第27話
「手を繋ぎましょう」
無事水着を買ったところで、あとは旅行に必要な日用品なんかを見に行こうということになった。
俺は家族以外と旅行に行った経験は学校行事でしかなく、むしろ家族旅行とかもあまりなかったので、プライベート旅行は本当に久しぶりだった。
なので、何が必要で何が不要なのかという判断がいまいち出来ないでいたので、その辺も含めてぶらぶらすることにした。
のだが。
「なんで」
突然の提案に俺は動揺する。
女の子から急にそんなこと言われれば誰だってそうなる。繋いだことはあるけど、いざ面と向かって言われればそりゃ緊張する。
「繋ぎたいからです。それと、試したいこともあるので」
「……まあ、いいけど」
手を繋ぐと当然だけど歩きにくいんだよなあ。でもそれを断る理由にするには少し失礼な気がするので言いはしない。
それと、試したいことってなんだ。
相手の左手に対して俺は右手を差し出す。それを確認した詩乃は俺の手を繋いできた。
ただ重ねるだけのものだと思っていた俺は、指と指の間に詩乃の指が入ってきて驚いた。
しゅるりと侵入してくるものだから、俺は思わず出そうになった声を抑える。
「なんでそんな繋ぎ方」
「だめですか?」
上目遣いにそんな言い方をされれば断れるはずもなく、俺は「別にダメではないけど」と返す他なかった。
そんな状態で暫く歩く。
周りからの視線が気になった。実際に見られていたかは分からないけど、見られているような気がしてならなかった。
隣を歩くのはアイドルだ。笹原詩乃と認識されていなくても、可愛いことは分かるだろう。
そんな子と手を繋いでいるという状況に緊張してしまう。よくよく考えると大胆過ぎない?
コソコソすると怪しまれるから、逆に堂々としていれば気にされない。ということらしいが本当にそうなのか疑問である。
「ハル様」
「なに?」
視線は前を向いたまま、俺にしか聞こえないくらいの声で話しかけてくる。
「どうですか?」
「どうですか?」
急にそう訊かれてもどういう意味なのかいまいちピンとこない俺はオウム返しをしてしまう。
「手を繋いで、どきどきしますか?」
訊けば、そんなことを言ってくる。
どきどきするかと言われればそんなの当たり前である。こういった経験のない俺からすれば緊張はするに決まっている。
手を繋がなくとも、既に心臓はいつもより鼓動が速い。
「当たり前だろ。アイドルとこうして歩いてるだけでも、普通に緊張するわ」
何となく周りには聞かれないように配慮した方がいいのかな、と俺も詩乃に合わせて小声になる。
「そういうことじゃないです。こう、なんと言いますか、緊張じゃなくてもっと恋愛的な意味のです」
「恋愛的……」
どゆこと?
と、俺はもう一度詩乃の言葉を復唱する。つまり異性といるときのどきどきかどうかを言っているのか。それって緊張とは別物なのか?
俺のこれは恋愛的などきどきなのか、それとも単純に緊張なのか、それは正直分からなかった。
「分からない」
「分からない?」
「心臓は確実にいつもより速く動いてる。でもこれが緊張から来るものなのか、詩乃の言うような恋愛的なものなのか、判断がつかないんだ」
誤魔化す意味もないので、俺は自分の考えを正直に伝えた。それに詩乃は少しだけ難しい顔をする。
だから、逆に俺は訊いてみる。
「詩乃はどうなんだよ?」
そう訊いて、詩乃に「恋愛的な意味でどきどきしますよ」と言われてもどうリアクションすればいいか分からないが。
「わたしは……」
言って、詩乃は表情を翳らせる。
彼女の意外な反応に俺は言葉をかけることができなかった。
上手く言葉を吐くことができず、詩乃の言葉をひたすらに待つ。
「……どうなんでしょう」
そして、にへらっとぎこちない笑顔を浮かべる。いつも俺に見せるものとは違うことは分かる。
「どうなんでしょうって」
「お恥ずかしい話ですが、わたしもこれまで恋愛という恋愛をしてこなかったので、好きという感情を理解できてないんです。ハル様と同じですね」
あはは、と詩乃は乾いた笑いをこぼす。
「だから、このどきどきがどんな意味を持っているのかわたしもまだ分かりません」
同じか。
これだけ可愛い女の子でもそういう悩みを持つんだな。アイドルは恋愛御法度というイメージはあるが、詩乃 だってアイドルになる前は普通の女の子だったはずだ。
そのときに恋愛とかしなかったのか。告白とかされなかった、なんてことはないだろうに。
けれど、人間踏み込んでいいラインというのがある。詩乃にとってのその線が俺にはまだ分からないでいた。
だから、俺は彼女に何も言うことはできなかった。
何も言えないでいる俺に、詩乃は「ただ」と付け加える。
「わたしはこのどきどきが何なのかを知りたいと思っています」
詩乃は配信者のハルを崇拝していて、俺への態度も尊敬の気持ちがあってのものだ。
それはもしかしたら友情や愛情とは別のものなのかもしれない。
けれど。
もし。
詩乃の中にあるのが、尊敬や崇拝というようなものではなく、もっと庶民的な、当たり前のように人が人に抱く好きという感情だったとしたら?
彼女は何を願うんだ?
そのとき、俺は?
「……俺はそれにどう返せばいいんだ?」
どう言えばいいのか分からず、おどけた返事をしてしまう。詩乃はそんな俺ににこりと笑いかけてくれる。
「それはハル様次第です。もし二人が同じ気持ちを抱くようなことがあるとすれば、そのときはもしかしたら何かが変わるかもしれませんね」
「……アイドルなのに?」
その言葉に、詩乃は何も言わなかった。
アイドルとしてのあるべき姿。
それは彼女自身も分かっているのだろう。
けど。
今すぐに答えを出す必要はないのかもしれない。
もしも、そのときが来るようなことがあれば、そのときに彼女が決めることだ。
「さて、少し疲れたのでお茶でも飲みましょうか」
変な感じになった空気をリセットするように、詩乃が提案してきたので俺はそれに従う。
「そうだな。甘いものでも食べようか」
しかし。
けれど。
この日、俺たちの関係は決定的に変わった。否、この日確かに変わろうとしていた。
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