第9話
「じゃあこういうのはどうでしょう」
ナゲットを食べ終え、シェイクを手にした笹原さんがさらに続ける。議題は引き続き、彼女の呼び方についてだ。
「ハル様はどうしてかわたしのことを詩乃ちゃんと呼ぶことに抵抗があると」
「まあ。歳上だし、ちゃん付けはちょっとね」
「ファンの方は詩乃ちゃんって呼びますよ」
「ファンはファンだよ」
「え、ハル様ってわたしのファンじゃないんですか?」
「話が逸れるよ?」
おろおろと分かりやすく動揺する笹原さんにぴしゃりとツッコむ。
ファンかどうかと言われるとファンだろうけど、そこで肯定すると「ならちゃん付けも問題ありません!」とか言ってきそうだ。
「おっとそうでした。わたしとしてはさん付けも如何なものかと思っています。ぶっちゃけ今の笹原さんという呼び方はパーフェクトに難色を示しています」
「そ、そうなんだ」
まあそうなるか。
「そこでですよ。わたしってゲームの名前とか基本的に実名でプレイしてるじゃないですか」
「そうだね。ローマ字にしてるけどね」
笹原さんは『SHINO』という名前でプレイしている。しのでもシノでも詩乃でもない。恐らく海外のプレイヤーでも読めるように的な配慮なんだと思う。
「そうなんです。なので、そういう感じで呼んでみるのはどうでしょう?」
「んん、どういうこと?」
「詩乃って呼ぼうとするから照れるのなら、ローマ字のSHINOって感じで呼べばいいのではないでしょうか?」
「違いが分からん」
「ゲームのときは詩乃って呼んでくれてたじゃないですか」
「まあ、名前が詩乃だったからね」
「それと今となにが違うんですか!?」
「ゲーム中か否かですけど!?」
「ああ、もうわかりました!」
ああ言えばこう言うこう言えばああ言う論争が続いた結果、ついに笹原さんがしびれを切らす。
まあ、どちらかが折れる以外に終わりはなかったからな。
「これはハル様がわたしにするお礼なんですよね?」
「……そうだけど?」
「詩乃ちゃんって呼んでください! 異論は認めません!」
「そんな力技あるか?」
「あります! これもお礼の一環ですので悪しからず!」
「いやいやいや」
「これからわたしはそうでないと反応しませんのでよろしくお願いします」
「……ええー」
そんな感じでこの論争は終わりを迎えた。いや、この場合新たな始まりを告げたと言うべきだろう。
具体的に言うと、マックを出た後に向かった場所で問題というか、第二ラウンドが起こる。
「お昼ご飯も食べたことですし、次なる場所に行くとしましょうか」
「どこに行くか決まっているのか?」
マックを出たところで笹原さんが言うものだから、俺はさすがに詳細を確認する。どこに向かうかは知っておきたい。
芸能人のお出掛けの感覚が分からないのでどこに連れて行かれるか不安なのだ。
「もちろんです。わたしとハル様が向かうべき場所といえば一つしかありません!」
きらりと瞳を輝かせながら言うが俺には想像がつかない。
最近いろいろあって十分に理解したが、この子ぶっ飛んでるからなあ。何言ってくるか分かんないな。
「どこ?」
「それは秘密です。ついてきてください」
「さっきもそうだけど、なんでそんな秘密主義なの? 目的地の共有って大事だと思うんだけど」
「でもサプライズ感というのも大事なのでは?」
「……」
大事だとは思うけど。
けどちょっと違うような。
「こっちです」
何を言っても無駄そうなので、仕方なく黙ってついて行くことにする。
暫く歩くと少し景色が変わった。
さっきまでは人通りもそれなりにありショッピングに適したお店が並んでいたが、気づけばホテル街に迷い込んでいた。
迷い込んだのではない、のか?
これも確信犯なのでは?
「もしかして目的地って……」
さすがにそれは少し早いと思うのだが。
いやいや早い以前にそういう関係でもないのにこういうところに行くのは間違っている。
俺が動揺しながら訊くと、少し前を歩いていた笹原さんはこちらを振り返る。
その顔はなぜかこれでもかというくらいに笑っていて、その笑顔がなんだか怖く見えた。
「そういうのはまだ早いと思うんですけど?」
「やだなあ。さすがのわたしも初デートで男の子をホテルに誘ったりはしませんよ。もちろん、ハル様がお望みであれば、わたしはいつでも大丈夫ですが!」
てててとこちらに歩み寄ってきた笹原さんが俺に顔を近づける。可愛い顔が突然至近距離にやってきたことで、俺はさすがに照れてしまい数歩後ずさる。
俺が襲い掛かれば受け入れると?
目の前にいるのはアイドルだ。しかも誰もが知る大人気の。そんな女の子を好き勝手できるというのか?
思わず想像してしまう。
決して大きくはないがしっかりと膨らんでいる胸、キュッと引き締まった腰、ぷりっとしたお尻に程よく肉づいた太もも。
さすがはアイドル、抜群でないにしてもボディラインは魅力的だ。
それを、俺の好きに……?
一瞬浮かび上がる妄想を首を振って振り払う。
「そういうのは、結構だ」
「……ハル様って結構ウブなんですね。草食系ってやつですか?」
ちぇーっとつまらなさそうに唇を尖らせる。この子の考えていることは本当に分からない。
「知らん。目的地じゃないのなら学生が来ていい場所ではないのでさっさと抜けてしまってくれ」
「はーい」
言って、それ以降は何かを言ってくることもなくホテル街を抜けるまでは会話はなかった。
途中、若いお姉さんと中年のおじさんが腕を組みながらホテルに入っていくところや、若い男女がいちゃつきながらホテルに入っていくところを見かける。
何となく見てはいけないものを見たような気がして、後ろめたさから視線を逸らす。その先にたまたま笹原さんがいて、彼女の頬も僅かにだが赤くなっていた。
何だかんだ言っても、こういうところを通るのに緊張はしているのかもしれない。
しかしそれに触れることはせず、目的地に到着するまで俺は黙ってついて行くことにした。
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