第二章

第28話


 八月上旬。

 目を覚ますとセミの鳴き声が嫌でも耳に入ってくる。エアコンの効いた部屋の中は快適でも、一度外に出てしまえばまるで重力変化でも起こったのかと思うほどに体が重たくなる。


 夏休みが始まり少し経つ。

 既に課された宿題は終わらせてある。つまり残された休みを俺は最大限にエンジョイするだけという状態だ。

 昼前まで寝て、適当に飯を食い、一日の仕事を可能な限り終わらせてゲームに没頭する。


 そんな日々を過ごす俺の生活サイクルは確実に狂っていくわけだが、カレンダーに書いてある『旅行』というスケジュールに合わせてそれを直していく。


 そしてその日。

 つまり旅行当日。

 これから二泊三日の旅行に向かう。


 勝手に一泊二日だと思い込んでいた俺は詩乃からの『なに言ってるんですか。二泊三日ですよ』という冷たいツッコミに驚いた。


 グループ全員がよく三日間も予定を合わせれたものだな、と感心してしまった。


 大人気アイドルとはいえ、彼女たちも人間だ。ときには羽休めの時間も必要なのだろう。


 北条麻莉亜のプライベートビーチ、もとい別荘での現地集合らしく、とはいえそんな場所に一人で向かう勇気はなく、俺は詩乃と一緒に行くことにしたのだが。


 幾つかの線が連絡している大きな駅のホーム、そこが詩乃との集合場所だったのだが。

 

「あ、やっぱ九澄も来たんだ」


 詩乃との集合場所に行けば、そこにいたのは大人気アイドルではなく庶民的クラスメイトだった。


 どうして宮城がここに? と、なるほど俺も鈍感ではない。彼女の姉は宮城彩花だ。つまり俺のような理由で恐らく今回のお呼ばれに参加したのだろう。


 たまたまこの場所に別の用事で待っていた、というのはさすがに偶然過ぎる。であれば、同じ目的地である方がよほど有り得る。

 

 いや、でも待て待て。

 ここは俺と詩乃の集合場所だ。だとして彼女がここにいるのはおかしいではないか。


「なんでここに?」


「多分九澄と同じ理由だと思うよ。お互いアイドルの繋がりがあってラッキーだったね」


 にこにこと朝から上機嫌な宮城晴香は予想通りの言葉を告げてくる。しかし俺が知りたいのはそこではない。


「それは俺も何となく理解したよ。訊きたいのは、どうしてここにいるのかってこと」


「聞いてないの? あたしらも一緒に行くんだよ」


「あたし?」


 とは言うが、そこにいるのは宮城一人だけだ。言われてもう一度辺りを見渡すがやはり誰もいない。


「あ、お姉ちゃんならそこのコンビニに行ってるよ」


 俺が宮城彩花の姿を探していることを察したのか、訊く前に疑問を解消してくれる。


「……一緒に行くって、その、別荘まで?」


「そ」


 ほんとに何も訊いてないんだねー、と興味なさそうに呟きながらスマホをいじり始める。


 俺に対してもそこまでの興味がないことが伺えるが、それくらいがちょうどいいと毎度思っているので今更何もない。


「詩乃は?」


「お姉ちゃんと一緒にコンビニに行ってる」


 スマホに視線を落としながら答えてくれる。

 

「あ、俺が最後なんだ」


「男なのにね」


「別に性別は関係ないだろ」


 俺はスマホをいじることこそしないが、宮城の隣に移動し壁にもたれかかる。


「ていうか、詩乃って呼ぶんだ?」


 指摘されて、俺はしまったと自分の失言に気付く。あんまり人前でその呼び方はしない方がよかったか。


 しかし、こういった機会もある以上いつかはバレる。人前では彼女を『笹原さん』と呼べばきっと不機嫌になるだろうし。


 その辺のことをもう少ししっかり考えておけばよかった。


「……まあ、一応ゲーム仲間だし」


 言い訳としては十分だろう。

 彼女のプレイヤーネームは基本的に『SHINO』だからそう呼ぶようになっても不思議ではない。


「ふぅん。ま、そういうことにしといたげる」


 そういうことでしかないんだよ、と言い切れないことに俺はぐぬぬと唸りを上げてしまう。


 俺と詩乃の関係は一言で表すには少し複雑というか、面倒だ。

 友達とは少し違う気がするし、ゲーム仲間というのはしっくり来るが今となってはそれだけでは済まないようにも思える。


 今の俺たちを表現する言葉は何なんだろうか。


「しっかし、クラスメイトが知ればどう思うだろうね。今のあんたの状況」


 笹原詩乃どころかそれ以外のアイドルと一緒にプライベートビーチで遊んだ上に別荘にお世話になるというこの状況をクラスメイトが知ったらどうなるかだって?


 そんなもん殺されてもおかしくないに決まってるだろ。


「絶対に言うなよ」


「分かってるよ。あたしだって自分の立場はシークレットなんだから」


 あまり意識しないようにしていたけど、今日は詩乃以外のグループメンバーがいる。

 詩乃が現在身近にい過ぎて感覚がマヒしているがアイドルを目の前にしてどうすればいいんだろう。


 緊張が強まってくる。


「周りがアイドルばかりだって状況のことを思うと、宮城がいるのは少し安心するな」


「……急になにさ」


 言葉を詰まらせた宮城がそんな返事をしてきた。


「いや、何となく。庶民仲間がいるのは落ち着くなって」


「アイドルじゃなくてすみませんねえ」


 嫌味でも言うような調子で宮城は吐き捨てる。別にそういう意味で言ったわけではないんだけど。


「あ、ハル様!」


 そんな話をしているとコンビニに行っていた二人がようやく戻ってくる。俺の姿を発見した詩乃がぶんぶんと手を振りながらこちらに駆け寄ってくる。


「おはようございます。ハル様、お腹空いてませんか? 一応、いろいろと買ってあるので良かったら一緒に食べましょう」


 白のワンピースに麦わら帽子という、ひまわり畑とかにいそうな夏らしい服装の詩乃から視線を逸らす。


「あ、ありがとう」


 どうしてか、威圧感のようなものを感じたからだ。獲物を狙う肉食動物に睨まれる小動物はこんな気分なのかと思う。


「こら、詩乃。あんた、一応アイドルだってこと自覚しときなさいよ。周りの人にバレたら面倒なんだから」


 タンクトップにフレアスカート、サングラスで顔を隠すのは宮城晴香の姉である宮城彩花だ。

 グラビアなどの写真で見たことはあるが、実際に目にすると言葉を失う。高い身長、大きな胸、くびれたウェスト、スラッとした脚。どれもパーフェクトと言わざるを得ないクオリティだ。


 そんな人に、どうしてか俺は睨まれている。


「……」


 正確に言うならば睨まれてはいない。ちらと見られたときに俺がそう感じただけだ。


 結局、その謎は解明されないまま電車が到着したので俺たちはそちらに向かう。

 

 そういえば宮城は詩乃推しとか言っていたが、大好きな推しを前にしてテンションが上がっている。

 おもちゃを与えられた子供のように目をキラキラと輝かせながら詩乃との会話を楽しんでいる。


 電車に乗り込んだ俺たちは四人がけの席に腰掛ける。俺と詩乃、宮城姉妹が隣り合わせて座ったところまではよかったのだが、詩乃と宮城が二人でマシンガントークをかますものだから、俺と宮城彩花さんが取り残される。


「……」


「……」


 これ、どうすればいいんだ?

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