詩乃たちのうるささもそこまで気にしていなさそうだ。

 まして、同じ車内にアイドルがいることには気づかないだろう。


 移動した席は二人がけのもので、窓側に座った彩花さんの隣に腰掛ける。無意識に座る際にぺこりとお辞儀していたことに気付く。


「春吉くんは晴香とも仲良くしてくれてるみたいね?」


 俺が座ったことを確認して、彩花さんはそんな話をしてくる。

 わざわざ俺をここに呼び出すくらいだし、何かしら気になることはあるんだと思うけど。

 

「そうですね。同じ穴のムジナ的な理由で仲良くしてもらってます」


「どういうこと?」


「その、有名なアイドルと繋がりがあるけどそれを隠してる的な意味です」


 俺が説明すると、彩花さんはああねと納得した。どうやら宮城が学校では秘密にしていることは知っているらしい。


「それでか。何ていうか、これは別に失礼な意味ではないんだけど、晴香とは違うタイプの子だから不思議に思ってたのよね」


 陽キャと陰キャと言いたいわけですねわかります。それにそれは俺だって思ったことのあることなので指摘されても気にならない。


「晴香さんと話していて、自分でも思います。多分、こういう理由がなければ卒業まで関わることはなかったですね」


 それはいい意味でも悪い意味でもなく、ただの事実だ。もともと繋がることのない関係だったのだ。

 それが何の因果か、あの日交わった。ある意味運命のような出会いというか、発覚だ。


「春吉くんは学校では大人しい子って聞いてたけど」


「ええ」


 間違いはない。

 大人しい、というのはいささか良く言っているように聞こえるが。


「彼女とかはいないの?」


「いませんよ。晴香さんの言うとおり、恥ずかしながら友達すらロクにいません」


「けれど、聞くところによるとユーチューブ界隈では割りと人気者らしいじゃない?」


 そこまで知っているのか。

 まあ俺との関わりを掘っていけば自然とそこに辿り着くので仕方ない。俺と宮城の約束としても彩花さんは例外だろう。


「それは学校では秘密にしてるので」


「へえ。言えば人気者になれるのに?」


「人気者になりたくないというか。あんまり目立ちたくないというか」


 そのくせそれなりの承認欲求は持っているのだから、面倒くさい野郎だと我ながら思う。


「それに、俺がユーチューバーのハルだということがバレれば必然的に詩乃との関わりもバレます。そうなると命がいくつあっても足りない」


「そうなることは予想できるんだ?」


「そりゃ、まあ」


 もし立場が違っていたら、どこぞの誰かと自分の推しである大人気アイドルが付き合っているという話を耳にすれば嫉妬の炎で焼かれてしまうに違いない。


「なら、その上で訊くけれど、詩乃と恋愛的なお付き合いをしたいとは考えてないの?」


 さっきまでの軽い調子ではなく、どこか深刻な、あるいは真剣な口調で彩花さんは訊いてくる。


 彼女の雰囲気の変わりように、ああこの人が気にしていたのはこれか、と内心で合点がいく。


 得心した俺はしかし答えを出すのに少しだけ時間がかかる。


 俺にとって笹原詩乃は雲の上の存在だ。彼女は誰もが知る大人気アイドルで、対して俺はどこにでもいる平凡な一般人。


 本来ならば繋がるはずのない線と線が奇跡的に交わって、今の関係が生成されたわけだけれど、それでも根本的な関係性は変わらない。


 俺みたいな男が、詩乃に恋心を抱くこと自体が身の程知らずというもので、俺だって叶わぬ恋をするほど無謀ではない。


 が。


 しかし。


 否である。


 以前、詩乃が言ってきた。

 自分の中のどきどきがどういうものなのかを知りたい、と。

 そして、俺の中のどきどきが何なのかも知りたいと。


 もしもその言葉に、僅かでもそういう意味が含まれているのだとしたら?


 もしも彼女に恋心を抱くことが、どうしようもない無謀なことではなかったとしたら?


 大前提が覆ったそのとき、果たして俺は彼女に対して恋愛感情を抱かないと言い切ることができるだろうか。


「……今のところは何とも。ただ、この先何がどうなるかは分かりません。だから、断定はできないです」


「相手はアイドルよ。そんな子とお付き合いするということがどういうことか、分かってる?」


「もちろんです」


 何千、何万、いやもっと、それ以上いるであろうファン全員を欺くことになる。

 嘘をつき続けてアイドルをしていくことに、詩乃が後ろめたさを覚えるかもしれない。

 もしもバレてしまったときにどうなるかなんて恐ろしくて考えたくもない。


 けれど、付き合うというのはそういうことだ。そういう不安や恐怖と向き合って、ぶつかって、受け入れて。そうやって決めるものなんだ。


「ま、今は何とも言えないと考えてる君にこれ以上訊いても酷よね。別に、私はそれを否定してるわけじゃないのよ」


 彩花さんは窓の外に視線を移す。その横顔はやはり真剣で、俺はそこから目を逸らせなかった。


「ただ、それがどういうことなのかっていうのを理解してるのか気になってた。何の覚悟もなく、ただ一時の感情で動くような男ならここで鉄拳制裁でも加えていたわ」


 ただ、と彩花さんは俺の方を見る。くすりと笑うその顔は、さっきよりも和らいでいるように見えた。


「そうじゃなかったみたい。詩乃や晴香から聞いていたとおりの、真面目すぎる男の子だったわ」


「……褒められてますかね、それ」


 彼女は俺の言葉を肯定も否定もしてこなかった。

 

 そのとき、バタバタとこちらに駆け寄ってきた詩乃が乱入してくる。


「ちょっと彩花。わたしのハル様とツーショットトーク決め込むとかどういうつもりなわけ!?」


 むすっとしながら、けれど声色に怒気はなく、詩乃は相変わらず高いテンションで言ってきた。


「ごめんごめん。詩乃と晴香があまりにもうるさかったから、ハル様借りちゃった」


 そんな詩乃に、彩花さんはおどけた調子で返す。


「レンタル料もらうからね」


「……俺は別にお前の所有物じゃないぞ」


 詩乃に連れていかれる彩花さんを追って、俺も立ち上がる。どうやらあちらもある程度話して落ち着いたようだ。


 戻り際、彩花さんがこちらを振り返る。


 そして。

 

「言っておくけど、私は君たちを応援するつもりはないからね?」


 そんなことを言ってきた。

 あくまでも軽口でも言うような言い方だったが、それが彼女の本音だということは何となく伝わった。


「なんの話?」


「なんでも」


 仲良さげに笑い合う二人を見ながら、俺はみんなのいる席に戻っていった。

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